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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 2 [ヨークシャー]

エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2 ]



以前書いたように、リチャード三世の王太子エドワード・オブ・ミドゥラム Edward of Middleham(c.1473-1484)の墓像は、シェリフ・ハットンの The Church of St Helen & the Holy Cross にある。
墓(埋葬場所)は不明だが、この教会内のどこかに埋葬されているのだろうと納得していた。



しかし、墓は他の場所かもしれない、という記述を Richard III Society の ウスターシャー支部のサイトで見つけた。pictures のページの Sheriff Hutton の項目である(下1/3程の場所)。
ちなみに、ウスターシャー支部の pictures のページには写真が多く掲載されていて(リンクをクリックすると見られる)楽しい。






The Church of St Helen and the Holy Cross contains the cenotaph of Edward of Middleham, Richard III's only son. His body may be at Coverham Abbey though the site of the grave is unknown.



The Church of St Helen and the Holy Cross には、リチャード三世の一人息子エドワード・オブ・ミドゥラムのcenotaph(記念碑)がある。墓の場所は不明だが、彼の遺体はCoverham Abbeyにあるかもしれない。



Coverham Abbey って、どこ?
調べたところ、ミドゥラムの南西、1-2マイルにあるとのこと。



Coverham Abbeyはプレモントレ会(ノルベルチヌ会)の修道院で、13世紀初頭に建てられた。1536年に、修道院はヘンリー八世の修道院解散令により解散させられ、その後私有地となった。
現在は廃墟となっており、建物のごく一部が残存するのみである。また、私有地のため、中に入ることはできない(道から眺めるのみ)。



尾野比左夫氏の『リチャードIII世研究』によると


一四七四年、グロスター公はミドルハム領主として、コヴァハム大修道院の後援者になった。



ミドゥラムで亡くなったエドワード王太子がここに埋葬されていたとしても全く不思議はない。
しかし、ここに墓があったとしたら、修道院解散の際に墓は壊されてしまったのだろうか。不憫である。





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【リンク】





エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2 ]





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王妃アン・ネヴィルの墓 [ウェストミンスター]

リチャード三世の妃アン・ネヴィル(1456-1485)は、1485年3月16日にウェストミンスター宮殿で亡くなった。結核によると推測されている。
盛大な葬儀が営まれ、彼女はウェストミンスター・アベイの南側、主祭壇のそばに埋葬された。しかし、墓の目印となる墓像や記念碑はつくられなかった。リチャード三世が、ヘンリー・テューダーによるイングランド侵攻への対策に追われたこと、そして、同年8月、リチャードがヘンリーに斃されたことによると考えられている。



1960年、Richard III Society により、アベイの南の回廊の壁に、アン・ネヴィル妃を記念する真鋳の銘板と彼女の紋章が設置された。銘板には次のように書かれている。



ANNE NEVILL 1456-1485 QUEEN OF ENGLAND YOUNGER DAUGHTER OF RICHARD EARL OF WARWICK CALLED THE KINGMAKER WIFE TO THE LAST PLANTAGENET KING RICHARD III.
"In person she was seemly, amiable and beauteous...And according to the interpretation of her name Anne full gracious" REQUIESCAT IN PACE.


アン・ネヴィル 1456-1485 イングランド王妃 キングメイカーと称されるウォーリック伯リチャードの次女 プランタジネット最後の国王リチャード三世の妻
"個人として、彼女は上品で、優しく、美しかった...彼女の名前アンから判断すると大変恵み深かった" 安らかに眠れ
[秋津羽 訳 自信なし]





彼女の墓には何の問題もないのだろうと思ったが、Richard III Society のサイトで気になる記述を見つけた。



In 2005 the ancient tomb of Edward the Confessor was found in the Abbey by archaeologists using radar technology. The forgotten, subterranean chambers were located during conservation work on the abbey's medieval Cosmati mosaic pavement around the high altar. The Chairman of the Society has written to the Dean and Chapter asking if the location of Queen Anne Neville’s burial has been found.



