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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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ロンドン塔の王子達の骨 1

1674年、二人分の子供の骨がロンドン塔で見つかった。これらの骨は、1483年の夏にロンドン塔から姿を消した「ロンドン塔の王子達」のものだと判断され、1678年、チャールズ二世の命により、遺骨は、王家の墓所でもあるウェストミンスター・アベイに安置された。



ロンドン塔の王子達」―エドワード五世と弟のヨーク公リチャード―は、エドワード四世の遺児であり、叔父のリチャード三世により殺された、という説が広く流布している。この「殺人」に関しては異論があり、現在もなお議論が続けられているのだが、今回は、二王子のものとされる骨について取り上げたい。



ロンドン塔で見つかりアベイに埋葬された骨は、果たして本当に王子達のものなのか?





問題の骨は、1674年7月、ロンドン塔の中心にあるホワイト・タワーの外階段を職人が取り壊した時に見つかった。この石造りの階段は、ホワイト・タワー内のセント・ジョン礼拝堂につながっていたのだが、階段の土台(基部)の下10フィート(約3メートル; 1フィート=30.48cm)のところに木櫃が埋まっていたのだ。中には二体の子供の骨が入っていた。



時の国王チャールズ二世は、王室付きの外科医に遺骨を調べさせ、外科医は王子達の骨であると判断を下した。1675年2月、国王は勅許状を発し、クリストファー・レンに棺(遺骨箱)の製作を命じた。そして、1678年、遺骨を納めた大理石の棺が、ウェストミンスター・アベイ内のヘンリー七世礼拝堂 Henry VII's Chapel に安置された。



◇ 棺の側面(版画)


Westminster Abbey, Infant Princes Tomb
(白黒写真, 撮影年 1870-1900) : ViewFinder より



棺にはラテン語で碑文が刻まれている。内容は以下のとおり。
ラテン語の英訳を私がさらに適当訳したものだが、大意は間違っていないと思う。

ここにイングランド王エドワード五世とヨーク公リチャードの遺骨が葬られている。この二人の兄弟を、王位を簒奪した叔父リチャードがロンドン塔に監禁し、枕で窒息死させ、不名誉かつ秘密裏に埋めさせた。長く望まれ捜された彼らの遺骨は、190年以上経って、1674年7月17日に、確かなしるしにより、ホワイトタワーの礼拝堂に通じる階段の瓦礫の中に深く埋められているのを見つけられた。慈悲深きプリンス、チャールズ二世は、彼らのむごい運命に同情し、1678年、治世30年目に、祖先の墓の間で、不幸な王子達の弔いの儀式を行った。



遺骨がアベイに安置されて255年後、1933年6月に棺が開けられ、王子達のものとされる遺骨が調査された。ジョージ五世の治世である。



国王の命により調査にあたったのは次の2名。



  • ウェストミンスター・アベイの Keeper of the Muniments である Lawrence E. Tanner
    (Lawrence E. Tanner, Keeper of the Muniments of Westminster Abbey)

  • 英国解剖学会会長 の William Wright
    (William Wright, Hunterian Professor of Anatomy at the Royal College of Surgeons, President of the Anatomical Society of Great Britain)。
    Hunterian Professor of Anatomy at the Royal College of Surgeons とあるが、英国外科医師会(Royal College of Surgeons)付属のハンテリアン博物館の解剖学教授なのだろうか?


Wright 教授が鑑定を行い、 Tanner 氏が記録したようだ。
鑑定には、英国歯科医師会(British Dental Association)の前会長で歯科矯正医の George Northcroft 氏も協力した。人類学者や中世考古学者は調査に加わっていなかった。



彼らは5日間かけて、写真撮影およびX線写真撮影を含めた調査を行い、遺骨は元に戻された。



棺の中には、様々な生物の骨―魚、鴨、鶏、兎、羊、豚、牛など―が混じっていた。これに関しては、最初に木櫃が見つけられた際に、そばで見つかった骨が全て一緒にされたのではないか、と推測されている。
また、小さな方の頭蓋骨は一部欠けており、他にも損傷が見られたが、発見時に職人が重要なものとは考えず、乱雑に扱ったためと推測されている。



2体の推定身長は、大きい方が4フィート9インチ(約145cm)、小さい方が4フィート6.5インチ(約138.5cm)。歯と頭蓋骨の類似点から、両者は血縁関係にあると考えられた。
年齢は、大きな方が12-13歳、小さな方が9-11歳と推定された。



更に、割と有名な話だと思うが、年長の方の顔面骨には赤い"しみ"(stain)がみられ、 これを血痕と考えた Wright は、窒息死の証拠だと結論した。



以上、簡単にまとめてみる



  • 鑑定された年齢が王子達の年齢と一致(「姿を消した」頃のエドワード五世は13歳になる数ヶ月前、ヨーク公リチャードはちょうど10歳位)。

  • 両者は血縁関係にあると推測された。

  • 年長児の顔面骨の「血の痕」は「窒息死の証拠」と考えられた。これは、「伝統的」な説に一致している(これに関しては後で述べる)。

  • 更に、埋められた場所がトマス・モアの『リチャード三世伝』の記述と一致すると考えられた(実際は矛盾点がある)。


最終的に、遺骨は二人の王子のものであるという結論が出された。



だが、現代の専門家から見ると、この鑑定には多くの不備がある。70年以上前の鑑定であり、技術的限界があったことも確かだ。



思春期前の子供の骨の鑑定は、大人に比べ難しい。
まず、見た目では(X線写真を用いても)男女の区別ができない。また、年齢の厳密な判定も難しい―昔の骨の場合は特に(成長具合は環境によってかなり左右されるので)。



1933年当時でも、子供の性別の区別は困難(というか、ほとんど無理)だということは知られており、調査者達は性別に関しては触れていない
そして、遺骨がいつのものかに関しても、述べていない。極端な話、骨の見つかった1674年以前、いつでもあり得る、とも言える。



その後、再調査はされていないため、1933年の Wright と Tanner の記録を元にして、複数の専門家が当時の鑑定の検証を行っているが、人により見解が様々で一定していない。



なお、顔面骨にみられた"血痕"(と考えられた"しみ")に関しては、「窒息死の証拠」という説は数十年前に複数の専門家により完全に否定されており、この見解を受け入れる専門家はいないということを、はっきりと書いておきたい。



現在の法医学的手法や放射性炭素年代測定法(14C法)を用いれば、もっと詳細な鑑定が可能である。
性別の判定も可能だし、血縁関係の有無についても推定できるだろう。遺骨がいつのものかについても、かなり年代が絞られる筈だ(数十年の誤差での測定が可能ではないか?)。勿論、遺骨の条件が悪くて正確な測定ができない、という可能性がないとはいえないが。
だが、現在まで、再調査の許可はおりていない。
遺骨が王子達のものか、そうでないかは、謎のままである。



いつ頃生きていたのかも分からない、少年かもしれない、少女かもしれない、あるいは少年と少女かもしれない2体の子供の骨は、今もウェストミンスター・アベイに眠っている。



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白い猪亭

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