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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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Real Richard III を映画にするなら

偶然見つけた海外のリカーディアンのサイトに、狂喜したことがあった。
映画化して欲しいリチャード三世小説の、脳内キャスティングが書かれていたのである。



以下、趣味と妄想で突っ走ります。


件のページは、数ヶ月前までアクセスできたのだが、削除されてしまったようだ。その後もページ上部のキャプチャー画像が残されていたのだが、こちらも現在アクセスできなくなっている。しかし、タイムマシン(Internet Archive)で内容を見ることができる。



  • ページ上部のキャプチャー画像のArchive
    http://web.archive.org/web/20050321090605/http://www.millefiori.net/portfolio/portdesign_richard.shtml


  • 上の元ページのArchive ― かなり重く、また、掲載されていた肖像画と俳優の顔写真はほとんど見れませんhttp://web.archive.org/web/20050208224955/http://www.millefiori.net/michelle/richardiii.html


映画化して欲しい小説として挙げられていたのは、"The Sunne in Splendour"(Sharon Kay Penman 著, 1982年)。
この小説、ずいぶん前から、私の「そのうち買う本リスト」に入っているのだが、(積読状態の本が多くて)未入手である<早く買えよ、自分 ←入手済み(だが、未読)
英語圏では非常に評判が良いようで、私が見た限り、近年のリチャード三世を扱った小説を紹介する際は、この作品は必ず名前が挙げられているように思う。そして、悪い感想を見かけたことがない。かなりリカーディアン寄りの内容らしいが、歴史研究の成果を踏まえた確かな記述をしているようだ。
eileenさんのコメントによると、リチャードが「凄く良い人」で「とても面白い」小説とのことです。必ず買って読みます。



肝腎の、サイト主による脳内キャスティングだが、以下の通りだった(俳優名からImdbにリンク)





ショ、ショーン・ビーン、陽気な王様ですか!(メリー・モナークと言えばチャールズ二世のことだが、私はこの兄王のことを勝手にメリー・モナーク1号と呼んでいる)……まあ、いいか<いいのか?



で、リチャードがヴィゴ・モーテンセン……
えー、ヴィゴはとても好きですが。ですが、ヴィゴはショーンよりも半年ほど年上なんですが。リチャードは兄上と10歳も差があるんですが。ど、どうしましょう。



"The Sunne in Splendour"は未読だが、年齢や主要な出来事については、史実を曲げていないと思われる。リチャードは享年32歳、おそらく、20代から32歳までのリチャードを演じることになる筈で……
さすがに辛くないでしょうか。ヴィゴは若く見えるとはいえ。18歳のグロースター公なんか出てきた日には、どうすれば良いのか(出てくるかどうかは知らないんですが)。
って、映画化されるとも思えない作品の心配をするのはどうなのか>自分



しかし、もしも、リカーディアン視点の映画化があるなら、リチャード役を演って欲しい俳優さんがいる。デイヴィッド・ウェナム氏。
髪と眼の色はダークにしてください。



この人を初めて見たのは"指輪物語・第二部"、もとい、"The Lord of the Rings: The Two Towers"だった。
原作と全く違うファラミアだと話には聞いて覚悟していたものの、劇場版の執政家弟の描かれ方に唖然とし(黒い、黒すぎるっ!)ヴィジュアル的には無問題なのに……と歯がゆい思いをした。が、その後SEEを観たら、劇場公開版の悪印象は消えた(短いシーンなのにどうして削っちゃったかな、兄上の川流れとか)。もっとも、ある意味、映画版の原作との違いははっきりしてしまったが。 注)私、映画版LOTRも大好きです
良く考えると、二部でも三部でもSEEでも、映画版ファラミアの唐突さは相変わらずなのだが、デイジーさん(ウェナムさん)の演技でかなりごまかされた気がする←ほめてます



てっきりシリアスな役を演じる人なのかと思っていた。
『ヴァン・ヘルシング』に出ていたと知り(観てはいなかった)、ウルフマン役かと思い、でも、ポスターで見た人って顔が違ったよな?(←ウィル・ケンプです)と思って調べたら、武器オタクの生臭修道士カール役だった。またもや(別の意味で)唖然。貴公子ファラミアは何処に!(カールのこの写真はシリアスな方だが)……さらに『ムーラン・ルージュ!』の女装の脚本家オードリーの白塗りの顔を観た日には目が点になったのは言うまでもない。