2005年に考古学者達がレーダー技術を用い、エドワード証聖王の古い墓をアベイで見つけた。主祭壇の周りにある中世のモザイクの保存作業の間に、忘れられた地下室の位置が確認された。Society の会長は、アベイの参事会長と参事会に、 アン・ネヴィル王妃の埋葬場所が見つかったか手紙で尋ねた。 [秋津羽訳]



埋葬場所が見つかったか尋ねた、ですと?じゃ、じゃあ、ひょっとしてお墓の正確な場所は分からないってこと?アン王妃のお墓は問題ないと思っていたのにー。



【参考】

Anne Neville, wife of Richard III - Westminster Abbey

The Richard III Society > Achievements > Commemorative & Celebratory > 1960s and earlier > Westminster Abbey, London





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エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか?1 [ヨークシャー]

[ エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2



青(せい)さんの「リチャード3世のヨークシャー」で気になったのが、「これ[エドワード・オブ・ミドゥラムの墓像]は記念碑であって、遺体は別の場所に埋葬されている模様」との記載。



そうでしたっけ(汗) そういえばどこかでそんな記述を見かけたような。調べねば。
なお、エドワード・オブ・ミドゥラム Edward of Middleham(c.1473-1484)は、リチャード三世の唯一の嫡出子で、王太子である。



墓像のある The Church of St Helen & the Holy Cross, Sheriff Hutton について書かれているページによると、

The
Church contains the tomb of Richard III’s son, Edward, who died at the
age of eleven at Middleham while his parents were in Nottingham.



教会には、リチャード三世の息子エドワードの墓がある。彼は両親がノッティンガムにいる間に、ミドゥラムで11歳で亡くなった。[秋津羽 訳]



Alison Weir による系図本 "Britain's Royal Families: The Complete Genealogy " によると、

He died on 9 April, 1484, at Middleham Castle, Yorkshire, and was probably buried in Sheriff Hutton Church, Yorkshire.



彼は1484年4月9日にヨークシャーのミドゥラム城で亡くなり、おそらくはヨークシャーのシェリフ・ハットン教会に埋葬された。 [秋津羽 訳]



うーむ、分からない。



Richard III Society のシェリフ・ハットンのページで求めていた記述が見つかった。





Most important is a memorial to a Prince of Wales. Although there is some doubt, it is believed to be that of Edward of Middleham, Richard III's son, who died in 1484. The memorial is a cenotaph, not a tomb, as the prince was buried elsewhere, and its present position in the north east corner of the church is not where it
was intended to stand. From past records, it would seem that the monument has had several sites within the church. Made of alabaster, it has suffered over the years and during the twentieth century, it was twice restored at the Society’s expense


最も重要なのが、ある王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の墓碑である。疑いはあるものの、1484年に亡くなったリチャード三世の息子エドワード・オブ・ミドゥラムのものと考えられている。この墓碑はcenotaph(記念碑)であり、墓ではない。王子はどこか他の場所に埋葬されている。また、墓碑の現在の場所である教会の北東の角は、元々設置しようとしていた場所ではない。過去の記録によると、墓碑は教会の中の数ヶ所に設置されていたことがあるようだ。墓碑は雪花石膏製で、時代を経ており、20世紀に2度Societyの出資により修復された。[秋津羽 訳]



リチャードと、姉のマーガレットのみならず、リチャードの息子の埋葬地も不明だとは。
エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのでしょう?



<追記>(2010.2.8):青さんによると、「シェリフ・ハットンの墓像については、元は教会内の別の場所(墓の上)にあったのが、あちこち移動したのであって、埋葬は教会内のどこかにあるのだと考えています。」とのことです。青さん、ありがとうございました。



[ エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2





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マーガレット・オブ・ヨークの墓 [ベルギー・メッヘレン]

リチャード三世の姉マーガレット・オブ・ヨークの墓が現存しない、ということを知って唖然としたのは3年以上前のことだ。Mlle Cさんの記事(マーガレット・オブ・ヨークはどこにいる?)によると『宗教戦争の間に(マーガレットの)墓は跡形もなく破壊され』たという。



破壊された?破壊されただとー!?

