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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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『Good King Richard?』をAlibrisで注文

前から読みたかった、リチャード三世協会の前会長が書いたリチャード本。絶版。



Good King Richard?

Good King Richard?

Jeremy Potter(著)
ISBN: 0094646309 ハードカバー
Constable; 1983年
定価 £10.9 絶版
>>Amazonで見る    >>Amazon(米)で見る    >>Amazon(英)で見る


今回はAlibrisから注文。Abeのような古書店ネットワークのひとつだが、Alibris自体も古本の在庫を持っている。クレジットカード決済はAlibrisが代行。Alibrisでは、Visa, Master, Amex, Discoverの他、JCBも使える。



この本は結構出回っているのだが、迷った末に、ミネソタの古書店に「Near Fine in Very Good Dust Jacket. Remainder mark.」というのを注文。
Alibris経由で $10.35 送料 $7.49(3-4 weeks) 計$17.84



【追記(2010.10.29)】
"Alibris 送料"で検索してこちらに来られる方がいるようなので記載。
Alibris の日本への送料(書籍の場合)は、しばらく前から下記のようになっています。
Standard International(3-4 weeks):$12.99
Priority International(About 2 weeks):$19.99
料金一律で、2冊目以降も同料金です。
変更があるかもしれませんから、ご注文前には改めて Alibris の Shipping Information をご確認ください。





UKの書店にLITTLE USEDというのがあり、かなり迷った。微妙な表現だ…20年以上前のハードカバーのLITTLE USEDってどんなだ?こちらの店にはそのうち購入しようと思っていたリチャード本、Bertram Fieldsの"Royal Blood: Richard III and the Mystery of the Princes"もあって、余計に悩む(こちらもLITTLE USED笑)。
他にも、少し値段が高くなるが、本体Near Fine、ジャケットFine、詳細な説明つきの、かなりきれいそうな本もあったのだが、”with owner inscription on ffep”とある。Inscribed なら普通は著者のサイン(と献辞)だが、本の「見返しの遊び」に前の所有者のサインか書き込みがあるってことだよな、これは。他に良さそうなものがなければ気にしないで買うのだが。



結局、ミネソタの書店に決める。本体Near Fineだし、jacket(カバー)はよれててもいいし、Remainder markつきでも、まあいいや。"Royal Blood"は普通に入手できるし。
ちなみにRemainder markというのは、売れ残りの本を出版社がディスカウントして売るとき(いわゆるバーゲンブック)につけられるマーク。本の地(底部)か天(上端)にマーカーやスタンプで印がついている。



ところで、このミネソタの古書店からは、Amazon.com(米)マーケットプレイスにもAbebooksにも同じ本が出品されていた。
Alibrisでは送料 $7.49(3-4 weeks)。Abeでは送料 $9.00 (21-36 business days)。Amazonでは送料 $9.79 (3-6 weeks)
今回はAlibrisの送料が一番安かったので、Alibrisで買うことにする。一度Alibrisも試してみたかったし(購入は今回が初めて)。書店の評価はAlibrisでは5段階の3だが、Amazonでの評価は良いのであまり気にしないことにする。
どんな本が来るか、楽しみ。



【追記】2005.10.31



[注文の経過]



10/26(米は25日夜):注文♪
10/31夜(米は31日早朝): Contacting Sellerの表示のまま。そして、Amazon(米)マーケットプレイスとAbebooksからはデータが消えている……
ちゃんと確保できたんだろうか。2-3日で発送になってたんだけど?



これはたまたま遅いのか。それとも、Alibrisを経由すると在庫確認も発送も遅いという噂はやはり本当なのか?Abe(もしくはAmazon)経由で頼むべきだったか?むむ。
前回Abeに頼んだ時にスムーズだっただけに、余計に気になる。発送は多少遅くなってもかまわないから、本を確保できたかどうか知らせてくれよぉ。 なかったら他の店で頼むから。



【追記】2005.11.10



11/6:Contacting Sellerのまま。本が確保できたのか気になって、カスタマー・サービスにメールで状況の問い合わせをする。



11/7深夜:カスタマー・サービスから回答。
「Sellerは在庫を確認済みです。ご注文の本は私達のwarehouse(倉庫)に送られたか、もしくは、送られます」
「海外に発送される本は2-3日のうちにSellerから私達のwarehouseに送られます。warehouseに到着するまでに平均して4-21日かかり、到着するとすぐにあなた宛に発送されます。ご注文からお受け取りまでは通常2-4週です」
本が確保された、ということで一安心。だが、アメリカ国内(またはカナダ)のSellerからAlibrisに到着するまでに3週間もかかる、ことがある?うーん。なんでそんなにかかるんでしょ。