注) 修道士カール役は凄く良かった。デイジーさんの演技もだが、カールというキャラクターも単なるヘタレなお笑い担当かと思ったら、実は一番役にたってるのじゃなかろうか。こんな重要な出ずっぱりの役に言及しないなんて、日本の映画配給会社って相変わらずほんとにセンスない……オードリーもいい味出してましたよ、ええ。あっという間に消えましたが。



ああ、でもこの方も四十路なんですよね。ちょっと信じ難いけれど。
半分の年齢のグロースター公演じるのは大変かも。まあ、そこは演技力と映像技術でカバーしていただいて(笑)ヴィゴが演じるよりはまだ無理がないでしょう、多分。



少し大きすぎるけど。公称では6フィート(183cm)。実際はそんなにないのでは?という噂もあるが、背中を曲げてリチャード役を演って欲しくはない(カール役は、ヒュー・ジャックマンとの身長差をつけるために、ずっと背中を曲げて演技していたらしい。想像するだに大変そう)。



「ウェナム」表記普及委員会 David Wenham氏、日本では「ウェンハム」と表記されることが多いですが、正しい発音に近いのは「ウェナム」です。cine丸の白丸さん主宰の「ウェナム」表記普及委員会 にリンクさせていただきます。
追記:白丸さんはホームページを閉鎖され、ブログ(チネマル日記)に移行なさいました。新しい「ウェナム」表記普及委員会はこちら



その他に、「史実に近いリチャード」を演じて欲しい俳優さんを考えてみたのだが、割と小柄で、細身で、できればダーク・ヘアで、演技のうまい人……というので、まず思い浮かぶのはジョニー・デップなのだが、ちょっと美形すぎる気がする。
本当は、史実の年齢にあわせて30歳前後の俳優さんがいいのだけど、思いつかない。



『二つの薔薇』のリチャードなら、カール・アーバンがいいな(あの話の年代にあわせるなら、リチャードはもっと若いのだけれど)<「指輪」から離れられない人
部下を置いて一人で敵を待ち伏せに行ってしまう若く苛烈なグロースター公を、是非演じてもらいたい。そして敵に囲まれたら、角笛 喇叭で助けを呼んで欲しい。



【Link】 Real Richard III のキャスティング (Carpe diemのpsyさん)



psyさんと私の間で(勝手に)合意に達したキャスティングは、


  • エリザベス・ウッドヴィル:二コール・キッドマン

  • ヘイスティングス卿:ケネス・ブラナー

  • "キングメーカー" ウォーリック伯:ジェフリー・ラッシュ


【関連記事】 「リチャード三世・プロジェクト」進行中(2008.8.7) Real Richard の有望株登場!!



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死せる王のために~追悼の言葉

PLANTAGENET - Richard, great king and true friend of the rights of man, died at Bosworth Field on  August 22, 1485. Murdered  by traitors  and, dead, maligned by knaves and ignored by Laodiceans, he merits  our devoted remembrance.



プランタジネット - リチャード、偉大なる王にして、人間の権利の真の友、1485年8月22日、ボズワース・フィールドに死す。反逆者に弑され、死しては悪党に汚名を着せられ、無頓着な者には無視された。彼は我々の深い哀悼に値する。 (秋津羽 訳)


1970年8月22日に、アメリカのミステリ作家レックス・スタウトがニューヨークタイムズに出した追悼文である。
レックス・スタウトというより、探偵ネロ・ウルフの生みの親、といった方が分かりやすいだろうか。彼は熱心なリカーディアンでもあった。



1485年8月22日、ボズワースの戦で、リチャード三世は敗死した。享年32歳。
その命日にあたる8月22日、The Richard III Society(リチャード三世協会)は新聞(クォリティ・ペーパー)4誌(Daily Telegraph、Times、 Guardian、Independent)に次の追悼文を寄せるのを恒例としている。

PLANTAGENET, RICHARD
Remember before God, Richard III, King of England,
and those who fell at Bosworth Field, having kept faith,
22nd August, 1485.
'Loyaulté me Lie'.

