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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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バスカヴィル家の犬 (BBC)

The Hound of The Baskervilles



バスカヴィルの獣犬



2002年BBC製作のホームズ作品。
NHK地上波で放送されるので、記念に(笑)書いておくことにした。



バスカビル家の犬』 2007年1月3日深夜(1月4日)AM 0:15-1:55
◇ NHK公式サイト
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/baskervilles/index.html



なお、発売されているDVDのタイトルは『バスカヴィルの獣犬』となっている。発売元はジェネオンエンタテインメント 。
字幕訳はNHK放送時のものとは異なるようだ。 NHKでの放送は字幕スーパーだと思っていたが、日本語吹替or英語(字幕スーパーなし)の二ヶ国語放送だった。
 【関連記事】 バスカヴィル家の犬 (BBC)  DVD特典



◇ BBC公式サイト(英語)
BBC - Drama - The Hound Of The Baskervilles
BBC - Drama - The Hound Of The Baskervilles, page2 リンク切れ
BBC - Drama - The Hound Of The Baskervilles, making clips リンク切れ



グラナダ版(以前、NHKで『シャーロック・ホームズの冒険』としてシリーズ放送されていた)や正典の愛好者には、受け入れにくいという人もいるかもしれないと思う。でも、私はこの作品、かなり好きだ。グラナダ版とは別の魅力がある。
今もなお評判の高いグラナダ版の後で、この、ある意味挑戦的な(笑)作品を創ったBBCには敬意を表する。


シャーロック・ホームズはリチャード・ロクスバラ(ロクスバーグ)。
ドクター・ワトスンはイアン・ハート



この作品の特徴のひとつは、主役二人が若いことだと思う。30代のホームズとワトスン、というのは珍しいのではなかろうか。実は、正典の「バスカヴィル」の頃は、そのくらいの年齢なのだけど。
この年齢設定が、キャラクターの造形にかなり影響しているように思う。はっきり言って、大人気ないよ、あなた達(笑)!



【ロクスバラのホームズ】



個人的には、容姿は違和感がなく、身振りもかなりホームズらしい、と思う。
グラナダ版と比べると、自分勝手で傲慢で強引な (^_^;) 感じが強いホームズである(ついでに乱暴だ)。
この辺は好みが別れると思うが、正典のホームズにはそういう部分が間違いなくあると思う(いや、乱暴ではないと思うけど)。なので、若さゆえ、ということで納得できた。後年はもう少し”大人”になるんだろう、たぶん。



追記 (2007.1.3) : Richard Roxburgh 氏のカナ表記について
ロクスバラ ロクスボロ ロクスボロウ ロクスバー ロクスバーグ etc. 表記の一定しない方。
ここでは、“ロクスバラ”と表記して、括弧書きで“ロクスバーグ”を加えておきました。“ロクスバーグ”と書かれることが一番多いようなので。
外国語を日本語で完全に正確に表記するのは無理なので、近い発音で書くしかないが、でも、“ロクスバーグ”だけは違うと思うんだけど。
…追記ここまで…



【イアン・ハートのワトスン】



いやあ、驚いた。こんなにむっつりして怒りっぽい熱血ワトスン、初めて観た……怒らせてるのは、大抵、ホームズなのだが。



容姿の印象としては、グラナダTVのデイヴィッド・バークのワトスンに比較的近いかもしれないが、もっと細くて小柄……これも珍しい。
ただ、小太りなワトスンというイメージは(グラナダ以前の)映像作品で創られたもので、正典にはワトスンの容姿はほとんど書かれていない。そして、シドニー・パジェットの挿絵のワトスンは、「このすらっとした、端正なお顔の方はどなたですか?」と訊きたくなるような容姿をしている。



ロクスバラのホームズは、ワトスンが苛立つのももっとも、と思わせる言動をよくとるので、私は「いいぞワトスン、もっと怒れ!」と思いながら観てしまった。ラスト近く、あまりに武闘派なワトスン(と、怒涛の展開)にちょっと唖然としたが。
でも、正典のワトスンも、ホームズに呼びつけられて訳も分からず(ホームズが説明しないから)拳銃片手に駆けつけたりしているから(注:バスカヴィルの話ではない)、ただ温厚で優しい常識人というだけではないのだよなー。元軍医だし。