11/9:Alibrisから「発送しました」とメール。表示もShippedに変更。



【追記】2005.12.21



到着~
注文から9週間、発送連絡から6週間。



実は、Alibrisのサイトには「発送から30日たって到着しない場合はご連絡ください(国内の場合45日以内しか補償されません)」とあって(海外発送の場合は60日以内補償)、そろそろカスタマー・サービスに連絡しないと駄目かなあ、と思っていた。
ちゃんと届いて良かった~



本の状態はとても良い。ジャケットはVery Goodだというが、端にほんの少し折れ目がある程度。本体はとてもきれい。ほとんど読まれてないみたいだなあ。
Remainder markも地(底部)にあるので、大して目立たない。満足(時間はちょっとかかったが)。
ちなみに$12.4の値札がついていた。割引になったらしい。



それにしても良く分からないのがAlibrisの配送システムだ。
Alibrisの配送センターはネヴァダ州にある。その配送センターの住所が書いてある宛名シールの他に、もうひとつシールが貼ってあって、シンガポールの配送会社と日本の配送会社の名前が併記してある。
Seller→Alibrisの配送センター→シンガポール→日本てことか?そして、国内は冊子小包で送られてる??
謎だ……




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リチャード三世 略史 2

[ 略史1 > 略史2 > 略史3 > 略史4 > 略史5 > その後



―北部統治―



ウォーリック伯の最初の反乱(1969年)の後から翌年にかけて、リチャードは、既にもっていた海軍司令長官(Admiral of England)職に加え、終身のイングランド武官長(Constable of England)や、ウェールズの重要な職のいくつかに任ぜられている。更に、エドワード4世が政権を回復した後には、終身のイングランド式部長官(Great Chamberlain of England)にも任命された。また、ウォーリック伯の所領の一部を付与された。
その後も所領の拡大や官職への任命があり、次第に北部地域の統治を委ねられるようになっていく。

なお、クラレンス公ジョージは、反乱に与したにも関わらず、以前の所領に加え広大なウォーリック伯の所領の多くを付与され最大の土地所有者となった。その後数年にわたり、リチャードとジョージの間で所領と官職を巡って対立が起き、最終的にイングランド式部長官職はジョージに与えられ、ジョージに付与されたウォーリック伯所領の一部がリチャードの所領となった。

1472年、リチャードはアン・ネヴィル(ウォーリック伯次女、ヘンリー6世王太子エドワードの元妃)と結婚、イングランド北部で暮らす。上記の所領を巡る対立には、ジョージの妻イザベルもアンもウォーリック伯の息女で共同女子相続者(coheiress)であったことが関係している。
(おそらく)1473年に、アンとの間の唯一の子、エドワード・オブ・ミドゥラムが生まれた。

リチャードは北部地域の統治に力を注いだ。中心都市であるヨーク市をはじめとして北部の経済振興を助け、法秩序の維持にも力を入れ、領民の信望を得た。教会への支援も行っている。
また、北部辺境地域はスコットランドの脅威に悩まされており、リチャードは北西部辺境防衛司令長官(辺境守護職 Warden of the West March against Scotland)として国境の防衛に携わった。特に1480年から1482年にかけては、侵入したスコットランド軍の撃退と2度のスコットランド遠征が行われたが、リチャードは軍事面で勝利を収め、外交面でも奔走し、国王と北部地域の信頼を一層篤くした。



―クラレンス公ジョージの処刑―

リチャードが中央に顔を出すのは限られた機会のみとなったが、その1つが兄クラレンス公ジョージの処分に関する国王評議会および議会への出席である。

ジョージはウォーリックの反乱に与しエドワードと和解した後も、権力と富への野心が衰えず、様々な問題を引き起こした。エドワード4世はジョージの勢力を削ごうとしたため、両者は対立する。

