このサイトは

英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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リチャード三世博物館 2 [ヨーク]

リチャード三世博物館 1 > リチャード三世博物館 2 ]


リチャード三世博物館はモンク・バーの中にある。入り口はシティ・ウォールの内側。

←シティ・ウォール内側から見たモンク・バー

◇ 博物館の入り口
狭い階段を上って中に入る。階段の上の肖像画は少々目つき悪し。

◇ 博物館の目玉展示?:模擬裁判
リチャード三世のおっかない人形がある(この写真だとさほど怖く見えないんですが。単に私が見慣れただけ?)一緒に記念撮影している人もいる
実はこれは Mock Trial(模擬裁判)の様子で、リチャードは被告人席にいるという設定。容疑はもちろん甥2人("ロンドン塔の王子達")の殺害。約13分の音声解説が流れるそうだ。
このアトラクション(と言ってよいのか?)や展示を見せて、リチャードが有罪か否か、というか、王子達を殺害したのは誰か、を訪問者に考えさせるという趣向になっている。

同じ部屋には、タブロイド紙っぽく書かれたポスターが何枚も貼られている。
"裁判場"の360°パノラマ映像 (VR York より) QuickTimeで見れます

◇ 展示室(上階)

360°パノラマ映像 (VR York より) QuickTimeで見れます

◇ "Who Killed The Princes In The Tower?"というボード

ボード1  ボード2

王子達を殺害したのは誰だと思うか、出口で投票し、その結果がボードに書かれるらしい。Othersの欄が何とも(笑)

◇ 独房 Prison Cell

博物館内部には独房もある(少なくとも2つはあるようだ)。うち1つは、「世界でもっとも小さな独房」で、エリザベス一世時代のカトリックの国教忌避者(Recusant Catholic)Alice Bowmanが入れられていた、とのこと。

"DE-LUXE PRISON CELL With En-Suite Facilities" と入口に書いてある (^_^;) デラックスじゃないだろ!

独房内の"Medieval Loo" "Please do not use!"なんて言われなくても使いませんから!

360°パノラマ映像 (VR York より) QuickTimeで見れます

◇ 処刑室 Execution Chamber

最上階にあるらしい。入口の上に"Please Mind Your Head. One Villain At A Time."と表示がある(「頭に気をつけてください。一度に一名の犯罪者」)。ブラックなジョークではあるが、おそらく本当に入口が低くて中が狭いのだろう。↑の撮影時は閉鎖されていたようだ。

見えづらいが斧の写真

◇ ギフトショップ:目眩く(笑)グッズコーナー

360°パノラマ映像 (YORK360 より) QuickTimeで見れます:ここのリチャード人形は怖くない

360°パノラマ映像 (VR York より) QuickTimeで見れます(上の映像より小さい)

◇ 小劇場

リチャード三世によりつけ加えられたとされる最上階の部屋は、夏(8月)には小劇場(50名収容)として使われ、Michael S. Bennett氏が "An Audience with King Richard III" という一人芝居を行っている。他の場所でも行われているらしい。
Richard III Societyの会誌"Ricardian Bulletin (Winter 2005)"では厳しい批評↓がされていますが…(ページの真ん中あたり)

An Audience with Richard III

Geoffrey Wheeler viewed a recording of An Audience with King Richard III, a recording of Michael Bennett’s one-man show at York St John College.  He found it unconvincing and disappointing and doubted ‘if any of his contemporaries would recognise this petulant and whining individual, with more than an overtone of … Richard Wilson’s Victor Meldrew.’



リチャード三世博物館 1 > リチャード三世博物館 2 ]

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リチャード三世博物館 1 [ヨーク]

[ リチャード三世博物館 1 > リチャード三世博物館 2

Richard III Museum

ヨーク市を取り囲むシティ・ウォール(城壁)には、中世に作られた4つの城門(バー)がある。北西(北北西)にブーサム・バー Bootham Bar、北東(北北東)にモンク・バー Monk Bar、南東にウォームゲイト・バー Walmgate Bar、南西にミクルゲイト・バー Micklegate Bar

【Link】

History of the city walls : City of York Council 内

A Walk around the Bar Walls of York : 地図あり(Explore York 内)

York City Walls, Goodramgate, Monk Bar : モンク・バーに通じるシティ・ウォールの360°映像(VR York 内) QuickTimeで観れます

Goodramgate, Monk Bar, York City Walls : モンク・バー外側の(通りの)360°映像(VR York 内) QuickTimeで観れます

そして、モンク・バーの中には、リチャード三世博物館 Richard III Museum がある。1992年につくられた。

 ◇ 公式サイト:Richard III Museum (音楽とナレーションが流れるのでご注意ください)

 ◇ リチャード三世博物館の場所・航空写真(Google Maps)



モンク・バーは、ヨークの城門(門楼)の一つとして、14世紀初期に作られた。4階建て(+両側の塔?)で、4つのバーの中でもっとも高さがある。
砦として、それぞれの階を分けて防衛できるようになっているそうだ。最上階の部屋は、1484年に、リチャード三世によってつけ加えられたとされている

落し格子 portcullis は今でも動かすことが可能で、City of York Council の解説によると、1970年までは定期的に上げ下げしていたというから驚き(ただし、portcullis が最後に下ろされたのは1953年という記述も読んだことがある)。観光客もその機械を動かすことができるとのこと。

ミクルゲイト・バーやブーサム・バーと同様に、Barbican は失われている(19世紀に壊されたようだ)。

←シティ・ウォールの外側(表側)から見たモンク・バー。
リチャード三世博物館の入り口は、反対側(シティ・ウォールの内側)にある。





この博物館は、一応、VisitBritain でも紹介されている(ヨークの隠れた見どころの項)


英国史上もっとも悪評高い王、リチャード3世の公判を王に対して賛成と反対、両方の立場から現代風に再現した展示がある。



ちなみに、その上で紹介されている"ミクルゲート・バー博物館"もリチャードに関連があるのだが、日本ではちょっとあり得ない展示だ。「同行者に拒否られる気がいたします」というpsyさんの御懸念はもっともである。ここについては、別記事(ミクルゲイト・バー博物館)で。



