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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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"Princes In The Tower" (2005)

Princes In The Tower



Princes in the Tower


UK TVドラマ (2005年に Channel 4 で放映) 102分
Mark Umbers(マーク・アンバース)主演


Princes in the Tower (米盤DVD):Amazon(日本)

Princes in the Tower (米盤DVD):Amazon(米)

リージョン1 NTSC



この作品、しばらく前から気になっている。舞台はヘンリー七世治世のイングランド、“僭称者”パーキン・ウォーベック Perkin Warbeck が主役の歴史ドラマである。
タイトルの"Princes In The Tower"(ロンドン塔の王子達)とは、エドワード四世の二人の息子、エドワード五世と弟王子のヨーク公リチャードを指す。二人は、叔父のリチャード三世の指示により、1483年にロンドン塔内で殺されたとされる。ただし、これには異論もあり、王子達の最期がはっきりしないことから、様々な推測が行われてきた。



リチャード三世は1485年にボズワースの戦でヘンリー・テューダーに敗れ、ヘンリー・テューダーがヘンリー七世として王位に就き、テューダー朝を開いた。ヘンリーは、エリザベス・オブ・ヨーク(エドワード四世の長女、ロンドン塔の二王子の姉)と結婚した。



Perkin Warbeck
ヘンリー七世即位後に現れた王位僭称者のうち、大きな影響を与えたのがパーキン・ウォーベックである。
彼は、1491年にエドワード四世の次男ヨーク公リチャードと名乗りを挙げ、ブルゴーニュ公未亡人マーガレット・オブ・ヨーク(エドワード四世の妹、王子達の叔母)から本物のお墨付きを得た。更に、各国の王達の支持も得て、1495年に挙兵し、イングランドに侵攻した。1497年、エクセターで捕らえられロンドン塔に送られた。1499年、ロンドン塔に幽閉されていたウォーリック伯エドワード(クラレンス公ジョージの息子、エドワード四世の甥、王子達の従兄弟)と共に、脱走を計画したとして処刑された。
  関連記事:リチャード三世 略史 その後




彼は、トゥルネー(現ベルギー領)に生まれたフラマン人の“僭称者”であった、と一般に考えられてはいるが、その素性・経歴についてははっきりしない点も多い。エドワード四世の庶子ではないか、という説もあり(顔がよく似ていたと言われる)、まあ、全くあり得ない話ではないと思う。



ドラマは、"ヨーク公リチャード"を名乗るウォーベックがロンドン塔に入れられてから、処刑されるまでを中心に、回想シーンを交えて描いている模様。トマス・モアがナレーターとして語る形式らしい。史実のトマス・モア(1478-1535)は、この頃20歳前後で、リンカンズ・イン法学院在学中だが……?カンタベリー大司教・大法官のジョン・モートン(c.1420-1500)との繋がりで居合わせたことにしているのだろうか?






↑ エリザベス・オブ・ヨーク(王子達の姉)が、「私のリチャードには背中に"birthmark(生まれつきのアザ)"がある」と言って確認する場面。



米盤のDVDが発売されている。Amazon(日本)ではリージョン1と書かれている。同じ商品がAmazon(米)ではリージョンALLと書かれているので、リージョンALLの可能性があるがはっきりしない。 【追記】 リージョン1でした。
このDVDには"The Tower"という20分程度のドキュメンタリーも収録されているとのこと。



【参考】:海外のDVDを観るには 1



Amazon(米)のreview(6件)は賛否両論。以前よりは、好意的な感想が増えている。Amazonカナダのreview(1件)は良い。



◇ 発売元のサイトで、一部視聴できる(4場面)
British DVD Collection - Princes in the Tower



  • Once I had a brother... :冒頭。1483年、就寝中に枕で暗殺されるエドワード五世(二王子の兄)。ウォーベックの独白「かつて私には兄がいた…」

  • His majesty's stool :何ですかこれ(@_@) 食事時には観ないでください…… えーと、つまり、ヘンリー七世のstoolでDr. Argentineが占いをすると……

  • What is your name? :尋問され、ヨーク公リチャードの称号をズラズラと並べ立てるウォーベック。「妻」やら「最初の結婚」やら言っているのは、ヨーク公が4歳の時にノーフォーク女伯アン・モーブレイ(5歳)と結婚し、彼女が9歳で亡くなったことを指している。
    尋問にスラスラ答えるウォーベックを見て、カンブレ司教(マーガレット・オブ・ヨークの特使らしい)は嬉しそう。


  • You're a puppet :ウォーベックを詰問するヘンリー七世。エリザベス・オブ・ヨーク(ヘンリーの妃、王子達の姉)、マーガレット・ボーフォート(ヘンリーの母)も同席。
    話に出てくるキャサリン・ゴードンは、スコットランド王家の血を引くハントリー伯の息女で、ウォーベックの妻(ウォーベックを支援したスコットランド王ジェイムズ四世が結婚させた)。"You're nobody from Tournai."と言うヘンリーに対し"You're nobody from Wales."と返すウォーベック。更に「王位に就いた根拠は私の姉と結婚したことだけ(という意味だと思う、たぶん)」「母親の許しを得ないと決断できない」と言われ、ブチ切れるヘンリー。


◇ YouTubeでも映像を見つけた(1つを除き、重複) 同じものがYahoo! Videoにもある




これ、以前、Carpe diem の psy さんが記事にお書きになっていた作品ですね(紹介されていたのはTV番組のレヴュー。Richard III Society の会誌に掲載されていたもの)。



