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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世)の家系 補記 2

《キャサリン・オブ・ヴァロアの再婚?》



ヘンリー5世はフランスへの遠征中に赤痢に感染し、35歳で死亡した(1422年8月)。その時、王妃のキャサリン・オブ・ヴァロアは20歳、王太子ヘンリー(ヘンリー6世として即位)は9ヶ月足らずの赤ん坊だった。



未亡人となったキャサリンは、宮廷の廷臣(納戸係事務官とも武官ともいわれる)オーウェン・テューダーとの間に3男2女をもうける(1女は夭折)が、二人が正式に結婚していたかどうかははっきりしない。
1428年、議会は、国王と評議会の承認がなければ王太后キャサリンの再婚を禁じる、という法令を可決した。1429年頃、もしくはそれより前に、キャサリンとオーウェンが秘密結婚(clandestine marriage)をしたという説があるが、証拠はない。




キャサリンは1436年にバーマンジーの修道院に入り(病気療養のためらしい)、翌年死亡する。オーウェンは一時投獄されるが、後に釈放された。後年、彼は、ばら戦争(第1期)においてランカスター軍を指揮するが、モーティマーズ・クロスの戦で捕らえられ処刑された。



キャサリンとオーウェンとの子のうち男子2名、エドマンドとジャスパーは、歴史上大きな役割を果たすことになる。
他に兄弟のいなかったヘンリー6世は異父弟を寵愛し、1452年、エドマンドをリッチモンド伯に、ジャスパーをペンブルク伯に叙した。王の異父弟かつ貴族としての地位を得たエドマンドは、1455年、名門サマセット公の息女マーガレット・ボーフォートと結婚するが、翌1456年11月に、捕らえられていたヨーク派の城で病死。約3ヶ月後に唯一の子ヘンリーが生まれた。後のヘンリー7世である。



ヘンリーの叔父ジャスパーは甥を後見した(但し、1461年から1470年にかけてはジャスパーは亡命しており、ヘンリーはヨーク派の貴族の下で養育されていた)。1471年のランカスターの再敗北 ‐ エドワード4世の復位後は、ジャスパーは少年のヘンリーを連れてブルターニュに亡命。1485年、ヘンリーのイングランド侵攻およびボズワースの戦の際にも甥を補佐し、ヘンリー即位後はベドフォード公に叙され、カーディフ城を与えられた。



キャサリン・オブ・ヴァロアの墓には、ヘンリー7世により、「オーウェン・テューダーと結婚した」旨の銘が加えられた。自身の血統の正当性を気にしていたヘンリーが、父のエドマンドが庶子でないことを示すためだったと言われる。



【関連記事】 キャサリン・オブ・ヴァロアの再婚? 2



最終更新日:2011.5.5


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ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世)の家系 補記 1

《ルウェリン・アプ・グリフィズ(ルウェリン・ザ・ラスト)の娘について》



ルウェリン(スィウェリン)・アプ・グリフィズ Llywelyn ab Gruffydd は北部ウェールズの首長であり、しばしば最後のネイティヴ・プリンス・オブ・ウェールズと言われる。ウェールズの他の領主を臣従させてプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)を名乗り、後にヘンリー3世がこの称号を公認した。この場合のプリンスは王子ではなく、「公国の君主」といった意味合いだ。



ヘンリー3世の息子エドワード1世は、1277年から1283年にかけてウェールズに侵攻。1282年ルウェリンは敗死し、弟のダフィズ(ダヴィズ)も翌年捕らえられて処刑された。これによりウェールズは平定され、事実上の独立は終わりを告げる。その後もイングランドへの反乱が何度も起こるが、1536年ヘンリー8世治世の「Act of Union(連合法)」により、ウェールズはイングランドに統合された。





ところで、ルウェリン・アプ・グリフィズの妃エレノアは、レスター伯シモン・ド・モンフォールとエレノア・オブ・イングランド(ジョン王の末子、ヘンリー3世の妹)の娘である。
ルウェリンとエレノア・ド・モンフォールとの間には一子があり、これが娘のグウェンリアン(グウェンスィアン) Gwenllianだ。彼女は修道院に入れられ生涯を過ごした。



