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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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ロンドン塔 2

ロンドン塔1 > 2 > 



[ ホワイト・タワー | ブラッディ・タワー | ジュエル・ハウス ]





ホワイト・タワー



ロンドン塔の中心にあるタワー(これも"塔"ではなく、"城砦"の意)。ウィリアム一世が築いたロンドン塔の原型である。日本の城でいうと天守閣に相当する。
"ホワイト"タワーという名にも関わらず白くはないが、建設当初は、ウィリアム一世の故郷ノルマンディの白い石材で作られ、後に現在の石に積み替えられたという。 13世紀にヘンリー三世が外壁に漆喰を塗った際、白壁となったことに由来するとか。つまり、昔は白かったと。(2006.1.31 加筆修正)



入口は敵の進入を防ぐために地面より高い位置に設けられ、木製の階段で出入りしたとのこと。内部には火薬庫にもなった貯蔵室や、王室の婚約や葬儀などの儀式が行われたセント・ジョン礼拝堂が残っている。豪華な造りから2階に君主の居住空間があったと推測されている。
5階建てで、高さ27.4m、幅35.9m、奥行32.6m。
現在は、内部に武器や断頭台が展示されている。







ブラッディ・タワー



ロンドン塔の王子達」エドワード五世と弟のヨーク公リチャードが幽閉されていたと伝えられる
二人の王子は、1483年(リチャード三世戴冠の年)の夏にロンドン塔で遊ぶ姿が確認されている。しかし、その後二人の消息は途絶えてしまい、王子達はリチャード三世により殺害された、という説が広く流布している
時代が下り1674年、チャールズ二世の治世に、ホワイト・タワーの階段の下から二人分の子供の骨が見つかった。当時の医師により年齢は10歳と12歳位だと判断され、遺骨は二人の王子のものとして、王家の寺院であるウェストミンスター・アベイに埋葬された。しかし、現在の医学的見地からいうと、問題の骨が二人の王子とする根拠は乏しい。



 【関連記事】 ロンドン塔の王子達の骨 1



王子達がどうなったのかについては、「リチャード三世殺害説」以外にもいくつもの説があるが、実際のところは誰にもわからない



ロンドン塔の公式サイトには次のような記述があることを書いておきたい。

Richard III's most infamous alleged crime was the murder of his nephews, the deposed Edward V and his brother Richard of York. Since there is no real proof of the crime, a healthy debate still exists as to his involvement.
Richard III - Monstrous Monarch?



リチャード三世のもっとも忌まわしい犯罪と噂されているのは、彼の甥達―廃位されたエドワード五世と弟のヨーク公リチャード―の殺害である。犯罪の証拠はないため、彼の関与について、活発な論争がいまだに行われている
(秋津羽 訳)

なお、 UK NOW(UK政府公認の情報サイト)には次のように記述されている。

1483年には国王エドワード4世の2人の子息がいわゆる「流血の塔」で殺され、200年以上たってから、これらの王子の遺骨と推定される2つの骸骨が「ホワイト・タワー」の階段下に埋められているのが見つかりました。
UK NOW 英国Q&A/観光情報、歴史、遺跡

「叔父のリチャード三世により殺され」と書かれていないところがポイントだろうか(笑)



ジュエル・ハウス



王室の宝飾品が展示されている。エリザベス二世女王が使う王冠も、使用時以外はここに展示されている。戴冠式で着用される金糸のローブや王笏、宝珠なども収蔵されている。
世界最大のダイヤモンド「アフリカの巨星(Great Star of Africa)=カリナンⅠ」は王錫に、世界で2番目に大きなダイヤモンド(Lesser Star of Africa=カリナンⅡ)は王冠にはめ込まれている。





リンク: 卒業旅行-ロンドン塔 (Carpe diem) : ロンドン塔についての記事(写真付き)



ロンドン塔1 > 2 > 



最終更新日:2006.3.26


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ロンドン塔 1

[ ロンドン塔1 >



Tower of London (ロンドン)



ロンドンのテムズ川北岸に位置する城砦。
タワーというと細長く高い塔の印象が強く、訳語もロンドン"塔"となっているが、""であり"要塞"である。



The Tower of London on Sunny Summer Day


  Buy this Photographic Print at AllPosters.com



ここにはローマ時代から要塞が置かれていたが、現在の建物の基礎が築かれたのは11世紀のことだ。1066年、イングランドを征服したノルマンディ公ギヨーム Guillaume がウィリアム一世として即位した。自治組織のあるロンドンで王権を誇示し、外敵から身を守るため、ウィリアム一世は要塞と居城を兼ねた強固な石造りのホワイト・タワーを築いた(1078年)。
その後、歴代の王により城砦は拡張されていく。13世紀までに城壁と堀が設けられ、14世紀には埠頭が建設された。