1476年12月ジョージの夫人イザベルが死亡。その直後からジョージは外国の富貴な女性との再婚を2度にわたり計画するが、エドワード4世に阻止される。不満を募らせたジョージは不法行為を繰り返し、1477年6月、ついに逮捕されロンドン塔に送られた。国王評議会で、ジョージの処分については議会を開くこととなる。翌1478年1月の議会でジョージは大逆罪により告発され、処刑法案が可決された。リチャードはこれに公然と反対したと言われている。
2月18日、ジョージはロンドン塔で密かに処刑された(28歳)が、日付以外には詳細な記録がない。マルムジー・ワインの樽で溺死させられたという話が有名だが、これは当時の噂話が広まったと考えられている。

ジョージの処刑後、その広大な所領の多くは王室領となったが、一部はリチャードに与えられた。また、以前ジョージに引き渡したイングランド式部長官(終身)にも任ぜられた。その後もリチャードは北部の所領を拡大させ、北部最大の実力者としての地位を確立する。
一方、王妃の親族であるウッドヴィル一族も勢力を強め、次第にリチャードと対立するようになった。

:
1人目は、ブルゴーニュ公シャルル・"ル・テメレール"の息女マリー・ド・ブルゴーニュ(マリア・フォン・ブルグンド)。クラレンス公ジョージの姉マーガレットの義理の娘に当たる。彼女は、1477年、ハプスブルク家のマクシミリアン(後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)と結婚する。
2人めは、スコットランド王ジェイムズ3世の妹マーガレット。

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最終更新日:2009.2.24


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リチャード三世 略史 1

Richard III(1452.10.2 - 1485.8.22)
イングランド王在位:1483 - 1485

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―幼少期・第1次ばら戦争―

1452年10月2日、ノーサンプトンシャーのフォザリンゲイ城で誕生。第3代ヨーク公リチャード(エドワード3世の曾孫)とセシリィ・ネヴィルの末男。兄7名姉4名のうち5名が夭折しており、リチャードの後生まれたアルスラも生後すぐに死亡したため、兄3名姉3名の末子として育つ。
幼少期は第1次ばら戦争(1455-1464)の最中に過ごす。ヘンリー6世治世の1455年、父・ヨーク公リチャードが王位継承を求め挙兵した時は2歳。7歳の時にはヨーク軍が敗れ、母と、兄ジョージ、姉マーガレットと共に一時ランカスター派に捕らえられた。翌年8歳で父リチャードと次兄エドマンドが戦死。その後もヨーク軍が敗退したため、すぐ上の兄ジョージと共にブルゴーニュ公国へ亡命している。しかし、まもなく長兄エドワードが大勝利を収め、亡命生活は4ヶ月ほどで終わった。リチャードとジョージがイングランドに帰国した直後、兄エドワード(19歳)がエドワード4世として即位、ヨーク朝を樹立した(1461年6月)。同年、11歳のジョージはクラレンス公に、9歳のリチャードはグロースター公に叙されている。



―少年時代・第2次ばら戦争―

エドワード4世即位後は兄ジョージ、姉マーガレットと共にグリニッジ宮殿で生活したが、12歳(1465年)から16歳まで、ウォーリック伯リチャード・ネヴィル(母方の従兄弟)の下で、イングランド北部(ヨークシャーのミドゥラム城とシェリフ・ハットン城)で教育を受ける(1461年にミドゥラム城に送られたという説もある)。これがリチャードが北部地域との結びつきを強くするきっかけとなった。後に妃となるアン・ネヴィル(ウォーリック伯次女)と知り合ったのもこの時期らしい。

ウォーリック伯は広大な所領を有する大貴族で、エドワード4世擁立に最大の功績があり、一族は絶大な勢力を振るった。しかし、エドワード4世とウォーリック伯は次第に対立するようになり、1469年初頭にエドワード4世はリチャードを宮廷に連れ戻した。そして同年、ついにウォーリック伯は反乱を起こす。第2次ばら戦争(1469-1471)の始まりである。

ウォーリック伯の反乱には、王弟のクラレンス公ジョージも加わった。反乱の少し前にウォーリック伯は長女イザベルをジョージと結婚させている。この時点では、ジョージを王位に就け、娘を王妃にしようと考えていたようである。
ウォーリック伯は国王軍に勝利しエドワード4世を捕らえたが、まもなく和解しエドワードを釈放する。しかし、翌1470年にもウォーリックは反乱に加担し、国王軍に追われてクラレンス公と共にフランスへ亡命。そこでヘンリー6世妃マーガレット・オブ・アンジューと協定を結び、ヘンリー6世の復位を計画する。さらに、協定を強固にするため、ヘンリー6世王太子エドワード・オブ・ウェストミンスター(17歳)と次女アン・ネヴィル(14歳)とを婚約させた。