最後の 'Loyaulté me Lie' はリチャードのモットー(motto, 銘)で、"忠誠がわれを縛る"という意味だ。



 参考Link : A History of In Memoriam NoticesThe Richard III Society - American branch



8月22日に最も近い週末に、レスターシャーの古戦場、ボズワース・フィールドでは、毎年記念イベントとして"ボズワースの戦"の再現が行われている。 ↓
 The Battle of Bosworth Re-enactment WeekendBosworth Battlefield Visitor Centre & Country Park



リチャード三世協会会員のリカーディアン達の集いも(勿論)あり、今年(2006年)は8月20日(日)にあたる。サットン・チェイニーの教会(Church of Saint James, Sutton Cheney)で礼拝も行われる。リチャード三世が戦の前夜、最後のミサを聞いたと考えられている教会である。
今年は"白猪会"が"リチャード三世協会"として再編されて50周年であり、さぞかし盛大な集いが行われていることだろう。



 Link :
 リカーディアンの集い (psyさんのCarpe diem
 Views of the Battlefield TrailsThe Richard III Society - American branch) : ボズワース・フィールドおよび近郊の写真



また、前日の8/19(土)には、ボズワース・フィールドで、別のリカーディアン団体 The Richard III Foundation の集いが行われたようだ。



 Link :Calendar of Events 2006  (The Richard III Foundation



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リカーディアン的史観

このあたりで、リチャード三世の略史または年表を記載するつもりだったのだが、その前に リカーディアン(リチャード三世擁護主義者)の主張、史観について少し書いておこうと思う。テューダー史観シェイクピア版のリチャードについては既に触れたので。



リカーディアンの(おそらくは)典型的な考え方を把握しやすいと思うので、『リチャード三世「殺人」事件』、『時の娘』から引用したい。この2点の作品は小説だが、その元となっている考え方自体は作家の創造によるものではなく、研究者の数ある説の一部に則している(必ずしもメジャーなものばかりではないが)。




―リチャードの「罪」全般について―

きみが聞いてるのは、テューダー伝説ともいうべきしろものだからね。でっちあげられた極悪人だよ。サー・トマス・モアが『国王リチャード三世史』を書いたのはヘンリー八世の時代で、その時分には、リチャード三世は聖職売買と放火以外のありとあらゆる罪をかぶせられていた。モアいわく、リチャードはヘンリー六世とその息子を殺害した。妻と実の兄クラレンス公を殺害した。ふたりの甥を窒息死させ、王位を簒奪し、おのれの行為に異を唱えた貴族たちの首を刎ねた。
最近の歴史学者はね、そういう非難の大半についてリチャードの無実を認めているんだ。確かに貴族を何人か斬首刑に処しているし、そのなかにはエドワード四世妃の縁者だったウッドヴィル一族も含まれている。その連中がリチャードの暗殺を企てたからというのが理由だが、それを疑うべき根拠はまったくないね。
リチャード三世「殺人」事件

[ エドワード五世と弟王子の殺害は ]歴史上いちばん魅力的でいちばん謎めいた迷宮入り殺人事件なんだ。なにしろ証拠がまるでないんだからね。それを知っていた?リチャード三世が甥を暗殺した証拠はぜんぜん、まったく、ひとつも上がっていない。一方的な中傷と噂だけで―
リチャード三世「殺人」事件

―リチャードの生活・行動全般について―

あらゆる観点から見て、彼は正常な教養の持ち主であり、生活も立派だったんだ。まったくのところ、彼は立派な政治家だったんだよ。イギリス[ イングランド ]北部をみごとに治めていた。才能ある高級将校であり、よき武人だった。それに私生活でも彼に不利になるようなことは何一つわかっていない。
時の娘

彼のことをひどく悪く言っている歴史家でさえも、彼がエドワード[ 四世 ]に献身的だったことだけは認めているからさ。二人はリチャードが十二、三歳だったころからあらゆる場合に味方同士でいるんだ。もう一人の兄弟はこいつはどうにもならん。[ クラレンス公 ]ジョージだがね。
時の娘

エドワード[ 五世 ]はほんの子供で―たった十二歳だからね、ひとりで統治するには少々若すぎる。摂政が必要だ。その摂政役の隠れもない候補者が、父方の唯一の叔父にしてエドワード四世の末弟―超一流の戦士で、最高の統治者で、妻と幼い息子に愛情を注ぎ、高潔かつ実直かつ人気者の、グロースター公リチャードだったわけだ。
リチャード三世「殺人」事件