【コカイン問題】



この作品のホームズ、仕事中にも関わらずコカインをやる。はっきりいってジャンキーである。これ見よがしにワトスンの目の前で腕を駆血しながら部屋のドアを閉めたり(本当はワトスンに止めて欲しいのか?)、トイレにこもったり(タバコ吸う中高生かね)で、色々と突っ込みを入れたくなる。
正典では、事件に関わっている間はドラッグはやらないのだが、やはり話に入れたかったんだろうなー……この後ワトスンが努力してドラッグをやめさせたに違いない、と私は妄想したりする。



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コメントの画像認証について

数日前から、コメントの画像認証(キャプチャ認証)を導入しています。

最近、英文のspamコメントが毎日つけられるようになったためです。


キャプチャ認証が表示される条件は次の通りです。



  • 投稿後30日以上経過したエントリーに対してコメントが投稿された場合。

  • 指定した間隔より短い間隔でコメントを投稿した場合。(連続投稿の禁止)

  • コメントの本文中に、同じホストにつながるURLを3つを超えて入力した場合。

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[Link] コメントのキャプチャ認証とは何ですか? > どのようなコメントが送られた場合、キャプチャ認証が行われますか? (ブログ人ヘルプセンター)



コメント下さる方にはご迷惑おかけしますが、ご了承ください。






ブログ人の最近のspam対策は割と優秀だと思います。それが、他のブログに移転しない理由の一つでもあります(笑)。
IPアドレスの禁止設定だけでなく、禁止キーワード(メールアドレス・URLも)の設定ができるようになってから、spamトラックバックは時々きても、spamコメントは久しくなかったのですが。すり抜けてくるspamは、うまく、禁止キーワードに引っかからないような文字を送ってくるのですよ(怒)
で、迷ったのですが、キャプチャ認証を導入することにしました。



このキャプチャ認証、はっきり言って、見づらいです。
Web上の「キャプチャ認証」は、視覚障碍者のアクセシビリティの点で問題になることが多いと思いますが、視覚障碍がなくても見づらくて面倒なんですよね。私自身、読み間違って入力して、再入力したことは何度もありますし。
フツウの人でもアクセシビリティが落ちるので、あまりやりたくなかったのですが。



それでも、「投稿後30日以上経過したエントリーに対してコメントが投稿された場合」という項目がなければ、かなり満足なんですけれど。元になっているTypePadの仕様らしいですね。
1ヶ月以上前の記事にコメントいただくことも、コメントすることもあるよ、私。
むしろ、投稿して速攻で入れられるのは圧倒的にspamが多い。まあ、一般的には、コメント・TB(真っ当な)は、新しい記事に対するものが多いんでしょうけどね……Six Apartの方にご考慮いただけるととても嬉しいです。



しばらくは、この状態でやりたいと思います。せっかくコメント下さる方にはご迷惑おかけしますが、宜しくお願いします。


Copyright(C)since2005 白い猪亭


英国紋章院創設500周年記念切手

1984年1月17日、英国紋章院創設500周年を記念して切手が発行された。4枚セットで、その中の一枚には、紋章院の創設者であるリチャード三世の紋章が描かれている。



日本語の本では、『紋章の切手―切手で綴る紋章史話』 (森護 著 1987年 大修館書店; 書籍詳細ページ)にカラー写真が掲載されている。
Web上では、Royal Mail のサイトにも紋章院のサイトにも画像がないのだが、きれいな画像を掲載しているサイトを最近みつけた ↓
 [Link]  Heraldry (1984) at Collect GB Stamps





切手の額面と図柄は次のとおり。切手の上端には、いずれも "College of Arms Quincentenary" と書かれている(「紋章院500周年」の意味)。