同年秋、ウォーリック伯とクラレンス公は軍を率いてイングランドに上陸。国王軍は敗退し、エドワード4世(28歳)はブルゴーニュ公国(妹マーガレットの嫁ぎ先)へ亡命することになる。そして、ヘンリー6世が国王に復位した。この亡命にはリチャード(18歳)も従い、翌年のエドワード4世の復位に貢献した。リチャードにとって2度目の亡命生活となった。

翌1471年春、勢力を盛り返したエドワード4世はリチャードと共に帰国する。リチャードがクラレンス公ジョージと会談して和解が成立し、ジョージはエドワード4世の陣営に加わった。4月14日、バーネットの戦(リチャードの初陣)でエドワード4世軍が勝利し、ウォーリック伯(42歳)は戦死、エドワード4世が復位する。5月4日のテュークスベリーの戦ではリチャードは前衛軍指揮官として活躍。この戦でヘンリー6世王太子エドワード(17歳)は戦死した。その後まもなく、ロンドン塔に幽閉中のヘンリー6世(49歳)が殺害されたとされている。
イングランド国内はひとまず平穏さを取り戻した。

[ 略史1 > 略史2 > 略史3 > 略史4 > 略史5 > その後

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リカーディアン的史観

このあたりで、リチャード三世の略史または年表を記載するつもりだったのだが、その前に リカーディアン(リチャード三世擁護主義者)の主張、史観について少し書いておこうと思う。テューダー史観シェイクピア版のリチャードについては既に触れたので。



リカーディアンの(おそらくは)典型的な考え方を把握しやすいと思うので、『リチャード三世「殺人」事件』、『時の娘』から引用したい。この2点の作品は小説だが、その元となっている考え方自体は作家の創造によるものではなく、研究者の数ある説の一部に則している(必ずしもメジャーなものばかりではないが)。




―リチャードの「罪」全般について―

きみが聞いてるのは、テューダー伝説ともいうべきしろものだからね。でっちあげられた極悪人だよ。サー・トマス・モアが『国王リチャード三世史』を書いたのはヘンリー八世の時代で、その時分には、リチャード三世は聖職売買と放火以外のありとあらゆる罪をかぶせられていた。モアいわく、リチャードはヘンリー六世とその息子を殺害した。妻と実の兄クラレンス公を殺害した。ふたりの甥を窒息死させ、王位を簒奪し、おのれの行為に異を唱えた貴族たちの首を刎ねた。
最近の歴史学者はね、そういう非難の大半についてリチャードの無実を認めているんだ。確かに貴族を何人か斬首刑に処しているし、そのなかにはエドワード四世妃の縁者だったウッドヴィル一族も含まれている。その連中がリチャードの暗殺を企てたからというのが理由だが、それを疑うべき根拠はまったくないね。
リチャード三世「殺人」事件

[ エドワード五世と弟王子の殺害は ]歴史上いちばん魅力的でいちばん謎めいた迷宮入り殺人事件なんだ。なにしろ証拠がまるでないんだからね。それを知っていた?リチャード三世が甥を暗殺した証拠はぜんぜん、まったく、ひとつも上がっていない。一方的な中傷と噂だけで―
リチャード三世「殺人」事件

―リチャードの生活・行動全般について―

あらゆる観点から見て、彼は正常な教養の持ち主であり、生活も立派だったんだ。まったくのところ、彼は立派な政治家だったんだよ。イギリス[ イングランド ]北部をみごとに治めていた。才能ある高級将校であり、よき武人だった。それに私生活でも彼に不利になるようなことは何一つわかっていない。
時の娘

彼のことをひどく悪く言っている歴史家でさえも、彼がエドワード[ 四世 ]に献身的だったことだけは認めているからさ。二人はリチャードが十二、三歳だったころからあらゆる場合に味方同士でいるんだ。もう一人の兄弟はこいつはどうにもならん。[ クラレンス公 ]ジョージだがね。
時の娘