何ということだ……墓壊され姉弟(号泣)





2000年10月に、Richard III Society は、マーガレット・オブ・ヨークのかつての墓所を示す銘板をベルギーのメッヘレンに設置した(10月21日に除幕)。
Society のサイトには記事は残っていないが、Internet Archive で当時の記事を見つけることができた(写真も一部見ることができる)。
 >>Mechelen Plaque Update



(左) マーガレット・オブ・ヨーク
1477年頃 ルーブル美術館所蔵





マーガレット・オブ・ヨーク(1446-1503)はメッヘレン Mechelen (当時の名は Malines)に宮廷を設けていた。
ベルギー・フランダース観光局による紹介文によると、メッヘレンは


ルーヴェンと同じくダイル川沿いに発展した町で、もともとはフランドル伯の領地でした。1473年にブルゴーニュ公シャルル豪胆王が会計院を置き、1503年にはブルゴーニュ公国の議会が設置されました。さらに1506年にネーデルラントの統治者であるオーストリアのマルガレータ王妃が王宮を定めてからは、ネーデルラントの首都として輝かしい時代を築きました。オーストリアのマルガレータはスペイン王カール五世の叔母で、カール五世もメッヘレンで育ちました。王宮がブリュッセルに移された1531年からは勢いを失いますが、17-18世紀には「メッヘレンレース」の生産によって再び活気を取り戻します。



「オーストリアのマルガレータ王妃」という言い方が引っかかるが、あまり気にしないことにする。……彼女は各国語で「オーストリアのマルグリット/マルガレーテ/マルガリータ/マルゲリータ/マルガレータ(マルハレータ)」と呼ばれるが、「オーストリアの王妃」だったことはない。彼女は、フランス王の婚約者、スペイン王太子妃(アストゥリアス公妃)、サヴォイア公妃であった。「オーストリアの」と呼ばれるのは、オーストリア大公女でもあったからだろう。
また、「王宮を定めて」とあるが、「王」宮ではないのでは?<歴史オタクはうるさい
あと、重箱の隅をつつくと、神聖ローマ皇帝カール五世は、スペイン王としてはカルロス一世になる。



マーガレット・オブ・ヨークは彼の地の人々に愛され、1503年に亡くなった際には盛大な葬儀が営まれた。彼女はフランシスコ会修道院の教会に葬られた。Society の記事には 'on the threshold of the choir' (聖歌隊席の入り口に)とあるから、教会の内陣に埋葬されたのだろう。



教会があった場所は、現在は文化センター(Cultuurcentrum Mechelen)になっているとのこと。銘板はその外壁に設置された。



Cultuurcentrum Mechelen の写真はこちら(だと思う)。



Cultuurcentrum Mechelen の地図はこちら ↓




大きな地図で見る





上記の記事には次のように書かれている。


During the wars of religion the tomb was destroyed, leaving not a trace,
宗教戦争の間に[マーガレットの]墓は跡形もなく破壊され



「宗教戦争」ってどの戦争だよ、ちゃんと書いてくれよ、と思ったが、どうも80年戦争(ネーデルラント独立戦争)のことのようだ(「オランダ独立戦争」の呼び名の方が有名かも)

戦争が始まって5年目、1572年10月に、メッヘレンの街はスペイン軍により焼かれ、略奪を受けた。当時ネーデルランド総督だった3代アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド(1507-1582)の軍による。

また、1580年には、イングランド軍―オラニエ公ヴィレム(1533-1584)の同盟軍―により略奪が行われた(当時のイングランドの君主はエリザベス一世)。
いずれかの時に墓が壊されたのではなかろうか。メッヘレンはこの他にもスペイン軍、反乱軍双方に何度か占領されたようなので、その際に破壊されたのかもしれないが、いずれにしてもフェリペ二世(1527-1598 在位1556-1598)治世の可能性が高いように思われる。



フェーリーペー。御先祖の墓(血はつながってないけど)ちゃんと修復しろよな!
マーガレットはブルゴーニュ公国に尽くして(勿論ヨーク派の支援もしたが)、継娘亡き後も(義理の)婿のマクシミリアン一世を助けたのに。ブルゴーニュ公国がなかったら、後のハプスブルクの繁栄もなかったんだからねっ!ううっ、どうして修復してくれなかったんだよう(涙)





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