今回テューダー家の祖先を調べていて、オーウェン・テューダーの曾祖母の母カトリン(キャサリン)が、ルウェリン・アプ・グリフィズとエレノア・ド・モンフォールの娘であるという説があるのを知った(系図には?つきで記載した)。これが本当ならば、ウェールズ最後の首長の血がテューダー家に流れている、ということになる。
が、エレノア・ド・モンフォールは、唯一の子グウェンリアンを出産した際に亡くなったとされている。カトリンがルウェリンの庶子という可能性もあるが、どうもはっきりしない。
個人的には、テューダー朝の(もしくは後世の)宣伝工作ではないか、と邪推している。



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ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世)の家系

ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世 1457-1509; 在位1485-1509)の家系図を別スペースに掲載した。
こちら▽
家系図(テューダー家)




母方のボーフォート家はよく知られており、調べるのに苦労しないのだが、父方は結構、いや、かなり、大変だった。
何が大変といって、アルファベットの綴りをみても、どう発音するのかわからない。ウェールズの名前は難しい。


ヘンリーの祖父Owen Tudorは、もともとのウェールズ語の名前をOwain ap Maredudd (Meredith)、もしくはOwain ap Maredudd ap Tudurという。"ap"というのは、「~の息子」を意味し、男性の名前で用いられる。 スコットランドやアイルランドの"Mac" "Mc"と同様だ。


Owain ap Mareduddは、「Mareduddの息子Owain」の意味。Owain ap Maredudd ap Tudurは「Tudurの息子Mareduddの息子Owain」の意味。Owainは自身の祖父の名をsurnameとして、イングランド風にOwen Tudorと改名した。
なお、女性の場合は、「~の娘」の意味で、父親の名前の前に"ferch"がつけられていたようだ(Gwenllian ferch Rhys : Rhysの娘Gwenllian)。


英語のOwenはオーウェンと日本語表記されることが多いように思う。ウェールズ語のOwainはオウェイン、オエイン、オワイン、オウェン等、色々表記があり、どれが一番近いのかわからないのだが、このサイトではオウェインもしくはオワインと表記することにした。



もっともOwainは良いほうで、系図をもっと遡ると、どう読むのか見当がつかない名前がぞろぞろと出てくる。Ednyfed、Gruffydd、Goronwy、Llywelyn……
一応、日本語で書かれたものを参考にしつつ、元の発音に近いと思われる表記にしたものの、はっきり言って自信はない。
>>Llywelyn の表記について



とりあえず、一言、言わせて欲しい。
ヘンリー、あんた、ランスターじゃないよ。
いや、血はひいてるけど。でも、そもそも、ランカスター公(ジョン・オブ・ゴーント)の庶子(後に嫡出扱いになったが)の孫(マーガレット・ボーフォート)の息子というのは、遠いじゃないか。


Llywelyn の表記について


ウェールズ史ではよく出てくる名前だが、ルウェリン、ラウェリン、ルーワリン、リューウェリン等、日本語表記が一定しない。
スィウェリン、サウェリン、スラウェリン、シャウエリン、シューワリン等、"s"音を含んだ方が原語に近いのではないかとも思うが、比較的よく使われているルウェリンを用いた。
ウェールズ語の"ll"は外国人にはかなり難しい発音らしい。イングランド人でも正しい発音は難しいのではないかという気がする。



 >>ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世)の家系 補記 1
 >>ヘンリー・テューダー(ヘンリー七世)の家系 補記 2


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ばら戦争 3

戦名の後に勝った陣営を記載した
ヨークはヨーク、ランカスターはランカスター



[ 第1期(1455-1464)第2期(1469-1471)第3期(1485-1487) ]



* ばら戦争関連地図(Google Maps使用)
 URL : http://richardiii.web.fc2.com/map_wars_of_the_roses.htm