エドワード[ 五世 ]はほんの子供で―たった十二歳だからね、ひとりで統治するには少々若すぎる。摂政が必要だ。その摂政役の隠れもない候補者が、父方の唯一の叔父にしてエドワード四世の末弟―超一流の戦士で、最高の統治者で、妻と幼い息子に愛情を注ぎ、高潔かつ実直かつ人気者の、グロースター公リチャードだったわけだ。
リチャード三世「殺人」事件

リチャードの行動について知られる事実がすべて、稀有なる高潔さ、義侠心、勇気をそなえた男の横顔を浮き彫りにしているんだ。彼は十八歳にして一軍の指揮をまかされ、善戦した。兄王[ エドワード四世 ]のもとでイングランド北部を統治したが、公明正大を貫き、貴族の搾取に対抗すべく平民の権利獲得に心を砕いて、ヨーク家に対する永遠の忠誠を勝ち得た。芸術を擁護した。信仰心が篤かった。私生活の面でも―まあ、庶子は何人かいたが、あのころはそれが当然だったからね。だが、妻[ アン・ネヴィル ]をめとってからは―相手は幼なじみの娘なんだが、彼女が元気なうちはずっと彼女一筋だったし、亡くなったときは心の底から悲しんだ。息子を幼くして亡くしたときは悲嘆にくれた。裏切りと背信行為が横行した時期にも、長兄のエドワード四世に対する忠誠心を忘れなかった。
リチャード三世「殺人」事件

―リチャードとクラレンス公ジョージ―

リチャードのすぐ上にクラレンス公ジョージという兄がいるんだが、これが、王位をよこせと長兄に反旗をひるがえしてね。このときリチャードは、考えなおすようにクラレンス公を説得するんだ。で、クラレンス公の謀反に激昂したエドワードがついに処刑を命じると、リチャードはただひとりクラレンス公の擁護に立ちあがる。
リチャード三世「殺人」事件

ウォーリック[ 伯(リチャード・ネヴィル) ]はとうとう、ウッドヴィル一族[ エドワード四世妃エリザベスの親族 ]に我慢できなくなったのだ。かつて彼は自分のいとこのエドワード[ 四世 ]を擁してイギリス[ イングランド ]国王の座につけた。そして、同じく、あっさりと彼を退位せしめた。この目的達成のために彼は全ネヴィル家の力を借り、とくに、(中略)[ クラレンス公 ]ジョージの実際上の助力に大いに預かったのである。ジョージは兄エドワードに忠実たるよりは、ウォーリックのもう一人の娘イザベル[ アンの姉 ]と結婚することによってモンタギュー、ネヴィル、ボーシャンプ[ (ビーチャム) ]の半分を継げる身になるほうが割りのいい賭けであると決めたのだ。十一日間のうちに、ウォーリックは驚く全イギリスを手中に把握し、そして、エドワードとリチャードとはアルクマルとヘーグ[ ハーグ ]とのあいだの十月の泥地をさまよう身となっていたのである。(中略)
エドワードがたかだか一握りの味方を従え、ふたたび、イギリス[ イングランド ]の野に陣営を張ってジョージのひきいる軍勢と対峙したとき、ジョージの陣におもむいて、[ 姉の ]マーガレットのおかげで気が弱くなっていたジョージを説き伏せ、同盟を回復してロンドンへの道をひらくよう交渉に当たったのもリチャードだったのだ。
時の娘

グラントはくだんの一節[ トマス・モアの『リチャード三世史』の一節 ]を捜し出して、読み上げた。

(略)リチャードは兄[ クラレンス公ジョージ ]の死刑に公然と反対したが、それは当然ながらやや無気力な反対のしかたで、実はおのれの利益のほうを真剣に考慮していたとみなされる。しこうして、かくのごとく思いめぐらすとき、リチャードはすでにエドワード王在位中に、万一、兄王が(その暴食が生命を縮めることを彼は予見した)その子供たちの幼時に死去することのあらば、みずから王たらんと久しくうかがっていた、と考えられるのである。よって、この意図のため、彼はクラレンスの死を喜んだと察しられる。(略)

(中略)「この想像たくましき説のなかで一ヶ所だけ、たしかな書き方がされているところがあるのに気がついたかね?」(中略)「リチャードが兄ジョージの死刑に公然と反対した、というところでしょう?」「その通り」「もちろん、そのあとの"とみなされる"式の書き方のおかげで、あとに残る印象はまるきり逆になってしまいますからね」
時の娘