まあ、端的に言って、この博物館は VisitBritain の紹介文のとおりなのだが、写真を交えてもう少し詳しく御紹介したい。

[ リチャード三世博物館 1 > リチャード三世博物館 2

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リチャード三世の彫像 [国会議事堂]

もう一つの写真は、極めて精巧に石に彫り込んだ実際の像を撮影したものだった。あたかも建築物の彫り物をした支柱の一部分のように、両側を垂直な石造りの細い帯状部分に挟まれた、狭い壁龕に像は立っていた。その男の石像は厳粛な威厳のある態度で立ち、カメラのレンズを静かな諦めを漂わせた目で見つめていた。あごは胸に押し当て、肩を心もち上げ、首は上品さを示す古来不変の角度で傾げていた。そして、頭には石の簡素な王冠を戴いていた。
『国会議事堂の死体』 (スタンリー・ハイランド)より



国会議事堂 the Houses of Parliamentにある、リチャード三世の彫像について書かれた文である。是非観たいと思い、画像を捜しているのだが、見つけられないでいる。



国会議事堂 (正式名称はウェストミンスター宮殿 the Palace of Westminster)には歴代の王の彫像(石像)が置かれている。19世紀半ばのものだ。1834年の大火で焼失した議事堂を再建する際、プリンス・コンソート(ヴィクトリア女王の夫君アルバート殿下)が、国王・女王の彫像を置くことにしたらしい。リチャード三世の彫像も、上院(貴族院)と下院(庶民院)の間の中央ロビー Central Lobby の壁龕におさめられている筈だ。



【中央ロビー Central Lobby の画像】








この彫像の存在は、Webで目にした『国会議事堂の死体』(原題 Who Goes Hang? : スタンリー・ハイランド著 1958年)の書評で知った。



国会議事堂の死体 (世界探偵小説全集)
国会議事堂の時計塔ビッグ・ベンの改修工事中に、ミイラ化した他殺死体が発見された、という事件で幕を開ける本格ミステリである。死体は100年前のものと推定されたが、事件に興味を持った若手国会議員ブライは調査委員会を組織し、謎の解明に乗りだす。



小説自体は、かなり読み応えがあり、いささか疲れたのだが面白かった。中盤でどんでん返しがあり、些細なことでそれまでの推理が崩れ去る。それにより、調査役の議員たちは推理の大幅な転換を強いられる。
個人的には、訳者の「オールタイムベスト」という評はちょっと褒めすぎかも、と思うが、隠れた佳作だと思う。



私の読んだ書評には、「リチャード三世の彫像が謎解きに関わっている」というようなことが書かれていた。ジョセフィン・テイの『時の娘』への言及もあった(小説内でも『時の娘』に触れられている)。これは読まずばなるまい、と単行本を入手したのだった。
個人のサイトではなく、評論家か編集者か、何らかの著述家のコラムだったと思うのだが、どのサイトか分からなくなってしまった。検索したけれど見つからないorz (松岡正剛の千夜千冊かと思ったが違った)



【追記 3】 2008.10.3


探していた書評のURLのメモをみつけた↓
http://www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/syohyo/23.html
が、リンク切れになっている。どうりで検索しても見つけられなかった筈だ。
探偵小説研究会による『週刊書評』という書評サイトだった。第23回、ミステリ作家の法月綸太郎氏の書評で、『亡き女王に捧げる弔鐘』というタイトル。タイムマシン(Internet Archive)で読むことができたので、リンクを記載しておく。
http://web.archive.org/web/20041207092006/www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/syohyo/23.html


 中でも圧巻は、1834年の大火で消失した国会議事堂の再建にまつわる数々の秘話(議事堂を設計したチャールズ・バリーと彼の協力者ピュージンの確執、テムズ川の悪臭対策として設けられた排気管、ビッグ・ベン誕生の由来など)と、ロッシ館の先々代の当主をめぐる奇怪な因縁話が、リチャード三世を描いた二枚のスケッチを介して結びつくくだり。リチャード三世といえば、王位を奪うため2人の幼い王子を虐殺したとして、英国史上に悪名高い国王で、いうまでもなく『時の娘』の題材になった人物である。
 本文中にもジョセフィン・テイへの言及が見られるように、ハイランドが『時の娘』に触発されて、本書の執筆を思い立ったのは明白だ。


こんなこと書かれたら、読まずにいられませんて。
……追記ここまで……



ここでは、リチャード三世の彫像に関する部分について書こうと思う。



【事実】



  • 国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)は、1834年10月16日のロンドン大火により大部分が焼失した(ターナーがこの大火の絵を描いている)。

  • 議会により再建が決定され、1836年、チャールズ・バリー Charles Barry  (1795-1860) によるゴシック形式の設計図が、公募により採用された。

  • 建物の意匠・細部の装飾は、オーガスタス・ウェルビー・ピュージン Augustus Welby Pugin (1812-1852) が担当した。

  • リチャード三世を含む国王達の彫像は、国会議事堂の中央ロビーに置かれている。

  • それらの彫像は、画家のスケッチをもとにして彫刻家達が彫った。スケッチの一部は現存し、建設省に保管されているが、それらには画家の署名はない。


【推測】



  • 『国会議事堂の死体』では、ピュージンがこれらのスケッチ(彫像の原画)を描いたと推測している。この説の信憑性は私にはわからないが、おそらく、そう突飛な推測ではないのではないかと思う。


【創作】



  • 議事堂の彫像の原画を描いた画家(ピュージンと推測)は、もう一枚、リチャード三世のスケッチを描いた。議事堂の彫像とは異なり、傴僂の像で、王冠もない。

  • そのスケッチを元に石像がつくられ、ロッシー館(架空の館)に置かれている。石像は《エフレナーテ》像と呼ばれている。



ちなみに、架空の《エフレナーテ》像のスケッチは次のように描写されている。



それは傴僂の、哀れむべき半身像で、首と肩のところで隆起した肉塊が苦痛にこわばっているのが見えた。一方の手はだらりとたれ、その指は不自然なほど長く、硬直していた。もう一方の手は想像上の石の影に隠れていた。そのポーズは苦しく痛々しいものだった。
ところが、画家の腕前と性格描写における絢爛たる才能に関して全員の心を打ったのは顔だった。細くて高い鼻のついた、力強く、かつ精巧にかたどった顔、穏やかな幅広の眉、そして深い諦観に彩られた目。口は意志的であると同時に柔和で優しかった。

この(架空の)スケッチと、実在する彫像の写真について、登場人物の一人はこう言う。

同じ芸術家による二人のリチャードだ。そうでしょう?
鼻は同じだし、両方の口も似ていて……

うーむ。この彫像、観てみたいぞ。せめて写真だけでも。
国会議事堂の中央ロビーにあるそうだが、具体的には部屋のどこなのか?