リチャードの行動について知られる事実がすべて、稀有なる高潔さ、義侠心、勇気をそなえた男の横顔を浮き彫りにしているんだ。彼は十八歳にして一軍の指揮をまかされ、善戦した。兄王[ エドワード四世 ]のもとでイングランド北部を統治したが、公明正大を貫き、貴族の搾取に対抗すべく平民の権利獲得に心を砕いて、ヨーク家に対する永遠の忠誠を勝ち得た。芸術を擁護した。信仰心が篤かった。私生活の面でも―まあ、庶子は何人かいたが、あのころはそれが当然だったからね。だが、妻[ アン・ネヴィル ]をめとってからは―相手は幼なじみの娘なんだが、彼女が元気なうちはずっと彼女一筋だったし、亡くなったときは心の底から悲しんだ。息子を幼くして亡くしたときは悲嘆にくれた。裏切りと背信行為が横行した時期にも、長兄のエドワード四世に対する忠誠心を忘れなかった。
リチャード三世「殺人」事件

―リチャードとクラレンス公ジョージ―

リチャードのすぐ上にクラレンス公ジョージという兄がいるんだが、これが、王位をよこせと長兄に反旗をひるがえしてね。このときリチャードは、考えなおすようにクラレンス公を説得するんだ。で、クラレンス公の謀反に激昂したエドワードがついに処刑を命じると、リチャードはただひとりクラレンス公の擁護に立ちあがる。
リチャード三世「殺人」事件

ウォーリック[ 伯(リチャード・ネヴィル) ]はとうとう、ウッドヴィル一族[ エドワード四世妃エリザベスの親族 ]に我慢できなくなったのだ。かつて彼は自分のいとこのエドワード[ 四世 ]を擁してイギリス[ イングランド ]国王の座につけた。そして、同じく、あっさりと彼を退位せしめた。この目的達成のために彼は全ネヴィル家の力を借り、とくに、(中略)[ クラレンス公 ]ジョージの実際上の助力に大いに預かったのである。ジョージは兄エドワードに忠実たるよりは、ウォーリックのもう一人の娘イザベル[ アンの姉 ]と結婚することによってモンタギュー、ネヴィル、ボーシャンプ[ (ビーチャム) ]の半分を継げる身になるほうが割りのいい賭けであると決めたのだ。十一日間のうちに、ウォーリックは驚く全イギリスを手中に把握し、そして、エドワードとリチャードとはアルクマルとヘーグ[ ハーグ ]とのあいだの十月の泥地をさまよう身となっていたのである。(中略)
エドワードがたかだか一握りの味方を従え、ふたたび、イギリス[ イングランド ]の野に陣営を張ってジョージのひきいる軍勢と対峙したとき、ジョージの陣におもむいて、[ 姉の ]マーガレットのおかげで気が弱くなっていたジョージを説き伏せ、同盟を回復してロンドンへの道をひらくよう交渉に当たったのもリチャードだったのだ。
時の娘

グラントはくだんの一節[ トマス・モアの『リチャード三世史』の一節 ]を捜し出して、読み上げた。

(略)リチャードは兄[ クラレンス公ジョージ ]の死刑に公然と反対したが、それは当然ながらやや無気力な反対のしかたで、実はおのれの利益のほうを真剣に考慮していたとみなされる。しこうして、かくのごとく思いめぐらすとき、リチャードはすでにエドワード王在位中に、万一、兄王が(その暴食が生命を縮めることを彼は予見した)その子供たちの幼時に死去することのあらば、みずから王たらんと久しくうかがっていた、と考えられるのである。よって、この意図のため、彼はクラレンスの死を喜んだと察しられる。(略)

(中略)「この想像たくましき説のなかで一ヶ所だけ、たしかな書き方がされているところがあるのに気がついたかね?」(中略)「リチャードが兄ジョージの死刑に公然と反対した、というところでしょう?」「その通り」「もちろん、そのあとの"とみなされる"式の書き方のおかげで、あとに残る印象はまるきり逆になってしまいますからね」
時の娘

―王位「簒奪」について―

一四八三年六月のなかばごろ(中略)エドワード四世とエリザベス・ウッドヴィルが結婚していなかったことが発覚するんだ。(中略)じつはエドワードは、それ以前に別の女性と婚約していたんだが、当時は婚約といえば結婚と同じ拘束力があってね。ということは、エドワード四世の息子たちは非嫡出子であり、年若きエドワード五世には王位につく権利がないわけだ。
テューダー朝の御用史家によれば、この話はリチャードのでっちあげということになるが(中略)あらゆる状況から見てこれは事実だ。(中略)この申し立ては議会でも認められて、リチャードが正当な王位継承者であることを宣言する名義国王(ティトゥルス・レギウス)という正規の条令として成文化された。リチャードの兄はひとりも生きていない。クラレンス公ジョージには子供がいるが、彼らは王位継承者からはずされている―父親が逆賊として処刑されたからね。エドワード四世の子供たちが庶出だということになれば、正当な継承者はリチャードその人しかいなくなる。
リチャード三世「殺人」事件