  • マーガレット・ボーフォート(ヘンリー七世の母親)の描かれ方が妙らしい。凄ーく妙らしい……


  • ヘンリー七世は、確かに落ち着きがない。


  • 主演のマーク・アンバース氏、psy さんの記事のリンク先の写真を見て、むむ?と思ったものの、ドラマの映像では、なかなか風采は悪くない感じ。"too good-looking"やら"Utterly beatiful"やらいうのはちょっと称賛しすぎのような気がするけれど。


  • ウォーベックエリザベス・オブ・ヨークの心の交流は気になる……


うーん、毀誉褒貶の著しい(ていうか、ひょっとして俳優のファンが絶賛してるのか?)作品のようだが、すごーく気になる。観てみたいなあ……はっ、でもこのDVD、英語字幕がないのでは?細かいところまで理解できるのか?自分<たぶん無理、きっと無理。でもオタク知識で結構わかりそうな気もする (^^;)
でも、未見のDVDが溜まっているし、最近色々買ってしまったから、また今度だな。



RDF Television | Documentaries | Princes In The Tower :ドラマの紹介(英語)。TV番組制作会社RDFのサイト内。ドキュメンタリーと書かれているけれど、ドキュメンタリーじゃないでしょー (^^;)



Channel 4 - History - Perkin Warbeck :Channel 4公式サイト内。パーキン・ウォーベックについて(英語)。ドラマの解説ではないが、この作品でウォーベックを演じたマーク・アンバースの写真がある。



Princes in the Tower (2005) (TV) :IMDb



キャストのうち、Dr. Argentine というのは、エドワード五世の外科医だった Dr. John Argentine だろう。占星術師でもあったらしい。"ロンドン塔の王子達"に最後に会った人々の一人とされている。後にヘンリー七世の長男、アーサー王太子(ヘンリー八世の兄)の外科医になった。



"Ambassador" は、スペイン大使の De Puebla 、Bishop De Cambrai(カンブレ司教)は、Henri de Berghes ("ベルゲのアンリ"で良いのだろうか?発音違うような気もする…) (1480-1502)だと思う。この二人がロンドン塔のウォーベックを訪ねたのは史実らしい。
ちょっと調べたところでは、Henri de Berghes は、ブルゴーニュ公未亡人マーガレット・オブ・ヨークの顧問のような立場だったらしく、イングランド訪問もマーガレットの特使としてだったようだ。彼は、むしろ、エラスムス(1466/1469-1536) のパトロンとして知られているようだが。



De Puebla は、スペインのカトリック両王(イサベル一世とフェルナンド二世)により、イングランドに派遣されていたのだが、彼は一時期、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世のAmbassadorでもあった、という記載を見つけた。何故ここにマクシミリアンが出てくるんだ?と思ったのだが、ヘンリー七世に反仏同盟への参加を要請するためだった。ちなみに、この時の教皇はアレクサンデル六世(ロドリーゴ・ボルジア。チェーザレ・ボルジアの父)。



1494年、フランス王シャルル八世がイタリアに侵入し、翌年2月にはナポリ王国を占領した。これに対し3月、ローマ教皇を中心とした“神聖同盟 Lega Santa del 1495”が結成される。同盟には、アラゴン(フェルナンド二世はシチリア王でもあった)、神聖ローマ帝国(マクシミリアン一世)、ミラノ公国(ルドヴィーコ・スフォルツァ=シャルルにナポリ占領をそそのかした張本人)、ヴェネツィア共和国が参加した。
さらに、彼らはイングランドにも参加を求め、カトリック両王、アレクサンデル六世、マクシミリアン一世の意を受けた De Puebla が派遣された、ということらしい。
シャルル八世は同盟軍に破れ、1495年中に撤退したのだが、フランスを警戒した同盟は、その後もヘンリー七世に参加を求め続け、1496年6月にイングランドが加わった。



イングランドに同盟への参加を要請するに際しては、マクシミリアンの立場も心中もかなり複雑だったらしい。彼は、ブルゴーニュ公未亡人マーガレット(前妃の義母)と共に、パーキン・ウォーベックを支援していたからだ。
一方、“神聖同盟”への参加は、1493年に、ミラノ公女ビアンカ・マリア・スフォルツァと再婚したことが大きい(同盟結成時のミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァはビアンカ・マリアの叔父)。もちろん、シャルル八世への怒りはおさまっていなかったろうが(1491年に、娘のマルグリットとシャルル八世の婚姻が無効とされ、自分の婚約していたブルターニュ女公アンヌとシャルルが結婚した)。



……書いているうちに、マクシミリアンがすんごい苦労人に思えてきてしまったのだが、そんなのは私だけだろうか(^_^;) 逆玉で美人の財産家と結婚して、円満な家庭を築いたのもつかの間、妻は若くして亡くなり、妻の領民は反乱をおこし、幼い娘は人質同然に連れ去られて婚約させられたにも関わらずいざとなったら結婚無効とされ(ついでに自分の結婚も邪魔され)、その後も娘の結婚は不幸に終わり、息子は6人の子を儲けたものの早逝し……
はっ。私は、パーキン・ウォーベックの話をしていた筈ではなかったのか。いつの間にマクシミリアン一世の話に~



最終更新日:2010.1.9

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