国会議員にしてブライ委員会のメンバー、キミズ夫人(『国会議事堂の死体』)の言葉によると、

上院議会に向かって歩くと左手、セント・ジョージのモザイクの下にあって、とてもしっくりきているわ。

ボトム像なのよ、つまり柱の足元にあって、ちょうど目の高さにくるということ。有権者たちが私を待っている間に見るのがあの像だというわけ



『国会議事堂の死体』はフィクションではあるが、実在の建物や歴史的事実に関しては、基本的に正しい記載をしているようなので、この通りなのであろう。
……でも、公式サイトのパノラマ映像を見ても、どれなのか全く分からないんですけど(涙)
国会議事堂は、夏季に一般公開をしているから、彫像の写真を撮っている人も中にはいると思うのだけど。



【追記】

Richard III Societyのサイト内に、この彫像の画像があります(一番上の写真の右下) かなり不鮮明ですが。
下のコメント欄でMlle Cさんに教えていただきました。ありがとうございました。



【追記2】 2008.8.30
psyさんによると、国王・女王だけでなく、王妃達の彫像もあるそうです。ただ、写真撮影は禁止とのこと。残念、無念。Richard III Societyが許可をとって、綺麗な写真を撮影してくれないだろうか?グロースター公のpatronageを受けてるんだし。



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リチャード三世の彫像 [ミドゥラム城]

まずはミドゥラム城 Middleham Castle についてきちんと書くべきなのだろうが、今回は簡単な紹介に留め、ここに置かれているリチャード三世の彫像(石像)について書きたいと思う。



ミドゥラム城は、リチャード三世が少年時代を過ごした城の一つである。当時、母方の従兄弟のウォーリック伯リチャード・ネヴィル("キングメイカー")がこの城を所有しており、リチャードは彼の下で、教育と騎士としての訓練を受けた。
後に、ウォーリック伯の叛乱と戦死、エドワード四世の復位を経て、リチャードはウォーリック伯の所領の一部を付与され、この城もリチャードのものとなった。



現在、屋根はなくなっているものの、Castle Keep(城の本丸に相当)の大部分が残っており、English Heritage が管理している。



【Link】 Middleham Castle (English Heritage内)

【参考記事】 Middleham Castle: A Royal Residence : DVDの紹介



ここに、リチャード三世の彫像が置かれている。







ヨークシャーの(リポン Ripon 在住らしい)彫刻家 Linda Thompson 作。English Heritage の依頼で、1996年に作られた。



正面像は、両腕がないのが気になるものの、一見して悪くない感じである。顔立ちもごく真っ当だ。



猪(リチャードのバッジ=徽章)を足で踏みつけているのが微妙と言えば微妙だが、こういう構図(足下に本人のバッジ)は、当時の挿絵等で見受けられるので、それを踏襲したとも考えられる。



実は、上半身の拡大写真を見ると、両肩と左腰に奇妙なものが見えるのだが……





問題は後面像だ。The Richard III Foundation の CEO / President に、"How many of us wish it would disappear forever to be replaced with a statue befitting Richard III." と言わしめる原因はここにある。





背中の右側には、ドラゴンのような鱗を持った生き物がいて、長ーい尻尾をリチャードの右肩にかけているらしい(正面像で、先端が見える)。翼もあるように見える。顔は、右横からの写真だと鳥っぽい。「ダチョウのような顔」と感想を書いている人もいたが、私にはむしろ鶏っぽく見える (^_^;)



左肩から背中には、くるりと巻いた角を持ち、痩せてゴツゴツした体の、これまた良く分からない生き物がぶら下がっている。この生き物の手が、リチャードの左肩と左腰にかかっており、正面から見える。で、一番下には膨らんだ尻尾があるような……?



この作品の公式の解説は見つけることができなかった。ので、以下は私の想像だ。



右の生き物は、やはりドラゴンの類ではないかと思う(顔がちょっと妙だけど)。東洋の竜と異なり、西洋のドラゴンは伝統的に邪悪なものだ。天使や聖人に退治される存在であり、サタンの象徴でもある。もっとも、これはキリスト教における世界観で、ドラゴンは異教的(非キリスト教的)な存在と言う方が正確だろうが。
さらに私の拙い知識を駆使して考えると、左の生き物は、gargoyle とか babewyn とか、とにかく monster の一種に見える……



【追記】 2008.7.28
Leiさんに、「左背面のやつはBaphometに見えるのですけれど・・・。右のやつは、phoenixとdragonの合いの子みたいな感じですね。」とコメントいただいきました。
確かに、左背面のはBaphometを連想させますね、山羊っぽい角が……。



【追記2】 2008.8.4
psyさんに、「あのメリノー種の羊のような角はバフォメットを思い起こさせるなーと思っておりました。でも、顔はリヴァイアサンのような。」とコメントいただきました。確かに似ています。
Leviathanの絵↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Destruction_of_Leviathan.png



【追記3】 2008.8.7
灯台下暗し。Ricahrd III Societyのサイトで、この彫像について書かれていた(前に見ている筈なのに……記憶力減退orz 暑さのせいだ、きっと、たぶん)
Ricardian Sites - Middleham


A few years ago, a rather controversial statue of Richard III was erected in the bailey, close to the entrance. The sculptor, Linda Thompson, has tried to portray various descriptions of Richard, including the good king and the Shakespearian villain. A basilisk is partially visible behind Richard, its tail curling over his right shoulder to form part of the livery collar.