―王位「簒奪」について―

一四八三年六月のなかばごろ(中略)エドワード四世とエリザベス・ウッドヴィルが結婚していなかったことが発覚するんだ。(中略)じつはエドワードは、それ以前に別の女性と婚約していたんだが、当時は婚約といえば結婚と同じ拘束力があってね。ということは、エドワード四世の息子たちは非嫡出子であり、年若きエドワード五世には王位につく権利がないわけだ。
テューダー朝の御用史家によれば、この話はリチャードのでっちあげということになるが(中略)あらゆる状況から見てこれは事実だ。(中略)この申し立ては議会でも認められて、リチャードが正当な王位継承者であることを宣言する名義国王(ティトゥルス・レギウス)という正規の条令として成文化された。リチャードの兄はひとりも生きていない。クラレンス公ジョージには子供がいるが、彼らは王位継承者からはずされている―父親が逆賊として処刑されたからね。エドワード四世の子供たちが庶出だということになれば、正当な継承者はリチャードその人しかいなくなる。
リチャード三世「殺人」事件

もしヘンリー[ 七世 ]が主張したように、リチャードの継承権が不当なものであったのなら、[ 王位 ]継承令[ (ティトゥルス・レギウス) ]を公開の場で再読させ、その虚偽を声を大にして叫べばよいことだ。だのに、ヘンリーはそれをしなかった。彼は継承令の記憶さえ抹殺しようとして、果てしなく苦労していた。そこで結論は、王位継承令[ (ティトゥルス・レギウス) ]に示されたリチャードの継承権はなんら疑いのないものだとなるのは当然である。
時の娘

[ ]内は秋津羽が記載



なお、『リチャード三世「殺人」事件』からの引用は全て、熱烈なリカーディアンである大学教授トマスの言葉である。説明相手がテューダー史観を持ち出してくるので、途中かなり熱くなっている(笑)。

「だから、[ 王子達を ]窒息死なんかさせてないんだってば!」トマスは叫んだ。
リチャード三世「殺人」事件

『Richard III

昨日、Abebooksに注文していた『Richard III: A Source Book』が届いた。リチャード三世に関する一時史料を集めた本である。
9月21日に注文(『Richard III: A Source Book』をAbebooksで注文)して3週間、結構早かった♪



Richard III: A Source Book
Richard III: A Source Book
Keith Dockray
ISBN: 0750914793 ペーパーバック
Sutton Publishing; 1997年
定価 £12.99 絶版
>>Amazonで見る  >>Amazon(米)で見る   >>Amazon(英)で見る

1988年に出版された『Richard III: A Reader in History( Amazon(米)Amazon(日本) ISBN: 086299313X)』の改訂版らしい。



裏表紙には"a useful introduction to the controversy ... an informative and valuable addition to the literature on Richard III"というRichardian誌の書評が載せられている。



目次は次の通り


  • Preface (序文)


  • Abbreviations (引用文献の略称)


  • Introduction: Sources and Historiography


  • Richard III: the Man and the King


  • Richard of Gloucester and the End of the House of Lancaster, c. 1469-71


  • Richard of Gloucester, Clarence and the Court, c. 1471-83


  • Richard of Gloucester, the North and Scotland, c. 1471-83


  • The Political Legacy of Edward IV, April/May 1483


  • Richard of Gloucester as Protector, May/June 1483


  • The Usurpation of Richard III, June 1483


  • Richard III's Early Months as King, June-October 1483


  • The Fate of the Princes in the Tower


  • Buckingham's Rebellion, October 1483


  • Politics, Patronage and Government during the Reign of Richard III


  • Richard III, France and Scotland


  • Henry Tudor Earl of Richmond, the Battle of Bosworth and the End of Richard III


  • Bibliography (参考文献)


  • Index (牽引)


年代別、主題別にまとめられており、分かりやすそうな構成である。
単に当時の史料が掲載されているわけではなく、各章とも、関連する史料の抜粋の前に、それらの史料のまとめが筆者により書かれている。
ありがたいことに、当時の史料は現代英語に直してある。中英語(11-15世紀あたりの英語)だったらかなり困るところだった。役に立ちそう。かなりマニアックだと思うが(笑)。



【追記】 2005.10.23



"Introduction"と"Richard III: the Man and the King"で、これまでの研究の概説が述べられている。
が、"perhaps the most controversial ruler England has ever had"というのをひたすら再認識させられる、というか。良く分からない、というのが、良く分かる(笑)。



