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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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戯曲 『Dickon』 5 Author's Notes

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戯曲本体の読了後少ししてから、戯曲の後に掲載されている Author's Notes を読んだ。
やはり、テイ女史は、"リカーディアンの輝ける星"((c)psyさん)であった。



曰く、
「ヨーク家の全てのプリンスの中で最高の者が、テューダー伝説の悪党になった」
……抑えきれぬ憤りが文中に漂っている気がする(笑)。




以下、冒頭部分の訳。



一人の男(スタンリー)の裏切りがなければ、リチャード三世はボズワースの戦に勝っていただろう。そして、テューダー朝の歴史家の書物に現れる、悪意に満ちた傴僂の怪物が創られることは決してなかったろう。しかしボズワースは負け戦となった。若き王の死体は、放り出され、裸にされ、血を流したまま、小馬の背に乗せられて、戦場から勝者によって運ばれた。プランタジネットの地に、フランスの金と生来の厚かましさに助けられて王冠を戴いた、名もなきウェールズ人が入ってきた。



ヘンリー・テューダーは、生得の権利によって要求できなかったことを、征服によって成し遂げた(彼はジョン・オブ・ゴーントの庶出の息子の曾孫だった)ため、彼が取って代わった人物は、統治するにふさわしくないと示すことが望ましかった。つまり、暴君、簒奪者、もし可能ならば、殺人者であると示すのが望ましかった。ヘンリーはお抱えの歴史家を数名雇っていたが、最も効果的だったのはリチャードの最大の敵、ジョン・モートンだった。ヘンリーはモートンをカンタベリー大司教にした。モートンは、サー・トマス・モアの書類から見つかったために現在モアの著作として知られている話[ トマス・モアの『リチャード三世史』 ]を、書いたか、もしくは、提供した。その話は詳細で、ドラマチックだ。そして、非常に馬鹿げてもいるが、信頼され、不朽となった。まず、サー・トマス・モアの著作に敬意が払われるために、次に、ウィリアム・シェイクスピアが戯曲の素材として使用したために。そして、ヨーク家の全てのプリンスの中で最高の者が、テューダー伝説の悪党になった。



テューダーの君主達がいなくなり、再び安全に意見を発表できるようになるとすぐに、この怪物的な人物像に対する最初の疑いが出された([ サー・ジョージ・ ]バックにより、ジェイムズ一世治世に)。戯画化はあまりにもはなはだしく、理性的な人間の知性を傷つけるものだった。テューダー朝の歴史家に反論することのできる、リチャードの治世に書かれた歴史書はなかった。真実は、当時の出来事についての誰の記述―常に部分的で偏っているに違いない―でもなく、無視された大量の当時の書類の中に見つけなければならなかった。つまり、議会の議事録、開封勅許状、公布、家計簿、私信の中に。そしてこれらの無言の証人達から真実が復元された。だが、嗚呼!150年の間、テューダー神話は反対されずにあり、今日に至るまで、ホレイス・ウォルポールや彼の仲間全員が擁護を続けているにも関わらず、10人のうち9人は、リチャード三世が傴僂の殺人者だと考えているのみならず、それに反対するどんな証拠があることも知らないのだ。


()は原文のまま。[ ]内は秋津羽が記載。




この後、James Gairdner博士の著書"History of the Life And Reign of Richard the Third (リチャード三世の生涯とその治世)"(1878年)に触れ、「どんな弁明よりも説得力がある」と書いている。
『時の娘』の中で、キャラダインが、「おかしい人」「必読の価値あり」と言って、グラント警部に持ってきた本だ。

ガードナー博士はリチャードが殺人者であると頑固に信じていた。しかし、正直で常識のある人であり、公平な見かたをしているので、事実をねじ曲げるようなことはしていなかった。ガードナー博士が事実を自分の説に合わせようとしている光景は、グラントが今までに見た曲芸の中でもどれよりも面白いものだった。
(中略)博士によれば、リチャードの性格には何一つ、卑劣でいやしいものはなかった――だが、彼は罪もない子供たちの殺害者であった。敵でさえ彼の正義を信頼した――だが、彼は甥たちを殺した。彼の清廉さはたいしたものであった――だが、彼は利益のために殺人をした。
時の娘



 * History of the Life And Reign of Richard the Third to Which Is Added the Story of Perkin Warbeck from Original Documents (James Gairdner 著; ISBN: 1417946350)
  >>Amazon(日本) >>Amazon(米)  >>Amazon(英)



【追記】 2006.5.20
尾野 比左夫氏の『リチャードIII世研究』によると、James Gairdnerは19世紀におけるリチャード三世伝説擁護論の第一人者とのこと。当初はリチャード三世伝説(テューダー伝説)修正論者であったが、後に伝説擁護論をとり、その著作はヴィクトリア時代後期の一般史家に広く読まれ、悪人像=ダメージを一層拡大したとされている。
テイ女史の感想は全く違うのが何だかおかしい (^^)