この解説によると、右の生き物はバジリスク Basilisk らしい。なるほど。それであの鶏頭の説明がつく。
……追記ここまで……



……「リチャード三世は悪魔や怪物を背負っている、もしくは、魔物に憑かれている」という解釈でよろしいのでしょうか?(本人の両腕がないのもそれと関係してる??)



【追記4】 2008.8.7
上の【追記3】で引用した Richard III Society の記載によると、作者は、「リチャードについての様々な描写(善王やシェイクスピア版の悪党を含む)を表現しようとした」そうだ。
……追記ここまで……



作者の真意はともかくとして、とりあえず、リカーディアンの間での評判は極めてよろしくなかろう、ということだけは、容易に想像できる。よりによってミドゥラム城につくらんでも……(いや、ミドゥラムだから像を置こうと考えたんだろうけど)
flickrで画像検索すると、嬉しそうに横に並んで写真撮ってる人もいるけど(当然正面から撮影)。



【追記5】2012.4.5に、作者の Linda Thompson さん御本人から、拙ブログに彫像に関してのコメントをいただきました!
コメントの内容をかいつまんで書くと、English Heritage からは、リチャード三世の外見のみならず、彼についての評価をめぐる論争をも反映した彫像を依頼されたそうです。
リチャードの(右)背部の生き物は、(Ricahrd III Societyのサイトで解説されていたように)バジリスク Basilisk。リチャードの(左)腰に手をあてているのは demon で、 リチャードが最後の戦の前夜に苦しんだと言われている悪夢を示したもの。両腕を断ったことは、作品構成に強さを与え(make the composition of the figures more intense: うまく訳せません……)、かつ、彼の死後、彼に対する評価に付随してきた話や嘘の無慈悲さを反映したとのことです。
詳しくは、御本人のコメントをお読みください。
……追記ここまで……



【Link】 リチャード三世の肖像_2 (Carpe diem のpsyさん):ミドゥラムに旅行された際の記事をお書きになってます。写真あり。



【ミドゥラム城の彫像のその他の写真】



Picasa ウェブ アルバムから




flickrから




実は、私が一番観たいリチャード三世の彫像は(レスターのものを別として)、国会議事堂にある筈のものだ。画像を捜しているのだが、見つけられないでいる。 不鮮明な画像1枚しか見当たらない。

国会議事堂には歴代の王の彫像(石像)が置かれており、リチャード三世の彫像も、上院と下院の間の中央ロビー Central Lobby の壁龕におさめられている筈なのだ。
この部屋▽にある筈……





【関連記事】 リチャード三世の彫像 [国会議事堂]



最終更新日:2012.11.5

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ブログ通信簿

ブログ通信簿というのが流行っているらしいのでやってみた。最新記事10件の内容を解析するようだ。
なんじゃこりゃ、という結果が出て、面白いので貼りつけてみた。


ブログ通信簿




管理人は、26歳男性だそうです。へー、そうなんだ。本人も知らなかったよ。
年齢に関しては、もう少し上に出るんじゃないかと思ってたのだけど。割と固めの記事が多いような気がするし(って、そう思ってるのは自分だけ?)。時々、顔文字なんか使うからか?



もっと自分の意見を言ってみてもいいそうです。そう?えへ。
「国王陛下マンセー(万歳)!」と叫んでみるとか、
「リチャードは何も悪くないんだからっ!悪いのはぜーんぶヘンリーなんだからねっ!」とキレてみるとか、
どこぞのリカーディアンのように「聖リチャード」とうっかり口走ってみるとか?
イタイよ、それ……



「良く話題にしている韓国ドラマの知識や経験をいかして、劇作家を目指しましょう」
は?韓国ドラマ?最近10件どころか、一度も話題にしたことなんかありませんが。



結論:通信簿をつける先生は英国と韓国を区別できない。目指すべきは、英国ドラマの劇作家<無理
と思ったのだが、あまりに解せないので、自分の最近の記事10件を確認して見た。新しい順に



  1. Middleham Castle: A Royal Residence

  2. 猫と鼠と犬と豚

  3. タペンスとばら戦争 『運命の裏木戸』

  4. 『ロンドン A to Z』―ヨーク遠征

  5. 「リチャード三世」という名のチーズ

  6. 2008年6月 の記事 一覧

  7. 伝言板 4

  8. DVDのリージョン・コード -雑感-

  9. 海外のDVDを観るには 2

  10. 海外のDVDを観るには 1



これだ!最後の3件。「韓国ドラマ」云々言われたのは、DVDのリージョンコードの記事のせいだ!
……確かに、韓国のDVDのリージョンについても書いたけどさー 私の観たいのは英・米・豪のDVDだって太字で強調して書いてあるじゃん。
もう少し記事が増えてからまた試してみようかな~<懲りてない



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"Middleham Castle

Middleham Castle: A Royal Residence
UK 2008年 45分



先日見つけて、凄ーく気になっているDVD。psyさんからも情報をいただいた。
公式サイトはこちら▽

loyaltybindsme.com



ミドゥラム城 Middleham Castle は、リチャード三世が少年時代を過ごした城の一つであり、長じて北部を統治した際のお気に入りの居城でもあった。妃アン・ネヴィルとの間の一人息子エドワードもこの城で生まれている。
現在は荒廃しているものの、Castle Keep(城の本丸に相当する)が残っている。



【Link】

ミドゥラム城の場所・航空写真(Google Maps)

Middleham Castle (English Heritage内)



このDVDは、現在の城の映像や、CGによる城の再現映像を収録しているようだ。
気合が入っていそうなURL。そして、"first DVD in The Richard III Collection"という言葉が、否が応でも期待を誘う。
注: リチャード三世のモットー(銘)"Loyaulte Me Lie"(ラテン語)を英語に訳すと"Loyalty Binds Me"(忠誠がわれを縛る)となる。



Trailerを公式サイトで観ることができる。YouTubeでも低解像度版が公開されている↓






英語字幕つきらしい。リージョンALL(0)で、NTSC版とPAL版を用意している、というのも良い。
海外の場合、送料込で$45。45分という長さ(短さ)を考えると、ちと微妙な値段だが、そうそう大量に売れるものとは思えないから、まあ妥当なところだろうか。



リチャード三世関連の著名人(?)3名のReviewが紹介されているのだが、The Richard III FoundationのCEO / PresidentのReviewがおかしかった。DVDのハイライトを2点挙げており、その1点目が


The sculpture of Richard III has raised many comments over the years, many uncomplimentary and with good reason – through the magic of film, John simply makes it disappear.  How many of us wish it would disappear forever to be replaced with a statue befitting Richard III.