  • 16p : 紋章院(College of Arms)の紋章

  • 20½p : リチャード三世の紋章

  • 28p : 紋章院総裁(Earl Marshal, ノーフォーク公が世襲する)の紋章

  • 31p : シティ・オブ・ロンドン(City of London)の紋章


この切手に描かれているリチャード三世の紋章だが、以前もちょっと書いたようにサポーターがない。また、コンパートメント(台座)もない。
それ以外は、イングランド王の楯の上に、ヘルメット、その上に儀式用帽子(cap of maintenance)。その上の兜飾り(クレスト)は、王冠をかぶったライオン(ロイヤル・クレスト Royal Crest)。楯のまわりにガーター。と、定石どおりである。
そして、マントは横に大きく広がっている。紅白のリボンのようなやつだ。



サポーターがないために、何とも地味な印象である(ガーターもあるのに)。華やかさを出そうと思ってマントを目立たせてみました(このままだと寂しいので)!って感じ。
なお、このマントの形は、戦いでずたずたになった様子をデフォルメして、勇ましく戦ったことを表現したもので、定石どおりの形態である。



ヘルメットは「樽型ヘルメット barrel helmet」と呼ばれる(地味な)形である。エリザベス1世時代に、階級によって4種のヘルメットの形を使い分けるようになり、現在に至るまで王と皇太子は「金色で正面向き」のヘルメットを使用している。以来、「樽型ヘルメット」はジェントリが使用することとなった。



最初見たとき、国王の紋章なのに何故サポーターがないんだ?と思ったが、どうやら当時は、高位の人物でもサポーターを用いたり用いなかったりしたらしい。サポーターを必ずと言ってよいほど用いるようになったのは、もう少し後のことらしいのだ。



この紋章院500年記念切手、海外ネットオークションのeBayでは良く出回っているので、入手は難しくないのだが、肝腎のリチャード三世の紋章が地味で(ノーフォーク公の紋章に比べると非常にすっきりしている笑)、未だ入手していない。
まあ、左右とも猪のサポーターというのも、個人的にはイマイチなのだが。デクスター (楯を持つ人から見て右)がライオンで、シニスター(同左)が白猪、というのが一番良いかも。でも、リチャード三世の紋章切手なんて、もう出る筈ないなー。



最終更新日:2009.6.5


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紋章楯のショップ

欧米には、紋章楯を製作してくれるショップがあり、Web上でもいくつか見つけられる。なかでも(私の)目を引いたのが、米ヴァージニア州にあるここ▽
"White Boar Heraldic Designs"



"White Boar"というのが気になって説明を見ると、ここのアーティスト兼オーナーはリカーディアンだった。Richard III Societyのアメリカ支部の会員だそうな。
先祖のうち2人がボズワースの戦でリチャードについて戦ったとか。



このJon Stallard氏、WRARという地元のFMラジオ局のパーソナリティかつ親会社の役員をしているらしい。たぶん、そちらが本業なのかな。



……世の中色んな人がいるなあ。




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紋章 [リンク]

紋章に関するサイト




◆国内サイト



  • Die Linische Katze : 紋章学の基礎知識と、様々な紋章の紹介。詳しく、図の美しいサイトです。


  • 紋章学入門 : 紋章学について、図を用いて分かりやすく解説されています。


  • 紋章世界 : 紋章学の基礎知識。日本の家紋との比較があります。


  • 紋章学総合サイト : 紋章学についての解説。簡易な紋章学辞典など。リンク切れが多いのが残念。


  • コウブチ紋章資料館 : 色の規則について詳しく書かれています。


  • Dragon's Lair : サイト内の "ファンタジー資料 > ヨーロッパ紋章学" に、西洋紋章について分かりやすくまとめられた解説があります。


  • 連合帝国 : "紋章"の項目に、簡潔にまとめられた解説があります。



◆国外サイト(英語)





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リチャード三世の紋章

以前、リチャード三世の紋章の画像を求めて探しまくったことがある。
紋章院(College of Arms)の創設者であるというのに、英国紋章院のサイトには画像がない。
1984年に発行された紋章院創設500年の記念切手にはリチャード三世の紋章もあるのだが。