このジェイムズ・ガードナーとクレメンツ・マーカム(19世紀末から20世紀初頭のリチャード三世擁護論者。テイの小説は主にマーカムの説に基づいている)は、1891年、English Historical Reveiw 誌上で大論争をやらかした。



……追記ここまで……




その後には、リチャードにきせられた汚名とそれに対する反論が、以下の8項目に渡って、長々と書き連ねられている。


  1. 背中が曲がっていた

  2. 片腕が萎縮していた

  3. 18歳の時、テュークスベリーの戦の後、エドワード・オブ・ランカスター(ヘンリー六世王太子)の殺害を冷酷に手伝った

  4. 精神を病んだヘンリー六世をロンドン塔で殺害し、兄のエドワード四世の障害を取り除いた

  5. 兄のクラレンス公をロンドン塔で殺害した

  6. 王位を簒奪した

  7. 暴君だった

  8. 甥達をロンドン塔で殺害した


6から8に対する反論が長い(笑)。
おそらく、これをもとにして、『時の娘』を書いたのだろうと思う。このメモからあのような重層性をもった魅力的な小説を作り上げるのだから、やはりテイ女史は凄い。


ここには、改竄された肖像画のことは書かれていない。
X線検査により、ロイヤル・コレクションの肖像画が描き直されていた(右肩が高い)ことが判明するのは、1973年―テイの死の21年後のことである。
当時既に改竄が判明していたら、彼女はどのように話に取り入れたろうか、と思う。何かで見つけたキャラダインが、興奮してグラント警部を訪ねてきたりしたのだろうか。



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戯曲 『Dickon』 4

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前の記事の続き。
第1幕第1場で気になったリチャードの台詞。




ウィリアム・カクストン(キャクストン; イングランド初の印刷業者/出版者)の出した新しい本を、リチャードがエドワード四世に持ってくる(勝手に持ち出してきたらしい笑)。実はエドワードがリチャードに贈るつもりだったのだが。



珍しく、リヴァーズ伯アンソニーの翻訳ではなかったため、ちょっと驚くエドワード王。

リチャード「ウッドヴィル一族が関わっていない、イングランドで唯一のものに違いありませんよ。あなたは滑り落ちつつありますよ、アンソニー」
リヴァーズ「私の才能がなくとも、それはとても魅力的な小品だよ」

二人ともにこやかに。……陰険漫才かね、あなたたちは。いや、気になったのはこのあと。



王妃エリザベス・ウッドヴィルも、リヴァーズの翻訳でないことに反応(笑)するが、その後、こんなことを言う。



王妃:まもなく魚屋が皆、本を持つようになるでしょう。そうなれば、[本は]もはや重要なものではなくなるでしょう。
リチャード:疫病(ペスト)と同様になるでしょう。
王妃:まあ、何という事を!皆が本を1冊持ったら、本がどれだけ重大な(影響力のある)ものになるというのです?
リチャード:インクで書かれた紙の小さな束にある力を考えると、気が遠くなります。それは、王朝を創り、あるいは、損ない、国々を散らばせ、地球(大地)の表面を変えるでしょう。

確か、リチャードは、英語の出版物を奨励していたのではなかったか?この否定的な台詞はどうしたことだ、と思ったが、終盤の台詞につながっていくわけか。納得。



もっとも、リチャードが、実際に、自分の死後数百年にわたり悪名が広く伝えられると予見していたとはちょっと思えない。もし小説でこのようなことを書いたなら、リアリティが損なわれると思うが、あまり気にならないのは戯曲という形態のためだろう。



テイは、『時の娘』の終盤では、キャラダインとグラント警部に次のような会話をさせている。

「彼が逃れられた責苦が一つだけありますよ」
「なんだね」
「自分の名前が数世紀にわたって怒りと嘲笑の的になるということだけは、彼は知らずにすんだんです」
「なるほど。それを知っていたら、致命的な悲嘆の種になっていたろうな。(後略)」
時の娘



本当にそう思うよ、警部 (TT)
二人のこの会話は、テイ女史の哀しみを含んだ愛情が感じられて、私はとても好きである。



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戯曲 『Dickon』 3

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第1幕の終わりと第2幕(終幕)の終わりについて。以下、ネタばれ。




第1幕の終わり、ロンドン塔でヘイスティングズ達を逮捕した後、リチャードとバッキンガム公が残り、今後のことを語り合う。


バッキンガムは、婚姻によってヨークとランカスターの間に和平が結ばれれば人々は喜ぶだろう、と、自分の娘とリチャードの息子との結婚をもちかける注1のだが、リチャードは既に将来の計画に心奪われ、うわの空。「それはいい思いつきだ」とか適当に返事をし、バッキンガムが「良いと思いますか?」と食いついたのにも気づかず、微笑んで言う。