ロンドン塔は、要塞、牢獄、処刑場、武器庫など様々な役割を果たし、動物園や造幣局が造られたこともあるが、最も良く知られているのは牢獄としての使用だろう。ロンドン随一の堅固な砦として、中世末から、国事犯や宗教上の異端者を中心として、王族・貴族など高位の人物が多く投獄され処刑された。
しかし、もともと王宮の一つであり、15世紀末までは歴代の王が居を構えていた。その後もステュアート朝のジェイムズ一世(1566-1625)まで、居城として使われている。有事の際の王家の避難場所でもあった。
「血塗られた場所」としての印象が非常に強くなるのは、16世紀以降のことだ。多くの反逆者、国事犯が入獄時に通されたことで有名なトレーターズ・ゲート(逆賊門)は、1533年、ヘンリー8世の時代に造られたものである。 1275年から1279年の間に、エドワード一世によりセント・トマス・タワー(エドワード一世治世に国王の滞在用に建設)の水門として造られた。後に、多くの囚人がこの水門を通って収監されたため、"トレーターズ・ゲート"と呼ばれるようになったとのこと。17世紀初頭までには、"トレーターズ・ゲート"の名が一般的になっていたそうだ。(2006.1.31 加筆修正)



1988年に世界遺産に登録された。
 >>TBS世界遺産アーカイブ ロンドン塔 第266回(2001年09月09日)



URL: http://www.tower-of-london.org.uk/webcode/tower_home.asp (英語)
住所:Tower Hill, London
地下鉄Tower Hill駅そば



◇ blogzinemapで ロンドン塔の場所を見る
 初期状態は衛星写真(サテライト)。右上のボタンで地図(マップ)表示に変更できる。(google mapsを利用した地図サービス)



[ ロンドン塔1 >




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"ロンドン塔の王子達"の絵画 2

"ロンドン塔の王子達"の絵画 1 > 絵画 2 > 絵画 3 > 絵画 4 > 絵画 5エドワード五世の肖像



「ロンドン塔の王子達」 ‐ エドワード五世と弟王子ヨーク公リチャード ‐ の絵。こちらも比較的良く知られている作品。



The Princes in the Tower



ロンドン塔の王子達



ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais)作
1878年



ロンドン大学 ロイヤル・ホロウェイ・カレッジ(Royal Holloway, University of London)蔵



ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829-96, 英)は、ラファエル前派を代表する画家の一人である。最も有名な作品『オフィーリア Ophelia』(テイト・ブリテン Tate Britain 所蔵)は、イギリス絵画の最高傑作の一つとも言われている。
シェイクスピアの『ハムレット』に題材を得た作品だ。

あの子は花を抱いたまま
泣きさざめく流れにまっさかさま
裳裾は大きく広がって
しばらくは人魚のように川面に浮かびながら
古い歌をきれぎれに口ずさんでいました
ハムレット」 第4幕7場 小田島雄志 訳

Link: ミレイ「オフィーリア」美の巨人たち 2000.12.23放送)



 ジョン・エヴァレット・ミレイの絵を見る >> (Tate Collection)



 ジョン・エヴァレット・ミレイの絵を見る >> (Art Renewal Center)



【関連書籍(ジョン・エヴァレット・ミレイ)】



John Everett Millais


John Everett Millais (British Artists) by Christine Riding
表紙の絵は『オフィーリア Ophelia』





Sir John Everett Millais

Sir John Everett Millais (Pre-Raphaelite Painters Series) by Russell Ash
表紙の絵は『The Bridesmaid』 (Bridesmaidとは花嫁の付き添い人のこと)



"ロンドン塔の王子達"の絵画 1 > 絵画 2 > 絵画 3 > 絵画 4 > 絵画 5エドワード五世の肖像



最終更新日:20066.8




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"ロンドン塔の王子達"の絵画 1

[ "ロンドン塔の王子達"の絵画 1 > 絵画 2 > 絵画 3 > 絵画 4 > 絵画 5エドワード五世の肖像



「ロンドン塔の王子達」 ‐ エドワード五世と弟王子ヨーク公リチャード ‐ を描いた絵のなかで、おそらく最も有名なもの。



The Children of Edward
(King Edward V and the Duke of York in the Tower of London)