当時の書簡とか備忘録のような史料がたくさん掲載されているといいな、と淡い期待を抱いていたのだが、残念ながらそういうのはごくわずか(とは言っても、読み応えは十分)。



多く引用されているのは、
・ドミニク・マンキニ Dominic Mancini の 『リチャード三世の王位簒奪 The Usurpation of Richard III
・フィリップ・ド・コミーヌ Philippe de Commines の『回想録 Memoirs: The Reign of Louis XI
・『クロウランド年代記 Crowland Chronicle
・ジョン・ラウス John Rous の 『Rous Roll 』と 『イングランド国王の歴史 Historia Regum Angliae
・『ロンドン大年代記 The Great Chronicle of London
・ロバート・フェビアン Rober Fabyan の『イングランドとフランスの新年代記 The New Chronicles of England and of France
・『ヴィテリウスA16 Vitellius A XVI : Chronicles of London
・ポリドール・ヴァージル Polydore Vergil の『イングランド史』
そして、トマス・モア Thomas More の(悪名高き)『リチャード三世史 History of King Richard the third  』



やはり、テューダー朝下で書かれた著作が多い。が、まあ、仕方ないでしょう。
そもそも、リチャード三世は自身の年代記作家を持つ時間がなかったし、短い治世(しかも不安定な)であまり記録が残っていない上に、その記録も混乱しているのだ。



前から読みたいと思っていたTitulus Regius (王位継承法, 王位承認法)は、抜粋が掲載されているだけだ。しかも"Rolls of Parliament: Act settling the crown on Richard III and his dscendants"と書かれていたので、最初気づかなかった。
が、灯台下暗しと言うか、リチャード三世協会・アメリカ支部The Richard III Foundationのサイトにしっかり全文が掲載されているのを見つけた ▽






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王家の家系と家系図

ヨーク家とランカスター家の家系図を記載しようと思ったのだが、このブログのスペースでは書ききれないので、別スペースに家系図を記載することにした。ご参考にどうぞ。
こちら▽



プランタジネット家ランカスター家ヨーク家 1ヨーク家 2



ボーフォート家テューダー家



“キング・メイカー” ウォーリック伯の系図ウッドヴィル家



(漸次更新)



当初できるだけ分かりやすく簡単な系図にしようと思ったのだが、あまり省略するのもなんだし、と作っているうちに、結構かなりややこしくなってしまった。
というか、そもそも血縁関係がかなり複雑で……(言い訳)


ランカスター家ヨーク家と分けられているものの、いずれもプランタジネット王家の一族で、プランタジネット朝第7代の王、エドワード三世の息子の子孫にあたる。



プランタジネット朝というと、ヘンリー二世からリチャード二世までの8代を指すことが多い。しかし、ランカスター朝(3代)、ヨーク朝(3代)を含めた14代をプランタジネット朝と呼ぶ場合もある。
ランカスターの王もヨークの王も、プランタジネット朝の男系の子孫のためだ。
リチャード三世はしばしばプランタジネット朝最後の王と呼ばれる。



英国では(イングランド王国でも、現在のUKでも)、女性の血統を介して王位が継がれた場合は家名が変わる。
例えば、ヴィクトリア女王(ハノーヴァー朝)の長男エドワード七世が王位に就くと、女王の夫アルバート公の家名をとってサクス・コバーグ・ゴータ王家となった。ちなみに、サクス・コバーグ・ゴータ王家は、ジョージ五世時代、第一次世界大戦中に、敵国ドイツの家名であるサクス・コバーグ・ゴータからイギリス風のウィンザーへと家名を変えた。これが現在のイギリス王室である。



ランカスター朝もヨーク朝も、女系の子孫に王位が継がれたわけではないので、本来プランタジネット朝の一時期に相当する。
ランカスターはエドワード三世の4男の家系。ヨークは5男の家系で、更に、第3代ヨーク公リチャード(エドワード四世とリチャード三世の父)は母方からエドワード三世の3男の血も引いている。
しかし、この時期はばら戦争が起こり、二系統の一族の間で王位継承が争われ、国内の貴族達をも二分する抗争が繰り返された(そして漁夫の利を収めたのがテューダー…)。そのため、この時期の状況を考察する際に混乱を避ける(というか少なくする)ために、ランカスター朝、ヨーク朝と分類されるようになったらしい。