「良い思いつきがとてもたくさんあるよ、ハリー。沸き立って、あふれ出ている。私がイングランドでしなければならないことを全てするには、人生の長さは充分ではない。今から千年後、保障する、人々はこう言うだろう。我々の歴史上、リチャード三世の治世ほど良い治世はなかったと。」



ここで幕切れとなり、こんな芝居を観た日には泣けてきそうなのだが、第2幕の終わり、つまり、戯曲の終わりには、全く異なる、ある意味これと対をなすような台詞がある。



ボズワースの戦の日の夜明け、リチャードの天幕にラヴェル卿がやってくる。
寝ていないにも関わらず元気一杯のラヴェルに対し、リチャードは疲れて見える。良く眠れなかったと言い夢の話をするが、シェイクスピアとは異なり、リチャードがみるのは亡霊ではなく、サンザシの茂みに転がった王冠(サークレット)注2だ(しかし、兜につけたサークレット―国王の目印になる―をはずす気は全くない)。



今度は誰が裏切り者になるかと思い続け、見えないものを恐れている、心を病んでいるのだ、と、リチャードは自分自身に手厳しい。
ラヴェルは、もっと軍が集まるまで待つこともできる、慎重になるのは恥ではない、と進言するものの、リチャードは、もう充分集まっている、慎重になるのは恥ではないが、影を恐れるのは恥だ、と答える。起こらなかったかもしれないことに支配されて残りの人生を過ごすならば、死んだ方がましだ、とも。



その後、ヘンリーがエリザベス・オブ・ヨークを嫡出扱いにして結婚した場合、弟王子二人も嫡出になる(王位継承権が上になる)のをどうするつもりなのか、とか、スタンリー卿の行動が怪しい、といった会話が交わされた後、リチャードは言う。



リチャード:私は、ずっと、人々の善に訴えれば、善が返ってくると信じてきた。私は間違っていたのかもしれない。最近、信じ続けるのが難しくなっている。(折り畳み式テーブルから本を取り上げる)もし今日我々が失敗したなら、私の運命がどうなるかわかるか?永遠の汚名だ。
ラヴェル:汚名?
リチャード:人間は自分達の嘘を永続させる方法を発見した。モートンがヘンリーのために書き、私をどう扱うか、想像できるか?


遠くの宿営地からトランペットの音が聞こえ、二人は出立の準備をする。午前8時に集合することになっている。ラヴェルは去り際に言う。


ラヴェル:もう二人きりでお会いできないかもしれません。あなたを愛している者たちのために、早まらないでください。
リチャード:たとえ私が丘の上に座していても、同じように私を愛するのか?
ラヴェル:いいえ。しかし、名誉ある撤退というものもあります。
リチャード:降伏というものもある。いや、フランシス。もし今日私が死ぬならば、私は敵に立ち向かい、イングランドの王として死ぬ。そして人々が私について書物に記すかもしれぬ何事も、決してそれを変えることはできない。では8時に。


天幕を出て、リチャードは右に、ラヴェルは左に別れる。空は明るくなり、日の出が近づく。遠くでトランペットの音が聞こえる。再び、三度、より近くでトランペットの音が聞こえる。四度目のトランペットが鳴り、幕が下りる。



本当にこんな芝居を観たら泣きそうだ。いや、叫ぶかも。ヘンリーめ!



……実は、第1幕第1場で、ちょっと突っ込みを入れたくなる台詞があった。書物に関することで、それが終盤の台詞に関連している。続きは次の記事で



『時の娘』 日本語訳の単語(注)

『時の娘』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の翻訳は、全体としてとても好きなのだが、一部(主に地名、人名)に、一般的な訳と異なっていて分かりにくいものがある。
原書未読のため、日本語の訳のみから推測できたもののみ、以下に記載する。


 関連記事 : リチャード三世をめぐる歴史ミステリ 『時の娘』



[文庫本の訳]: [一般的な訳語]



イギリス: イングランド England



チュードル朝: テューダー朝 もしくは チューダー朝 Tudor



ヘンリー・チュードル: ヘンリー・テューダー / ヘンリー・チューダー



p22 メリィ・スチュアート: メアリ もしくは メアリー



p47 獅子王リチャード: 獅子心王リチャード Richard the Lionheart リチャード一世のこと
 なお、スコットランド王ウィリアム一世は‘獅子王’と呼ばれる(William the Lion)



p48 ラーレイ卿がエリザベス女王のために上衣を敷いた: サー・ウォルター・ローリー Sir Walter Raleigh



p65 アジンコート Agincourt(英語): アジャンクール Azincourt(仏語)



p75他 『レイビィの薔薇』 エヴリン・ペイン=エリス作 "The Rose of Raby" written by Evelyn Payne-Ellis: ヨーク公妃セシリィ・ネヴィルを主人公にした架空の小説