ロンドン塔の王子達 The Children of Edward



ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)作
1831年



ルーヴル美術館 収蔵: 日本語解説あり


ウォレス・コレクション Wallace Collection 収蔵: 英語解説あり



Web Gallery of Art リンク先の画像をクリックすると高解像度の大きな絵が見れます


The Art Renewal Center で高解像度の大きな絵が見れます 注)動作が重いです



扉の下の細い隙間から明かりが見え、そこに(暗殺者の)足の影が映っている(絵の左下)。犬がそちらを見ている。
大きな画像で見るとわかります。Web Gallery of Artの拡大画像が見やすいです。






フランス人画家ドラローシュ(1797-1856)は、ロンドン塔の歴史に興味を持ち、「九日女王」ジェイン・グレイの処刑も描いている(ロンドン, ナショナル・ギャラリー蔵)。この「ロンドン塔の王子達」の絵は2枚描かれており、ルーヴル美術館とウォレス・コレクション(ロンドン)にある。
ドラローシュは、「ロンドン塔の王子達」を題材にして、約20年後に別の絵も描いている。そちらは、プーシキン美術館(モスクワ)にある。
 >>"ロンドン塔の王子達"の絵画 4



彼の晩年の絵、「若き殉教の娘 Young Christian Martyr」(ルーヴル美術館蔵)は美しい(後述のジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』と比較されることの多い絵である)。



余談だが、「落穂拾い」や「晩鐘」(いずれもオルセー美術館蔵)で有名なジャン=フランソワ・ミレーは、当初、ドラローシュに師事した。
オルセー美術館のサイトはこちら>> 『落穂拾い』 『晩鐘』   注)動作がかなり重いです



 ポール・ドラローシュの絵 >> (Web Gallery of Art)


 ポール・ドラローシュの絵 >> (The Art Renewal Center)


 ポール・ドラローシュの絵 >> (ウォレス・コレクション): リンク先で"Works of Art"をクリックすると画像が見れます



夏目漱石は小品『倫敦塔』において、ドラローシュのこれらの絵からイメージを得ている。
長くなるが詩的で美しい文なので、「王子達」の描写を引用したい(注:兄弟の描写は、ドラローシュの絵と逆になっている)。
 >> 『倫敦塔』(青空文庫):全文を読むことができる


やがて煙のごとき幕が開いて空想の舞台がありありと見える。窓の内側は厚き戸帳が垂れて昼もほの暗い。窓に対する壁は漆喰も塗らぬ丸裸の石で隣りの室とは世界滅却の日に至るまで動かぬ仕切りが設けられている。ただその真中の六畳ばかりの場所は冴えぬ色のタペストリで蔽われている。地は納戸色、模様は薄き黄で、裸体の女神の像と、像の周囲に一面に染め抜いた唐草である。石壁の横には、大きな寝台(ねだい)が横わる。厚樫の心(しん)も透れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触(ふ)るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見えて来た。一人は十三四、一人は十歳(とお)くらいと思われる。幼なき方は床(とこ)に腰をかけて、寝台の柱に半ば身を倚(も)たせ、力なき両足をぶらりと下げている。右の肱(ひじ)を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金にて飾れる大きな書物を開げて、そのあけてある頁の上に右の手を置く。象牙を揉んで柔かにしたるごとく美しい手である。二人とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣(うわぎ)を着ているが色が極めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、さては眉根鼻付から衣装の末に至るまで両人共ほとんど同じように見えるのは兄弟だからであろう。
 兄が優しく清らかな声で膝の上なる書物を読む。
「我が眼の前に、わが死ぬべき折の様を想い見る人こそ幸あれ。日毎夜毎に死なんと願え。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るる……」
弟は世に憐れなる声にて「アーメン」と云う。折から遠くより吹く木枯しの高き塔を撼(ゆる)がして一度(ひとた)びは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪のごとく白い蒲団の一部がほかと膨れ返る。兄はまた読み初める。
「朝ならば夜の前に死ぬと思え。夜ならば翌日(あす)ありと頼むな。覚悟をこそ尊べ。見苦しき死に様ぞ恥の極みなる……」
弟また「アーメン」と云う。その声は顫(ふる)えている。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方(かた)へ歩みよりて外(と)の面(も)を見ようとする。窓が高くて背が足りぬ。床几を持って来てその上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠れる犬の生血にて染め抜いたようである。兄は「今日もまたこうして暮れるのか」と弟を顧みる。弟はただ「寒い」と答える。「命さえ助けてくるるなら伯父様に王の位を進ぜるものを」と兄が独り言のようにつぶやく。弟は「母様に逢いたい」とのみ云う。この時向うに掛っているタペストリに織り出してある女神の裸体像が風もないのに二三度ふわりふわりと動く。