「どれだけ多くの者が、これが永久に消え去り、リチャード三世にふさわしい像に置き換えらればと願っていたことか」とFoundation の CEO / President が力説する彫像については、別記事(リチャード三世の彫像 [ミドゥラム城])で。



ところで、firstということは2ndの予定もあるのか?と思っていたら、"Sandal Castle"のDVDを作成中とのこと。やったー!
どうしよう。2ndが出るのを待って、一緒に注文しようかなー



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猫と鼠と犬と豚

The catte, the ratte and Lovell our dogge
Rulyth all England under a hogge.


猫と鼠と犬のラヴェルが
豚の下で全イングランドを治める


1484年7月18日に、セント・ポール大聖堂の扉に貼りつけられた有名な詩である。リチャード三世政権を批判する内容となっている。現代英語では次のようになる。


The cat, the rat and Lovell our dog
Rule all England under a hog.


それぞれの動物が指しているのは、リチャード三世の側近と、リチャード三世自身。





  • 猫(cat):ウィリアム・ケイツビー Sir William Catesby

  • 鼠(rat):リチャード・ラトクリフ Sir Richard Ratcliffe

  • 犬のラヴェル(dog):ラヴェル子爵フランシス Francis Lovell, Viscount Lovell
    彼の紋章の兜飾り(クレスト)は銀色の犬だった。

  • 牡豚(hog):リチャード三世
    リチャード三世の徽章(バッジ)は白猪(White Boar)で、紋章のサポーター(楯持ち)にも猪が使われることがあった。「豚」と呼んで侮辱している。
    なお、紋章学上のBoarはWild Boar(猪)を意味するが、Boarという単語自体には牡豚の意味がある。
    【関連記事】 リチャード三世の紋章  リチャード三世の徽章(バッジ)


この詩を書いたのは、ウィリアム・コリンボーン William Collingbourne (Colyngbourne)。
彼は、ウィルトシャー出身のエスクワイアで、エドワード四世の家臣(官吏)だった。ウィルトシャーやサマーセットの州長官 Sheriff だったことがある。また、セシリィ・ネヴィル(エドワード四世とリチャード三世の母)の、ウィルトシャーの所領の Steward(執事, 家令)をしていたようだ。
彼は、前年10月の南部諸州の叛乱(ウィルトシャーを含む)の後、ウィルトシャーの行政部門の職を失っていた。叛乱に関与していたか、関与を強く疑われたか、いずれかだろう。



コリンボーンは、同年、処刑された。
処刑の理由は、詩の内容にリチャードがブチ切れたからではなく、叛乱計画の首謀者の一人だったからである(ただし、この詩を貼りつけたことにより、コリンボーンに対する刑罰は非常に重いものとなった)。叛乱計画の中心はイングランド南部にあった。


詩を貼りつける8日前、7月10日に、コリンボーン等は、トマス・イェイト Thomas Yate をブルターニュに送る計画を立てた。ブルターニュ公国に亡命中のヘンリー・テューダーに、イングランド侵攻を促すためである。
彼らは、聖ルカの祝日(10月18日)に、ヘンリーをドーセットのプール港 Poole に上陸させようとしていた。



ドーセットのジョン・ターバーヴィル John Turberville of Friar Mayne (亡命中のイリー司教モートンの親戚)がこの陰謀に関与しており、ヘンリー・テューダーの上陸と同時に、コリンボーンとターバーヴィルが叛乱を起こす予定だった。



コリンボーン等は捕えられ、この叛乱は未遂に終わった。
同じ頃、この事件とは別に、南西部でも不穏な動きがあり、叛乱勃発までは至らなかったが、叛乱指導者の一部がブルターニュに逃亡した。



リチャード三世は、国内の叛乱計画者達と、ブルターニュの亡命者達(ヘンリー及びその配下)との連携を恐れ、ブルターニュ公国にヘンリー・テューダーの引渡しを要求した。9月、ブルターニュ公は要求を受け入れたが、それを知ったヘンリーはフランスに逃亡してしまった。



ウィリアム・コリンボーン等の陰謀計画を調査する巡回裁判委員会が開かれたのは11月29日である。
反乱の予定日(10月18日)を過ぎるまで、および、その後しばらくは、ヘンリー・テューダーの動きを警戒し、裁判を開かなかったようだ。ヘンリーはイングランド侵攻の動きを見せなかった。しかし、彼は11月にはフランス国王シャルル八世から援助の約束を取り付けていた。



この間、10月末にはイースト・アングリアで叛乱が起き、更に、カレーの要塞の一つ、アム城 Castle of Hammes に幽閉中のオクスフォド伯ジョン・ド・ヴィアの救出計画が発覚した(その後、アム城の守備隊長らが叛乱を起こし、アム城はヘンリー・テューダー側の軍事拠点となった)。



ウィリアム・コリンボーンは、大逆罪を犯したとして、タワー・ヒルで極刑に処せられた。それまでの反逆者達の処刑が絞首刑であったのに対し、非常に重いものであった。
ある意味絶妙のタイミングで目立つことをしたためであろう。