第1期(1455-1464)  >>参照:リチャード三世略史1 ―幼少期・第1次ばら戦争―



1455.5.22 第1次セント・オールバンズの戦 St. Albans I ヨーク
ヨーク3代ヨーク公リチャード挙兵→勝利
ランカスター2代サマセット公エドマンド・ボーフォート(サマセット伯ジョン・ボーフォートの3男、ジョン・オブ・ゴーントの孫)戦死 2代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー戦死 8代クリフォード男爵トマス・クリフォード(ノーサンバランド伯の甥)戦死
ヨークヨーク公はイングランド武官長(Constable of England)に、ウォーリック伯リチャード・ネヴィル(ヨーク公妃の甥)はカレー総督に就任 
ヘンリー6世の精神病再発に伴い、ヨーク公が保護卿 (護国卿, 事実上の摂政)に再就任(1455.10)
ヘンリー6世回復→ヨーク公、保護卿解任(1456.2)
1459.9.23 ブロア・ヒースの戦 Blore Heath ヨーク
ランカスターヘンリー6世妃マーガレット派兵
1459.10.12 ラドフォド・ブリッジの戦 Ludford Bridge ランカスター
ヨークウォーリック伯がカレーから送った分遣隊の指揮官アンドリュー・トゥロロープ、部下と共に国王軍に寝返る
ヨークヨーク公、アイルランドに敗走
ヨークソールズベリ伯リチャード・ネヴィル(ヨーク公妃の兄)、その嫡男ウォーリック伯リチャード・ネヴィル、およびヨーク公嫡男エドワード(マーチ伯)は、カレーに逃亡
ヨークヨーク公妃セシリィ・ネヴィル、年少の子供達(マーガレット、ジョージ、リチャード)と共に捕らえられ、幽閉される
1460.7.10 ノーサンプトンの戦 Northhampton ヨーク
ヨークウォーリック伯、ソールズベリ伯およびマーチ伯エドワードと共に、カレー守備隊を率いてイングランドに上陸(6.26)→ロンドンに入場(7.2)
ヨークウォーリック伯勝利
ランカスターヘンリー6世捕らえられる 王妃マーガレットと王太子エドワードは、北部へ逃亡
ランカスター初代バッキンガム公ハンフリー・スタフォード(2代バッキンガム公の祖父)戦死
ヨークヨーク公妃と年少の子供達、解放される
ヨークヨーク公、アイルランドから帰還(1460.9)→ロンドンに入場(1460.10)
ヨークヨーク公、保護卿に就任 ヘンリー6世没後は、ヨーク公が王位を継承することを議会が承認(1460.10)
1460.12.30 ウェイクフィールドの戦 Wakefield ランカスター
ランカスターランカスター軍が王妃マーガレットの下に結集
ヨークヨーク公、ロンドンにウォーリック伯を残し北部へ向かう
ヨークヨーク公戦死 ヨーク公3男エドマンド戦死 ソールズベリ伯処刑
1461.2.2 モーティマーズ・クロスの戦 Mortimer's Cross ヨーク
ヨークヨーク公嫡男マーチ伯エドワード(ヨーク公位を継承)、ウェールズ辺境で軍を起こす
ヨークエドワード勝利→ロンドンに進軍
ランカスターオーウェン・テューダー(後のヘンリー7世の祖父)処刑
1461.2.17 第2次セント・オールバンズの戦 St. Albans II ランカスター
ランカスターランカスター軍南下、ロンドンを目指す
ヨークウォーリック伯、ロンドンから行軍しランカスター軍と対戦
ランカスター王妃マーガレット、ヘンリー6世を奪還するが、ロンドンへ入場できずに王太子と共に北部へ逃亡
ランカスターサー・ジョン・グレイ(エリザベス・ウッドヴィルの最初の夫)戦死
ヨークヨーク公の子息ジョージとリチャード、ブルゴーニュ公国へ亡命
ヨークエドワード、ウォーリック伯と合流し、ロンドンに入場(2.26)、軍勢を整える→ランカスター軍を追跡
1461.3.28 フェリーブリッジの戦 Ferrybridge ランカスターヨーク
1461.3.29 タウトンの戦 Towton ヨーク
ヨークヨーク公嫡男エドワード勝利
ランカスター3代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー戦死
ランカスターヘンリー6世、王妃マーガレット、王太子はスコットランドへ逃亡
ヨークジョージとリチャード、イングランドに帰還(6.12)
ヨークエドワード4世戴冠(6.26)
1464.4.25 ヘッジリー・ムアの戦 Hedgeley Moor ヨーク
ヨークモンタギュー卿ジョン・ネヴィル(ウォーリック伯の弟)指揮下のヨーク軍、ランカスター軍と衝突
1464.5.14 ヘクサムの戦 Hexham ヨーク
ヨークモンタギュー卿、ランカスター軍を攻撃
ランカスター3代サマセット公ヘンリー・ボーフォート処刑 ランカスター派ほぼ壊滅
ランカスター1465年、ヘンリー6世は捕らえられ、ロンドン塔に幽閉される