【関連書籍(ポール・ドラローシュ)】


Paul Delaroche

Paul Delaroche, 1797-1856: Painting in the Wallace Collection by Stephen Duffy


表紙の絵は『ローヌ川に浮かぶリシュリュー枢機卿の御座船 The State Barge of Cardinal Richelieu on the Rhone』
リシュリュー枢機卿はこの表紙では左端で見えない





1861890079

Paul Delaroche by Stephen Bann
 >>Amazon(英)で見る


表紙の絵は『レディ・ジェイン・グレイの処刑 The Execution of Lady Jane Grey』




[ "ロンドン塔の王子達"の絵画 1 > 絵画 2 > 絵画 3 > 絵画 4 > 絵画 5エドワード五世の肖像



最終更新日:2010.7.1



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エドワード五世の肖像

エドワード五世の肖像画は、 有名ではない。むしろよく知られているのは、「ロンドン塔の王子達」を描いた絵だ。
肖像画には次のようなものがある。



Edward V
ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵


16世紀末のものとされている。とすると、死後100年前後の絵ということになる。
展示されてはいない。 モンタキュート・ハウス(Montacute House 、サマーセット)に展示(2010年7月現在)。



ロイヤル・コレクションの肖像画 : John Swaine (1775-1860) の作。下記の銅版画と良く似ている。




◇ George Vertue (1683-1756) による銅版画


"The History of England"(1743)という本の挿絵として使われたもの。
"Edward V, King of England and France"と書かれている。
画像の下部に描かれている動物は、殺された2匹の子羊である。エドワード五世と、弟王子のヨーク公を象徴している。



いずれも、 死後大分たってからの絵であり、想像によるところが大きいと思われる。若年であったことに加え、王位についてまもなく、戴冠式前に退位となったため、当時の肖像画は残されていないのではないだろうか。
「ロンドン塔の王子達」の絵についてはこちら↓



【関連記事】





最終更新日:2010.7.1



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カレンダー撤去

サイドバーのカレンダーを撤去しました。ブログ人のカレンダーは現在の月しか表示されません(前月や翌月の表示ができない)。月別バックナンバーでも、その月のカレンダーではなく、現在のカレンダーのままです。毎日のように記事を書くならば別かもしれませんが、私のペースでは表示していてもあまり意味がないと思い、思い切って撤去しました。
少しはすっきりしたかなあ?

CSS変更点

今回のブログ人のメンテナンスに伴い、HTML構造やCSSが変更になっています。



 >>ブログ人の表示変更



主なCSS変更部分を分かる範囲でメモがわりにまとめてみました。


◇リンク色を指定する場合、本文部分とサイドバー部分をそれぞれ指定する必要があります。



[本文部分のリンク色]



a:link 例:a:link { color: #3333ff; }
a:visited (訪問済みリンク)
a:active (クリックした瞬間のリンク)
a:hover (カーソルをのせた時のリンク)



[サイドバー部分のリンク色]



.module a:link
.module a:visited
.module a:active
.module a:hover



◇サイトのタイトル部分(#banner)は変更がないよう。



◇クラス名も色々変更になっています。主な部分のクラス名は次のとおり。



[日付(h2部分)]



.date-header



[記事のタイトル(h3部分)]



.entry-header



["トラックバック"(h3部分)]



.trackbacks-header



["コメント"(h3部分)]



.comments-header



["コメントを投稿"(h3部分)]



.comments-open-header



[サイドバーのh2部分(私リストのタイトルや、"カテゴリ"、"最近の記事"、"最近のコメント"など)]



.module-header



[サイドバーの li 部分(私リストの各リスト名や、カテゴリ名、"最近の記事"のタイトルなど)]



.module-list-item



【追記】 2006.2.27



ブログ人の表示変更の記事にも追記しましたが、Six ApartのTypePad 1.6のサイトにCSSのまとめページがあり、わかりやすいです。TypePad version 1.6は現在のブログ人のベースとなっており、HTML構造やクラス名は基本的にブログ人と同じなので、役に立ちます。



 >>カスタムCSS講座 まとめSix Apart - TypePad




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