 **以下、処刑の内容について伏字にします。ご覧になりたい方はマウスで反転してください**

"hanged, drawn and quartered"と称される処刑法で、絞首の上、息のあるうちに降ろし、性器を切り取り、内臓を取り出して火に投じ、斬首の後に胴体を四つに切断する刑である。

 **伏字ここまで**



叛乱の相次ぐ中、他の者への見せしめの意味があったと考えられる。



ちなみに、この時、ジョン・ターバーヴィルは処刑されず、牢に戻された。その後の経過ははっきりしないものの、おそらく釈放されたのだろう。Sir John Turberville of Friar Mayne について記載されているサイトによると、生没年は ca.1450-1502 で、ボズワースの戦(1485年8月22日)でナイトに叙されたらしい。



なお、この処刑法は、貴族以外の男性の大逆罪 High Treason に対して課せられたもので(貴族は斬首)、この刑に処せられた有名な人物には、スコットランドのウィリアム・ウォレス(エドワード一世時代。映画『ブレイブハート』の主人公)や、ガイ・フォークス(1605年の「火薬陰謀事件」の陰謀者の一人)がいる。
珍しい(というか、現代からみると奇妙な)ところでは、ピューリタン革命のオリヴァー・クロムウェル(1599-1658)が、王政復古(1660年)の翌年、遺体を掘り出され、裁判にかけられた後に「大逆罪で処刑」された。同時に、クロムウェルの娘婿ヘンリー・アイアトン(1611-1651)と、チャールズ一世の処刑を宣告した裁判官ジョン・ブラッドショウ(1602-1659)―いずれも故人―も大逆罪で処刑された。



【追記】 2008.7.24
女性の大逆罪の場合は、身分に関わらず火刑だったようだ。もっとも、大逆罪で火刑にされた貴族女性は、私は寡聞にして知らない。おそらく貴族の場合、女性も男性と同様に斬首が普通だったと思う。



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タペンスとばら戦争 『運命の裏木戸』

猫に犬だったかしら?いえ、そうじゃない。『猫に鼠に、犬のラヴル。イギリス全土は豚の統治下にある』こうだったわ。豚っていうのは、もちろんリチャード三世のことよ。もっとも、近ごろはどんな本も筆をそろえて、リチャード三世はほんとはすばらしい人物だったのだって言ってるけど。悪党なんかじゃなかったんだって。でも、わたしは信じないわ。シェイクスピアだって信じなかったんだから。なんてったって、戯曲の出だしに『わしは思いっきり悪党になってみせるぞ』ってリチャードに言わせてるくらいだもの。
『運命の裏木戸』 (アガサ・クリスティ)より タペンスの台詞



タペンス……その頑固さが素敵だ(笑)。




運命の裏木戸』 (原題 Postern of Fate 1973年)

運命の裏木戸 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アガサ・クリスティー (著)

早川書房(クリスティー文庫) 840円(税込)  >>Amazon







"おしどり探偵"トミーとタペンスの、シリーズ最終作。そして、クリスティ(1890-1976)が最後に書いた作品でもある。
生前最後に発表されたのは、ポワロ最後の事件『カーテン』(1975年発表)で、ミス・マープル最後の事件『スリーピング・マーダー』は、1976年にクリスティの死後発表されたが、いずれも書かれたのはずっと前―第二次世界大戦中である。




トミーとタペンスは、クリスティの作品中で唯一(と言ってよいと思う)年をとる主人公だ。
初登場時(『秘密機関』)は二十歳過ぎの若者だったべレズフォード夫妻(当時は結婚もしていなかった!)も、この作品では七十代になっている。若い頃は探偵や諜報員として活躍した二人だが、田舎に引っ越し、孫たちの訪問を楽しみにする生活を送っている。しかし、心は若く、好奇心は衰えていない。



タペンスは、引越し先の古い邸にあった古本の整理中、本に奇妙な線引きがあることに気づく。それは暗号で、『メアリ・ジョーダンの死は自然死ではない』『犯人はわたしたちのなかにいる、わたしには誰だかわかっている』と読めた。興味を引かれた夫妻は聞き込みを開始する。
クリスティの得意な、眠っていた過去の犯罪が甦る形式のミステリである。



この、線引きのある、暗号メッセージの隠されていた本が、スティーヴンスンの『黒い矢』。タペンスが子供の頃初めて読んだ本で、懐かしがって読みふけり、暗号に気づくのだ。



上の台詞は、タペンスが本を手にした時のもの。『黒い矢(二つの薔薇)』には、以前書いたように、グロースター公時代のリチャード(後のリチャード三世)が登場するのである。
◇参考記事:『二つの薔薇 (黒い矢)』 1



この台詞、昔読んだ時は全く気にしていなかった。だから、『黒い矢(二つの薔薇)』の本が、この作品で重要な役割を果たしていると知って、読み直して驚いた。こんなこと言ってる(書かれている)とは思わなかったよ。特に、次の部分。

近ごろはどんな本も筆をそろえて、リチャード三世はほんとはすばらしい人物だったのだって言ってるけど。悪党なんかじゃなかったんだって。


一体、いつの話なんだ、これは!と慌てて確認したら、『運命の裏木戸』の発表は1973年だった。リチャード三世擁護論が大いに盛り上がっていた時期ではないか。リカーディアン(リチャード三世擁護主義者)のパーティーで起こる事件を描いたエリザベス・ピーターズの『リチャード三世「殺人」事件』は1974年だ。
そうか、そんなに最近(という言い方はなんだけれど)の話だったのか。もっと前の作品かと思っていた。クリスティほど作家としてのキャリアが長くて多作だと、いつ頃書かれたのか全然覚えていられない。



で、タペンス老婦人は、伝統的「テューダー史観」の持ち主なのですね。まあ、それもまた良し (^_^) この台詞はクリスティ自身の思いでもあったのだろうなあ。『杉の柩』の記述からしても、彼女はランカスター贔屓だったのだと思う。