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Happy Birthday Richard! ―フォザリンゲイ―

今日はリチャード三世の誕生日です。
という言い方が適当なのかどうか分からないが、1452年10月2日生まれなので、生誕553年。



リチャードは第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリィ・ネヴィルの8男として生まれた。8男5女のうち6名が夭折しており、兄3名姉3名の末子として育つ。
兄はエドワード4世、エドマンド(ラトランド伯)、ジョージ(クラレンス公)。 姉はアン(エクセター公ヘンリー・ホランド夫人)、エリザベス(サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポール夫人)、マーガレット(ブルゴーニュ「突進公」シャルル妃)。




生地はノーサンプトンシャーのフォザリンゲイ城だが、現在は土塁(motte)しか残っていない。
Castle Keep(城の本丸に相当する)の石が鉄柵に囲まれて保存されている。



the remains of Fotheringhay Castle

フォザリンゲイ城跡 (motte)
Original photo by moirabot
under CC-BY-NC-SA license



Masonry from the Castle Keep (Fotheringhay Castle)

フォザリンゲイ城のCastle Keepの石
Original photo by moirabot
under CC-BY-NC-SA license



フォザリンゲイ城はヨーク家の居城だった。ヨーク家との関わりは、1377年、エドワード三世が五男エドマンド・オブ・ラングリー(初代ヨーク公)にこの城と所領を与えたことに始まる。当初木造だった城は、初代ヨーク公により石造りに替えられた。



この城は、1587年にスコットランドのメアリ女王が処刑されたことでも知られている。そのためにジェイムズ一世(メアリの息子。スコットランド王としてはジェイムズ六世)が城を破壊したとも言われているが、城が荒廃したために1627年に壊されたという話もある。





当時の建築物で残っているのは、フォザリンゲイ・チャーチ Fotheringhay Church (St. Mary and All Saints Church)のみである。



フォザリンゲイ城の復元図はこちら>>(リチャード3世協会のサイト)



◇ こちら↓で現在のフォザリンゲイの写真が見れる(フォザリンゲイ城の跡地やフォザリンゲイ・チャーチ)。



  • フォザリンゲイ(Fotheringhay)の写真 (www.northamptonshire.co.ukのサイト)
    教会のYork windowの写真(一部)もあり、ヨーク家の白バラやリチャードの白猪、王家の紋章盾などのステンドグラスが見れる。但し、当時のステンドグラスは残っておらず、近年つくられたものである。画像をクリックすると拡大画像が見れる。
    ↑一時、サイト閲覧できなくなっていましたが復活しています(^^) (2006.4.17確認)


  • Fotheringhay Castle (Castle UK.net より)
    フォザリンゲイ城跡の写真と地図。いきなり音が出ることがあるので注意。


◇ blogzinemapで フォザリンゲイの場所を見る
 初期状態は衛星写真(サテライト)。右上のボタンで地図(マップ)表示に変更できる。(google mapsを利用した地図サービス)





せっかくなので、10月2日生まれの人物を調べてみた。



  • まず有名なのが、マハトマ・ガンディー(1869-1948)

  • 『第三の男』等で知られるグレアム・グリーン(1904-1991)

  • 作家の円地文子(1905-1986)

  • 最近では、デザイナーのダナ・キャラン(1948-)

  • あと、スティング(1951-)!


その他、知らない人がたくさん……例えば



  • エドワード・タイラー(1832-1917):イギリスの人類学者

  • ウィリアム・ラムゼー(1852-1916):イギリスの化学者。希ガス元素(アルゴン、ヘリウム、クリプトン、ネオン、キセノン)の発見で1904年ノーベル化学賞受賞。

  • コーデル・ハル(1871-1955):F・ルーズベルト時代のアメリカの国務長官。国連の発案者の一人で1945年ノーベル平和賞受賞。

  • チャールズ・ドレーパー(1901-1987):アメリカの航空学者。彼を記念して「ドレーパー賞」(全米工学アカデミーNAEが授与する工学分野の科学賞)が創られた。

  • アレクサンダー・トッド(1907-1997):イギリスの生化学者。ヌクレオチドとその補酵素に関する研究で1957年ノーベル化学賞受賞。


最終更新日:2008.1.26


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