もしヘンリー[ 七世 ]が主張したように、リチャードの継承権が不当なものであったのなら、[ 王位 ]継承令[ (ティトゥルス・レギウス) ]を公開の場で再読させ、その虚偽を声を大にして叫べばよいことだ。だのに、ヘンリーはそれをしなかった。彼は継承令の記憶さえ抹殺しようとして、果てしなく苦労していた。そこで結論は、王位継承令[ (ティトゥルス・レギウス) ]に示されたリチャードの継承権はなんら疑いのないものだとなるのは当然である。
時の娘

[ ]内は秋津羽が記載



なお、『リチャード三世「殺人」事件』からの引用は全て、熱烈なリカーディアンである大学教授トマスの言葉である。説明相手がテューダー史観を持ち出してくるので、途中かなり熱くなっている(笑)。

「だから、[ 王子達を ]窒息死なんかさせてないんだってば!」トマスは叫んだ。
リチャード三世「殺人」事件

リカーディアン Ricardian

リカーディアン(Ricardian)という言葉をご存知の方は、どれくらいおられるだろうか。



18-19世紀のイギリスの経済学者 デヴィッド・リカード(David Ricardo)の学説を支持する一派のこともリカーディアン(リカード派)というそうだが(そして、日本で普通知られているリカーディアンはそちらだろうが)、それとは勿論違う。



ここでいうリカーディアンとは、リチャード三世擁護主義者のことである。
リチャード三世マニアというか、リチャード三世おたくというか、ファンというか。
英語圏では結構そういう人達がいて、団体を作って、リチャード三世の名誉回復のための活動をしているんである。


最も有名なのが、The Richard Ⅲ Society (リチャード三世協会)で、「リチャードの盟友」と呼ばれることもある、らしい。イギリス国内各地とアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに支部がある。その他、イギリス国内とヨーロッパ(ドイツ)に小グループがある。



日本支部でもあれば会員になりたいところだが、当然そんなものはない。極東支部とか、アジア・オセアニア支部とかもできないだろうなあ。



サイトの紹介文によると、会員数3,500名以上……? 意外と少ないなぁ、と思ったが、Richard Ⅲ Society アメリカ支部のサイトには4,000人以上と書いてある。記述が古いんだろうか? 手元にある「リチャードⅢ世研究」(尾野 比左夫 著 渓水社 1999)によると5,000人強。



雑誌『Ricardian』 (年1回発行)、『Ricardian Bulletin』  (年4回発行の季刊誌)の発行や、研究大会、ボズワース戦場跡へのツアー開催などを行っている。



リチャード三世協会以外にも、大小のリカーディアン団体がある。





リチャード三世協会は、1924年につくられた Fellowship of the White Boar (白猪会)という同好会が母体となっている。白い猪というのは、リチャードの徽章(副紋章, バッジ)である。第二次世界大戦開始後に活動は衰退したが、1956年に組織は会員を増やして正式に再編され、1959年には、Richard Ⅲ Society (リチャード三世協会)と名称を新たにした。1980年には、現在のグロースター公! がパトロンとなり、協会は王室パトロネイジを受けることとなった。



グロースター公殿下・妃殿下の紹介(UK王室の公式サイト)によると
グロースター公は、1944年生れ。先代のグロースター公の次男で、ジョージ五世の孫、エリザベス女王の従兄弟にあたる。グロースター公の称号を受け継いだのは1974年。妃殿下はデンマークの方で、お子様は三名(1男2女)。



ファースト・ネームはリチャードとおっしゃいます。Prince Richard ですよー。おお!
爵位やら勲位やら全て言うと、
His Royal Highness Prince Richard Alexander Walter George, Duke of Gloucester, Earl of Ulster, Baron Culloden, Knight of the Most Noble Order of the Garter, Knight Grand Cross of the Royal Victorian Order, Grand Prior of the Order of Saint John of Jerusalem
だそうです。




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