英国王室公式サイトでようやく見つけられたのがこちらの画像 ↓
© College of Arms と書かれている。どうして紋章院のサイトに載せてくれないかなー。




The royal arms of the last king in the House of York, Richard III : リンク切れなので代わりにInternet Archiveからこちらを▽
The Royal Arms of King Richard III





イングランド王のの上にヘルメット、その上にあるのは冠(クラウン)ではなく、儀式用の帽子(cap of maintenance)―緋色のヴェルヴェット製で、アーミン(オコジョの冬毛)の毛皮で縁取られたものだ。
更にその上の兜飾り(クレスト)は、王冠をかぶったライオン(イングランドのロイヤル・クレスト Royal Crest。姿勢は passant guardant パッサント・ガーダント―顔を正面に向けた歩き姿)。後ろにマント



楯のまわりをガーター(ガーター勲章の象徴)が取り囲む。ガーターには、フランス語で、"Honi soit qui mal y pense"と書かれている。"Evil be to him who evil thinks"("思い邪なる者に災いあれ")の意味で、現在も国王の紋章にこのガーターが用いられている。



サポーター(楯持ち)はデクスター dexter (楯を背後から見て、つまり、楯を持つ人から見て、右)が王冠をかぶったライオン、シニスター sinister (楯を持つ人から見て左)が白猪
 【参照】 dexter と sinister : 紋章楯の縦横4分割(quartery)の図 (Yahoo!辞書 quarter の項から)



だが、他に見たことのある画像では楯を飾るアクセサリー(主としてサポーター)が異なっていたりして、どうも一定しない。在位わずか2年だというのに。国王の紋章だから、本体(楯)は決まっているのだが。
しかも、紋章院500年記念切手の紋章には、サポーターがついていない。その代わり(?)マントが大きく横に広がっている。
当時は、高位の人物でもサポーターを用いたり用いなかったりしたらしいので(紋章の構成が発達過程にあった)、サポーターなし、というのは良いとして、サポーターがある場合に動物が決まっていないのはどうしたことか。在位が長かったならともかく、2年ですよ?





上の二つは同じもののようだ。こちらの紋章は、
イングランド王の楯の上に、ヘルメット、その上に儀式用帽子(cap of maintenance)。その上の兜飾り(クレスト)は、王冠をかぶったライオン(ロイヤル・クレスト Royal Crest)。後ろにマント。楯のまわりにガーター。ここまでは王室公式サイトでみつけた紋章とほぼ同じ。


サポーター(楯持ち)は左右とも白猪
台座(コンパートメント)はないが、下部にスクロール(巻物)がある。
スクロールに書かれたモットー(銘)はフランス語で、"Dieu et mon Droit"。"God and my right"("神と我が正義" または "神と我が権利")の意味。王のモットーとして現在も使われている。



王のモットーと、ガーター勲章のモットーについては、UK NOWの英国Q&A/王室に解説がある。簡にして要を得た説明だが、ガーター勲章に括弧書きで"女王が統治している騎士団の古代勲章"と書かれている。これは、古代ではなく中世―たまたま書き間違ったんだろうなー、きっと。



マダム・タッソー蝋人形館

Madame Tussauds (ロンドン)



連日行列ができるというロンドンの人気観光スポット。年間200万人以上の入場者を誇る。歴史上の人物や世界の著名人を精巧に模した蝋人形が展示されている。ギロチンや電気椅子などを展示した「恐怖の部屋」もある。





マリー・グロショルツ Marie Grosholz (1761-1850) ‐ 後のタッソー夫人 ‐ は、母親がハウスキーパーとして勤めていた外科医(マリーのおじと言われる) Philippe Curtius の家で育った。精巧な蝋人形の製作に長けていた Curtius は、パリで蝋人形館を開き、好評を博す。マリーは彼から蝋人形製作を学んだ。



マリーはルイ16世の妹の美術教師として宮廷に仕えていたとか、そのために、フランス革命(1789-1794)の際、一時投獄されたとか伝えられている。但し、宣伝のための作り話だという説もあり、真偽は不明のようだ。
革命時には、ギロチンで処刑された王侯・貴族のデスマスク(というか、生首を蝋で模したもの?)の製作に携わった。革命側が、斬首した重要人物の首を民衆に見せるのに使ったらしい。