第2期(1469-1471)  >>参照:リチャード三世略史1 ―少年時代・第2次ばら戦争―



1469.7.26 エッジコートの戦 Edgcote ランカスター
ランカスターウォーリック伯とクラレンス公ジョージが反乱を教唆
ヨークペンブルク伯ウィリアム・ハーバート処刑、デヴォン伯ハンフリー・スタフォード処刑
ヨークリヴァーズ伯リチャード・ウッドヴィル(エドワード4世妃エリザベスの父)処刑、ジョン・ウッドヴィル(エドワード4世妃の弟)処刑
ヨークエドワード4世、行軍中にオルニィで捕らえられるが9月には釈放される→ロンドンに帰還
1470.3.12 ルーズコートの戦 Losecoat  ヨーク
ランカスターランカスター派の反乱(ウォーリック伯が教唆)
ヨーク国王軍、反乱を鎮圧
ランカスターウォーリック伯とクラレンス公、フランスへ亡命→ヘンリー6世妃マーガレットと協定を結ぶ
ランカスターウォーリック伯、クラレンス公と共にイングランドに上陸(1470.9) オクスフォド伯ジョン・ド・ヴィア同行
ヨーク国王軍敗退→エドワード4世、グロースター公リチャードと共にブルゴーニュ公国へ亡命(1470.10)
ランカスターウォーリック伯、ヘンリー6世を復位させる
1471.4.14 バーネットの戦 Barnet ヨーク
ヨークエドワード4世、グロースター公リチャードと共にイングランドに上陸(3.14)
ヨーククラレンス公、エドワード4世と和解し、国王軍に加わる(4.3)
ヨークリチャード初陣
ランカスターウォーリック伯戦死 モンタギュー侯戦死 オクスフォド伯敗走→フランスへ脱出
ヨークエドワード4世復位
1471.5.4 テュークスベリの戦 Tewkesbury ヨーク
ランカスターヘンリー6世妃マーガレット、王太子エドワード、イングランドに上陸(4.14)
ランカスターヘンリー6世王太子エドワード戦死 ヘンリー6世妃マーガレット捕らえられる
ランカスター4代サマセット公エドマンド・ボーフォート処刑
ランカスターまもなくヘンリー6世が殺害される



第3期(1485-1487)



1485.8.22 ボズワースの戦 Bosworth テューダー
ヨークリチャード三世敗死
ヘンリー七世即位
ヘンリー七世、エリザベス・オブ・ヨークと結婚
(1486.1)
1487.6.16 ストーク・フィールドの戦 Stoke Field テューダー
ヨークシムネルの反乱
ヨークリンカン伯ジョン・ド・ラ・ポール戦死 ラヴェル子爵フランシス敗走


関連地図 : England during the Wars of the Roses [1445-1485]
 From "The Public Schools Historical Atlas" by Charles Colbeck, 1905.
 Perry-Castañeda Library Map Collection - Historical Maps より (テキサス大学オースティン校のサイト)



素材提供:Mako's


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ジョセフィン・テイの『Dickon』を入手!