p86 マイクルゲート・バー Mickelgate Bar: ミクルゲート・バー もしくは ミクルゲイト・バー

【関連記事】 ミクルゲイト・バー博物館 [ヨーク]



p92 リンの港: Port of Lynn 現在の(キングズ・リン)キングスリン King's Lynn 当時はBishop's Lynnといった



p92 ボーシャンプ: ビーチャム Beauchamp



p93 アルクマル: アルクマール Alkmaar(現 オランダ)



p93 ヘーグ Hague(英語): ハーグ(デン・ハーグ) Den Haag(現 オランダ)



p93 バーガンディ Burgundy(英語): ブルゴーニュ Bourgogne(仏語)



p101 バーガンディの若いメアリィ(英語): マリー・ド・ブルゴーニュ Marie de Bourgogne(仏語) もしくは マリア・フォン・ブルグンド Maria von Burgund(独語)
(ブルゴーニュ公シャルル "ル・テメレール"息女。ブルゴーニュ女公。後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の妃:マクシミリアンが皇帝になる前にマリーは死去)

【関連記事】 『The Whyte Rose』 シャルル突進公時代の音楽



p114, p274 偉人ロレンツォ: ロレンツォ・イル・マニフィコ Lorenzo il Magnifico (「偉大なる」ロレンツォの意味。ロレンツォ・デ・メディチのこと。)



p124(p134にも言及あり) “猫とねずみとロヴェルの犬が、牡猪の下でイギリスを治める”:牡猪→(牡)豚 イギリス→イングランド
 リチャード三世の徽章 badge紋章ではない)は白い猪 White boar だが、この詩では、豚 hog と呼んで侮辱している。

【関連記事】
・ この詩について:猫と鼠と犬と豚
リチャード三世の徽章(バッジ) 1



p136 モートンの熊手: モートンの二叉論法 Morton's fork

【関連記事】 モートンの二叉論法(モートンの熊手) Morton's fork



p159 北部の六百人の紳士: ジェントリ gentry のことと思われる。もしくは広義のgentleman 階級(貴族とジェントリを合せてそう呼ぶ)



p169 玉璽卿: 玉璽尚書 the Lord Privy Seal



p169 ブリタニー Brittany(英語): ブルターニュ Bretagne(仏語)



p173 ボーフォール: ボーフォート Beaufort



p175 ホワイト・カルメル派: カルメル会 もしくは カルメル派 が一般的と思う



最終更新日:2010.2.12

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戯曲 『Dickon』 2

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時の娘』だけでは、テイがどこまで「リチャード三世善王」説を信じていたのか分からなかった。ひょっとすると、定説を覆す解釈自体に魅力を感じたのかもしれない、とも思った。
しかし、『Dickon』を読んで私は確信した。テイ女史は、熱烈なリカーディアンだったに違いない。行間から、500年近く前に戦場に斃れた若き王への想い―敬愛というか崇拝というか哀悼というか―が立ち上ってくる気がする。




楽しみつつ、心の中でじたばたしつつ、一気に読了したのだが、戯曲として見た場合どうか、というと、やはり弱いな、と思う。
シェイクスピアの悪の魅力あふれるリチャード三世と比べると、インパクトは比較にならない。シェイクスピア劇のような強烈な台詞もない。人物描写も、ト書の解説がなければ少々分かりにくい気がする。映画かTV向けのドラマに変更するならば良いような気もするが。



女史が『Dickon』を発表せず、『時の娘』を書いたのは、そのためだろうか。



この戯曲の書かれた時期は分かっていないが、1944年頃に書かれたのではないか、という話もある。
『時の娘』が発表されたのは1951年。翌1952年2月13日、ジョセフィン・テイは55歳で世を去る。1週間前に逝去したジョージ六世の葬儀と重なったためもあるが、本人の強い希望により、ひっそりとした葬儀であったという。
女史は、1年ほど前から死病に冒されていることを知っていたそうで、『時の娘』発表時には既に死期を悟っていたのであろう。しかし、それを周囲の人間には知らせなかったという。
『Dickon』は、翌年、テイの遺作として発表された。



彼女がもっと長く生きていれば、絶賛された『時の娘』の評判に伴い、『Dickon』の知名度も上がっただろうか、わからない。そもそも、テイが生
前『Dickon』を発表するつもりがあったのかどうかも。しかし、本国でも絶版だというのは何とも惜しい気がする。戯曲としてのインパクトは弱いが、読
んで十分面白いと思うのだが。
もっとも、作品としての出来は『時の娘』の方が断然良い。『Dickon』だけでは、「リチャード三世善王」説を広めることはできなかっただろう。その意味では、女史は最後に『時の娘』を発表することで、目的を果たしたと言えるのではないかと思う。



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