注: テューダー史観についてはこの辺の記事▽に記載




引用の前半の『猫に鼠に、犬のラヴル。イギリス全土は豚の統治下にある』については、別記事(猫と鼠と犬と豚)で。



ところで、この作品の評判はあまり良くないのだろうか?少なくとも、米・英のAmazonのCustomer Reviewは良くない(5つ星つけてる人もいるけど)。私は久しぶりに読んで楽しめたし、ミステリの筋自体も特に悪いとは思わない(というか好きだ)が、クリスティにしてはイマイチ、と思う人が多いのかもしれない。
個人的には、「眠っていた過去の犯罪が甦る」タイプのミステリは好きだし、歳をとっても元気で仲の良いトミーとタペンスの話が読めるだけでも嬉しかった。タペンスは元気すぎて、読んでいてハラハラするけれど(笑)。




以前、トミーとタペンス・シリーズの『親指のうずき (By the Pricking of My Thumbs)』(1968年)について、「古めのミステリ・ファン」さんから次のようなコメントをいただき、そちらも再読した。『運命の裏木戸』の前作にあたり、やはり「眠っていた過去が甦る」タイプのミステリ。



謎の老婦人「ローズ」の失踪から事件が始まりますが、途中で
「紅白咲きのバラが庭にある」

「謎のランカスター夫人」
「謎のヨーク夫人」
とかのキーワードが続くことにより、知識のある人ならばピンとくるようになっています。
ストーリーはばら戦争とは関係ありませんが、キーワードを拾っていってどのくらい早く気がつくかというのも、楽しいです。


親指のうずき (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)かなり内容を忘れていたので、初読のように楽しめた(^_^;) この作品でのベレズフォード夫妻は50歳前後(の筈)。タペンスはやはり元気かつ好奇心旺盛で、そのために(また)大変な状況に陥っている。
「古めのミステリ・ファン」さんのおっしゃる通り、ばら戦争との関係や直接的な言及はなく、キーワードが点在しているだけなのだが、「知識のある人ならばピンとくるようになって」いる。そして、フムフムと納得しながら読み続けた私は、最後にどんでん返しをくわされた(^_^;)



『運命の裏木戸』よりも『親指のうずき』の方が評判は良いのかもしれないが、個人的には『運命の裏木戸』の方が好みだなあ。



 注:トミーとタペンス・シリーズ(短編集を含めて全5作)で人気が高いのは、初期の作品―長編の『秘密機関』、短編集『おしどり探偵(二人で探偵を)』―と、中期の『NかMか』だと思う。





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『ロンドン A to Z』―ヨーク遠征

ロンドンA to Z
ロンドンA to Z

楠本 まき (著)
祥伝社 1,890円(税込)
Amazon

Mlle Cさんの紹介記事を読んで、気になった本。
ロンドン在住の著者が、アルファベット順にロンドンの見所を紹介するエッセイ本

なのだが、


Yではじまる適当な名所がロンドン市内で思いつかなかったからヨークまで遠征してみた、など、あいかわらず行き当たりばったりである。しかもそのヨークでは「Monkbar Chocolatiersというハンドメイドチョコレートやさんがシティ・ウォールの降り口のどこかにあって(大雑把な記憶)美味しかったのでおすすめ」とのこと。いったいどこの世界に「どこにあるのかはっきり覚えていない店」を読者にすすめる旅行本があるというのか! おもしろすぎる!!


お、面白すぎ~(笑)。楠本まきさんという漫画家さんは存じ上げないのだが、他の作品も気になってしまった。
そもそも「ロンドンA to Z」と銘打って「ヨークまで遠征」というのが笑える。ロンドン近郊ならともかく、ロンドン‐ヨーク間は列車で2時間かかるのだ(片道)。



そして、"Monkbar"の文字に脊髄反射するオタクな私。
ヨーク市を取り囲むシティ・ウォール(城壁)の城門(バー)の一つがモンク・バー Monk Bar で、そこには、リチャード三世博物館(Richard III Museum)があるのだ!
 *注意↑ 音楽とナレーションが流れます
博物館のサイトには、FREE OFFERS というコーナーがあり、このページを印刷して持っていくと、入館料が割引かれたり、リチャード三世の葉書をくれたりするらしい。ううっ、行きたい……

Mlle Cさん曰く『あのおっかない人形と一緒に記念写真を撮るのが夢です…』(太字は秋津羽)
ええ、私も記念写真撮りたいです(普通に撮影できる筈)。初めて人形の写真を見た時は責任者を問い詰めたい気分になったけれど、もうすっかり慣れましたよ。まあ、あれはあれで味がある、と言えなくもない、んじゃないかと<弱気

【関連記事】


この本の旅行ガイドとしての実用性は不明だが(私はそもそも未読なのでわからない 汗) 、少なくともヴァーチャル観光としてはかなり楽しめそうな気がする。そのうち、本屋で探してみよう。

【Link】


【追記】 2008.7.22

本屋に寄った際に探したところ、エッセイ・コーナーで見つけてパラ見した。上質紙に綺麗なカラー写真が印刷されており、そばに短いエッセイ文が掲載されている。装丁も美しく、ちょっとオシャレな本であった。
他に買う本があったので購入しなかったが、いいなー、これ。
残念なのは、Mlle Cさんもお書きになっていたように、ページ数が少ない(110ページ)こと。一つ一つのエッセイ文自体も短いので「あっという間に読み終わってしま」いそう。

私は、どちらかというと長文がびっしり書かれている本が好きだ。図録や写真集の場合は、大きくて細部まで分かるカラー写真がたくさん載っているのが好き。重要ポイントの拡大写真や、立体物の場合は側面・後面の写真もあるとなお良し。解説文もちゃんとつけて欲しい。
……書いているうちに、私の本の好みは「オシャレ」とは対極にあることに気づいた。情報量が多い本が好きだと言えば聞こえは良いが、要するに貧乏性ということじゃないか? orz

えー、気を取り直して、内容について少し。
Bの項で紹介されていた場所の一つが、ベイカー街だった。うんうん、そうだろう、と読むと、

ホームズが住んでいたとされるベイカー街221番地はシャーロック・ホームズ博物館になっていて、途中ホームズの扮装の呼び込みがプラカードを手に、所在なさそうに立っている。