欲しかったリチャード三世本が、10日ほど前にスコットランドから届いた。
ジョセフィン・テイが別名義で書いた戯曲である。



Dickon (Hereford plays / General Editor: E. R. Wood)
Gordon Daviot (ゴードン・ダヴィオット) 作
Elizabeth Haddon 編・解説
ISBN: 0435222201 ハードカバー
Heinemann Educational; 1966年 (初出は1953年)
絶版
  >>Amazon(米)で見る  >>Amazon(英)で見る 1  >>Amazon(英)で見る 2



シェイクスピアに対抗して(笑)リチャード三世に好意的な戯曲を誰か書いてくれないだろうか(無理だろうな)、と長いこと思っていた。そういう戯曲がすでに書かれていることを知ったのは、さほど前のことではない。戯曲の存在だけでも嬉しいのに、作者は何とジョセフィン・テイだという。
時の娘』の文庫本にはそんなこと書いてなかったよー。




しかし、ともかく嬉しい。ジョセフィン・テイである。『時の娘』である。是非読みたい、と思って探したが、とっくに絶版。古本もなかなか見つからなかった。
ちなみに、日本のAmazonではいまだに注文可となっているが、これは間違い。psyさんが昨年すでに体験済みですorz Amazon(日本)の洋書はたまにこういうことがあるから油断できない……



なお、リチャード三世を扱ったフィクションで"Dickon"というのが別にあって(Marjorie Bowen作の小説)、そちらは簡単に古本が見つかる。私はそれで一度失敗をやらかしている。
ちなみに、Dickonというのは、Richardの愛称だ。



たまに、AbeやらAlibrisやらAmazonやらBookFinder.comやらAddALLやら(以下略)あちこちチェックしていたのだが(あとeBayも)、Abeで"A very good copy with occasional reference written in pen"というのを発見。
本体 £3.99 送料(手数料込) £4.1(14-60 business days) 計£8.09



洋古書の"very good"というのは、店によって結構差が大きいようだが、ハードカバーだから40年前の本でもよれよれにはなっていないでしょう、たぶん(そもそも、これ以上新しい版はないらしい)。ジャケットはないが、出版時からついていないようだ。
"occasional reference"というのがどの程度の書き込みかわからないが、まあ、very good copyというからには、少なくとも本文を読むのに支障をきたすことはあるまい。次にいつ見つけられるかわからないし。
で、ポチッ。



前回の失敗もあり(笑)到着までいまひとつ落ち着かなかったのだが、注文してなんと9日で無事に届いた。早っ。スコットランドの本屋さん、ありがとう!
今度はちゃんとテイの(Gordon Daviotの)"Dickon"だ~ \(^o^)/



 >> 感想は リチャード三世への愛に満ちたジョセフィン・テイ作の戯曲 『Dickon』 1 (2006.5.9)へ



表紙はナショナル・ポートレート・ギャラリーのリチャードの肖像画(白黒)、裏表紙はヨークの徽章の白薔薇。サイズは割と小さめで、A5版より少し大きいくらい。
Dickon
Dickon



書き込みは心配していたほどではなく、見返しや、解説部分の余白に(判読困難な笑)英文が書かれている程度。戯曲本文部分には書き込みはなかった(^^) それなりのしみ・黄ばみはあるが、まあ、40年前の本だし。



戯曲はAct One, Act Twoの二部構成。Act One, Act TwoともScene1-5まである。
1483年1月、王宮のエドワード四世の私室の場面から始まり、1485年8月22日、ボズワースの戦の開始直前で終わるようだ。ヘンリー・テューダーの役はない(名前の言及のみ)。



巻頭にIntroduction、戯曲の後に、Author's Notes、Historical Background、Editor's Notesがあり、巻末に Appendix : Who killed the Princes? という一節が設けられている。



『時の娘』の作者ジョセフィン・テイ(1896-1952)は、本名エリザベス・マッキントッシュ(Elizabeth MacKintosh)。ミステリで有名だが、ゴードン・ダヴィオット(Gordon Daviot)名義で戯曲を書いていた。中でも、リチャード二世を題材にした"Richard of Bordeaux(ボルドーのリチャード)"は好評で、ロングラン公演となった。『時の娘』の中でもグラント警部がこの戯曲に言及している。



【関連記事】





【Link】 Dickon : Carpe diem のpsyさんによる翻訳!