1794年、Curtius 没後に、マリーは蝋人形コレクションを受け継ぐ。その後結婚し二子を儲けるが、1802年、夫と次男をフランスに残し長男のみを伴い渡英。以後33年間にわたり、蝋人形のコレクションと共にイングランド中を巡業して回る。ロンドンのベイカー・ストリートに常設の蝋人形館を構えたのは1835年のことだ。1884年、孫の代に蝋人形館は現在の地に移った。



近くにはシャーロック・ホームズ博物館(ベイカー街221b♪)がある(本当は239番地なのを無理やり221bにしてしまったんだけど)。





ここには、歴代の国王の蝋人形も展示されており、リチャード三世のものも作られている。





◇ こちらは flickr で見つけたリチャード三世の蝋人形の画像 →



もう1枚
リチャード三世とヘンリー七世の蝋人形
: Politics in the Renaissance  より [ Dr. Vess's World Civilization Virtual Library  (Georgia College & State Universityの歴史学教授のサイト)]



リチャードの外見については、身長のはっきりした記録はないのではないかと思うのだが、何に基づいて決めたのか、興味のあるところだ。
しかし、何故にこの二人が隣り合っているのだろう(よりによって~)





マダム・タッソー蝋人形館には、エドワード五世と弟のヨーク公が幽閉され、暗殺されるまでの場面が作られていると読んだことがある。ご丁寧に、王子達の声までテープで流されているとか。
でも、今はもうやっていないだろうと思う。何故かというと、1993年から、リチャード三世協会 Richard III Society が、ウォーリック城(タッソー・グループ所有)にリチャード三世の紋章を掲げていたからである(最近別の場所に移された)。蝋人形館でそんな展示をやった日には、Society が黙っちゃいないだろう。



URL: http://www.madame-tussauds.co.uk/ (英語)
住所:Marylebone Rd, London
地下鉄Baker Street駅そば



◇ blogzinemapで マダム・タッソー蝋人形館の場所を見る
 左側に見える円形の緑色は、蝋人形館付属のプラネタリウムの屋根。



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リチャード三世の戴冠 3

リチャード三世の戴冠 1 > 戴冠 2 >  戴冠3 ]



1483年6月に入りまもなく、動きが慌しくなる。



グロースター公リチャードは、6月10日にヨーク市長に、翌11日には、ノーサンバランド伯、ネヴィル卿レイフ(後の3代ウェストモーランド伯)他、北部の貴族達に、援護の軍を求める書簡を記している。そして11日、これらの書簡と共に、5月に逮捕したリヴァーズ伯らの処刑委任状を使者(サー・リチャード・ラトクリフ)に持たせて北部に送ったが、これは国王評議会(Council)の反対を無視して行われた。
なお、評議会は、5月下旬頃から、グロースター公を支持する派と、公に批判的な派に分かれ、別々に会合を行っていたようだ。



6月13日、ロンドン塔での評議会において、ヘイスティングズ卿ヨーク大司教トマス・ロザラムイリー司教ジョン・モートン、そして、スタンリー卿が、グロースター公の殺害を企んだとして逮捕される。ヘイスティングズ卿は首謀者として当日処刑された注1が、ヨーク大司教、イリー司教は軟禁されるにとどまり、スタンリー卿はまもなく釈放された。





16日、エドワード五世の戴冠式が6月22日から11月9日に延期される。6月25日に予定されていた議会の開会も延期された。



同じく16日、ヨーク公リチャード(エドワード五世の弟)が、ウェストミンスター・アベイの庇護所から、エドワード五世の居住するロンドン塔に移る。
評議会の同意を得て、ハワード卿率いる軍を伴ったカンタベリー大司教が、庇護所にいる王太后と交渉を行った。これにより、エドワード五世と、ヨーク公の兄弟は、叔父であり摂政であるグロースター公の監督下におかれることとなった。