最終更新日:2009.8.10


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ばら戦争 2

長くなったので記事を分割します


【ばら戦争の名前の由来】



一般には、ランカスター家が赤ばら ヨーク家が白ばら 徽章紋章ではない)として戦ったために「ばら戦争」と呼ばれたと言われている。
が、この名称が用いられるようになったのは後世になってからだと考えられている。


『英国王室史話』(森護 著)では、ウォルター・スコットが小説"Anne of Geierstein or The Maiden of the Mist"(1829)の中で"....in the wars of White and Red Roses"と書いたことに由来する、と書かれているが定かではない
追記(2006.4.8):『世界歴史大系 イギリス史(1) 先史~中世』(山川出版社)でも、「ばら戦争」の名前を最初に使ったのは、ウォルター・スコットだと書かれている。
どうやらこれが定説らしい(他にもそう書いてある書籍を数冊みつけた)。


【赤ばら・白ばらの徽章―赤ばらはランカスターの徽章なのか?】


ヨーク家は確かに白ばらを徽章(バッジ)として用いていた。
一方、ランカスター家は、徽章として赤ばらも用いたようだが、それが主な徽章ではなかったらしい。白鳥を用いていたという記述も見たことがあるが、もしかすると、白鳥はランカスター家の徽章でなくヘンリー4世もしくは5世もしくは6世の個人の徽章かもしれない(もし、3名の王が全員白鳥を用いていたならば、白鳥はランカスター家の徽章なのだろうが)。ランカスター家がどのような徽章を用いていたのか、私は確実な記述を見つけられないでいる。


しかし、ランカスターの徽章として赤ばらが連想されるようになったのは、テューダー朝初代のヘンリー7世が、紅白のばら(テューダー・ローズ)を採用したためだと考えられている。


ランカスターの傍系であるヘンリー7世は、ヨーク家のエリザベス(エドワード4世長女)と結婚し、ランカスター・ヨーク両家の合一の象徴として、紅白のばらを用いた。
このテューダー・ローズ(ユニオン・ローズとも呼ばれる)は、現在の英王室でも使われており、エリザベス女王の紋章の台座(コンパートメント)にもテューダー・ローズが描かれている。 ↑ の画像は白黒





◇ テューダー・ローズの壁紙



左の画像は、Victoria & Albert Museum 所蔵の壁紙である。王冠を戴いたテューダー・ローズや落とし格子が描かれている。
Augustus Welby Pugin (1812-1852) により、国会議事堂(正式名称はウェストミンスター宮殿。1834年の大火で大半が焼失した)の再建の際にデザインされた壁紙の一つらしい。1847年の作。
Produced by Samuel Scott for J.G.Crace との解説がある。



このテューダー・ローズは、外側の花弁が赤、内側の花弁が白のパターン。テューダー・ローズには、この逆のパターン(外側が白、内側が赤)のものや、一つのばらの左右が紅白に分けられたものもある。
落とし格子はボーフォート家(ヘンリー七世の母方)のバッジであり、テューダー朝初代のヘンリー七世は、バッジの一つとして王冠を戴いた落とし格子を用いていた。



LINK : Wallpaper > Design Reform (Victoria & Albert Museumより) : 下方にこの壁紙の画像がある。





【追記】 2006.4.2



英王室公式サイトで、女王陛下の紋章のカラーの図を見つけた。
が、この図では、コンパートメントのばらは、紅白のテューダー・ローズではなく赤ばらになっている。
 >>The Royal Arms of Her Majesty The Queen



【追記 2】 2006.4.8



《ランカスターの赤ばらについて》



psyさんの情報(詳細は下記のコメント欄)によると、「ランカスター家が赤い薔薇を使ったという証拠は戦争最末期まで見られない。」(ばら戦争―装甲騎士の時代 オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ)そう。



ちなみに、『世界歴史大系 イギリス史(1) 先史~中世』(山川出版社)では、

テューダー家のヘンリ七世が自派の記章として赤バラをもちい

と書かれ、



図説 イギリスの歴史』(指 昭博 著)では、

赤いバラは、[ ヘンリー七世が ]自らランカスタの記章として定めた

と書かれている([ ]内は秋津羽による補記)。
つまり、ヘンリー・テューダーが、赤ばらを「ランカスターの徽章として」使い始めて、即位後に、ヨークの白ばらと合せてテューダー・ローズを作り、ランカスター・ヨークの合一の象徴としたということか?
むむ、あり得る話ではあるが。



一方、『英国王室史事典』(森 護 著)には、ヘンリー四世は赤ばらをスタンダード(軍旗)とバッジ(徽章)に用いた記録があり、ヘンリー五世も赤ばらをバッジに用いた、との旨、書かれている。



その他にも、初代サマセット公ジョン・ボーフォート(ジョン・オブ・ゴーントの孫、ヘンリー・テューダー=ヘンリー七世の祖父)が最初に赤ばらを用いたとか、エドワード一世が"金のばら"を用いて、初代ランカスター伯エドマンド(エドワード一世の弟)が赤ばらを用いた、とか、諸説あるようだ。
でも、初代ランカスター伯エドマンドは、いくらなんでも遡りすぎだと思う……
また、初代サマセット公ジョンが先に用いていたら、ランカスターの本家は採用しないのではないだろうか。傍流のボーフォートが使っているものをランカスター王家が使いはしないでしょう。逆ならばともかく。ちなみに、ボーフォート家の徽章として有名なのは「落とし格子(Portcullis)」である。



つまりは、ランカスターの赤ばらの起源はわからない!
個人的には、「ヘンリー・テューダーが使い始めた」説に一票。

ばら戦争 Wars of the Roses (1455-1487) 1

ばら戦争は、15世紀後半、百年戦争終結後のイングランドで、約30年にわたり断続的に繰り広げられた内乱である。
プランタジネット王家の一族であるランカスターヨーク両家の王位継承争いに貴族達が加わり、国内を二分する勢力争いとなった。


英語では"Wars of the Roses"という。"War"ではなく、"Wars"と複数形だ。「ばらの(複数の)戦争」の意味である。
30年にわたる戦争と言われると、その間ずっと戦闘が続いていたような印象をうけるが、そうではなく、実際に戦闘が行われた期間は合計して3-4ヶ月程度に過ぎない。


この内乱によって、ランカスター家を破って政権を握ったヨーク家が、今度はテューダー家(ランカスター家傍系)により王位を追われた。
貴族達は深刻な打撃を被り、多くの家系が廃絶した。このため、ばら戦争終結後、貴族達の所有していた家産はテューダー王家の手中に集められ、王権が強化されて、イングランドは絶対主義時代へと移行していく。しかし、その割には、内乱による町や建物の破壊は少なく、一般民衆の被害は多くはなかったと言われる。


ばら戦争は大きく3期に分けられる。
*ボズワースの戦(1485)をばら戦争の終結とすることも多い


  • 第1期(1455-1464):第3代ヨーク公リチャードの挙兵~ヨーク朝(エドワード4世政権)樹立

  • 第2期(1469-1471):ヨーク派大貴族ウォーリック伯の反乱~ランカスター朝ヘンリー6世の一時復位~エドワード4世の復位

  • 第3期(1485-1487):ボスワースの戦(リチャード3世敗死)~テューダー朝樹立(ヘンリー7世即位)~シムネルの乱鎮圧

>>ばら戦争 2 : 名前の由来 および 赤ばら・白ばらの徽章



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Author:秋津羽

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