グロースター公の一連の行動は、リチャードによる王位簒奪説では、簒奪計画を進めたということになる。一方、リチャード擁護の立場からは、自身を排斥しようとする陰謀を防ぎ、新国王と王位継承者(ヨーク公)を保護し、治安の維持を図ったということになる。


これより先、6月9日に、評議会において重大な話が暴露された、という説が広く知られている(そして、その真偽が議論されている)。
エドワード四世と"王妃"エリザベス・ウッドヴィルとの結婚が無効であり、子供達は庶子であるというのだ。バースおよびウェルズの司教ロバート・スティリントン(当時、評議会の顧問官だった)による告白と言われているが、その記録自体は残っておらず、正確なところははっきりしない。



これは、エドワード四世が結婚前に他の女性(初代シュルーズベリ伯息女エレノア・バトラー=エレノア・トールボット)と婚約していた、という話である。それが本当ならば、当時婚約には結婚と同等の法的拘束力があったため、エドワード四世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚は無効となる。よって、子供達は(エドワード五世を含め)庶子となり、王位継承権がなくなってしまう。極めて重大な問題であった。
この話は、後に公の場に持ち出されることとなる。



22日、ロンドン市長(Lord Mayor)の弟で聖職者(神学博士)のレイフ・ショウが、ポールズ・クロス(セント・ポール大聖堂前)において、市民の前で説教を行った。
エドワード4世の子供達は非嫡出であり、更に、エドワード4世自身と弟のクラレンス公も非嫡出であるという内容で、グロースター公が3代ヨーク公(エドワード四世・クラレンス公・グロースター公の父)の唯一の正統な継承者であると訴えるものだった、と伝えられる。注2



後者(エドワード四世とクラレンス公の非嫡出)に関しては、グロースター公が本当にそのような説教をさせたのか、また、ショウ博士が本当にそのような説教を行ったのか、疑問視する意見もある。これは、エドワード四世とクラレンス公が、ヨーク公未亡人の不義の子であると非難するものであり、グロースター公自身の母后の名誉を汚すものであった。
当時、ヨーク公未亡人は、ヨーク家のロンドンの居城であるベイナード城で暮らしており、グロースター公もそこに滞在していた。そのような状況で、実母の名誉を汚し、市民の反感を買うと容易に予想されるような説教を行わせるであろうか、誤った噂話が記録されたか、敵側のプロパガンダではないのか、という意見である。



24日、バッキンガム公が、ギルドホールで開かれたロンドン市長と市参事会員の会合で演説を行った。エドワード四世の結婚の不当性と王子達の非嫡出について、また、クラレンス公の遺児は父親の大逆罪のため継承権を失っていることを語り、グロースター公の王位継承の正統性を訴えた。
翌25日、バッキンガム公は、貴族、ジェントリの集会で同様の演説を行った。



25日、北部で徴集された4,000名の軍が南進を開始する。
同日、リヴァーズ伯、サー・リチャード・グレイ、トマス・ヴォーン、リチャード・ホウトが、ポンテフラクト城で処刑される。




26日、議員達(開催予定だった議会に出席するためロンドンに集まっていた)はグロースター公に請願 Petition を提出。これを受け、グロースター公リチャードは、ベイナード城で国王即位を宣言する。この時の請願の内容は、翌年1月に開催された議会で、「ティトゥルス・レギウス Titulus Regius (王位継承法, 王位承認法)」として成文化されることになる。



7月6日、ウェストミンスター・アベイで、リチャード三世の戴冠式が挙行された。ノーサンバランド伯を総指揮官とする北部軍は数日前にロンドンに入り、戴冠式の警護を務めた。
戴冠式には、35名の貴族と70名以上の騎士が参列した。当時、貴族は85名おり、欠席者が多いように見えるが、エドワード四世治世に私権剥脱されたランカスター派貴族と、ウェストミンスター・アベイの庇護所に逃げ込んだドーセット侯トマス・グレイを除くと、欠席したのは、幼児、老人、病人であり、事実上すべての貴族が列席したと言って良かった。



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秋津羽

Author:秋津羽

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