……ロンドンに行った際、その「所在なさそうに立っている」ホームズ・コスプレのお兄ちゃんから嬉々としてホームズの名刺(SH博物館の宣伝)をもらい、写真(コスプレ兄ちゃんの)を撮らせてもらった私の立場は一体(^_^;)
ちなみにそのホームズ名刺は、ホームズの絵葉書と一緒に額に入れて、実家の壁に飾ってある。

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「リチャード三世」という名のチーズ

先日、凪乃さんに、コメント欄でお教えいただいた

イギリスに行った知人の証言によると、あちらにはそのものずばり「リチャード三世」という名のチーズがあるそうです。



おお、そんなものが!と、早速調べてみたら、ウェンズリーデール(ウェンズリーデイル)・チーズだった。
ウェンズリーデイルとな~♪ 「リチャード三世」の名にふさわしいではないか。





デール dale とは谷を意味する。ただし、日本の谷とは異なり、イングランドの dale は起伏が緩やかだ。ヨークシャーには多くの dale があり、一帯がヨークシャーデールズ国立公園 Yorkshire Dales National Park に指定されている。
ヨークシャーデールズのうち、北部にある dale の一つがウェンズリーデール Wensleydale  である。そして、リチャード三世が少年時代を過ごし、後にお気に入りの居城になったミドゥラム城 Middleham Castle はウェンズリーデールにあるのだ。



ウェンズリーデールでのチーズ作りは、12世紀にシトー派の修道院が建設されたことに始まる。
1145年、シトー派の修道士達がウェンズリーデールの荒地(Fors near Aysgarth)に移住した。ブルーチーズで有名な、フランスのロックフォール Roquefort から移った者が多かったらしい。ウィリアム一世によるノルマン・コンクェスト(1066年)から80年ほど後のことだ。
1156年、彼らはウェンズリーデール東側の新しい土地に移転し、その地をジャーヴォー Jervaulx と呼んだ。これはフランス語で、英語に直すと Ure Valley となる(ウェンズリーデールに流れる川が Ure 川であることから命名)。新しい修道院は、ジャーヴォー修道院 Jervaulx Abbey と名付けられた。



修道士達は、ロックフォール・チーズと同様に、羊乳でチーズをつくり始めたが、1300年代から原料は牛乳に替えられていった。
ジャーヴォー修道院の最後の修道院長は、1536年の恩寵の巡礼の乱 (Pilgrimage of Grace)に参加し、翌年処刑された。修道院はヘンリー八世により、まもなく解散させられた。現在は廃墟となっている(私有地だが、一般に公開されている)。
 * ジャーヴォー修道院(跡)の公式サイトは、現在改装中



修道院の解散後は、付近の農場でチーズが作られるようになった。
ウェンズリーデール・チーズはもともとはブルーチーズだったが、現在の主流はホワイトチーズとのこと。


ウェンズリーデール・チーズで有名なのは、Wensleydale Creamery の製品。ウェンズリーデールのホウズ(ホーズ) Hawes という町(村?)に工場があり、観光名所となっている(Wensleydale Cheese Visitor Centre が一般に公開されている)。チーズ作りの見学もできるそうだ。



この工場は、VisitBritain のヨークシャーの旅のプランでも紹介されている。


市場町ホーズに位置するウェンズリーデール乳製品製造所では、賞を獲得した各種のチーズ――ぽろぽろと砕けるタイプの白いウェンズリーデールチーズ、なめらかなチーズ、硬いチーズ、青かびチーズなど、各種のチーズの試食ができます。ウェンズリーデールチーズは、シトー修道会の修道士たちが1150年にこの谷に定住し、ホーズから4マイルの場所に修道院を設立したとき以来、作り続けられています。



ウォレスとグルミット チーズ・ホリデー一時は倒産の危機に陥るほど経営状態が悪化したそうだが、クレイ・アニメの「ウォレスとグルミット」のウォレスの大好物がウェンズリーデール・チーズ、という設定で、国内外で一気に知名度アップ。人気が出たらしい。めでたし。



ちなみに、
「ウォレスとグルミット」の第一作は『チーズ・ホリデー(The Grand Day Out)』。ロケットを作って月にチーズを取りに行く話。月はチーズでできているそうな……
このアニメ・シリーズは全部好きだ。グルミット可愛い。健気。『ウォレスとグルミット、危機一髪!(A Close Shave)』に出た羊のショーンもめちゃくちゃ可愛い。飼うとしたら大変だけど。そして動物たちが全くしゃべらないのがツボだ。



【Link】





さて、前置きが非常に(異常に)長くなったが、問題の「リチャード三世 King Richard III」チーズの生産者や農場のサイトは見つからなかった(サイトはないようだ)。代わりに、チーズを扱っているshop等をいくつか見つけた。



どうやら、小さな農場で作られているチーズで、割と新しい製品らしい。作っているのは、Newton-le-Willows, Bedale にある Fortmayne Farm の Suzanne Stirke さん。戦前の伝統的な方法で作っているそうだ。"mild, lemony"とか"especially moist and creamy"とか"creamier than other wensleydales with a subtle, milky flavour"とか書かれている。"crumbly with an open texture"とのことで、「ぽろぽろと砕けるタイプ」のチーズなのだろう。でもクリーミーなのね。何となく想像できるような、できないような(苦笑)。
いずれにしても、日本で入手するのは難しいだろう。残念。



* Richard III Cheese (Teesdale Trencherman内):写真あり(ワックスに覆われた状態)

A moist creamy Wensleydale waxed. Extremely popular since its introduction a few years ago.



* Cheese Place Online:下1/4位に記載

Produced by Suzanne Stirke on a single farm (Fortmayne Farm in Newton-le-Willows, Bedale). Made to a traditional Wensleydale recipe, this cheese is mild, lemony and crumbly with an open texture.



* King Richard III (The Cheeseboard内):写真あり


Made by Suzanne Stirke on Fortmayne Farm in Newton-le-Willows, Bedale.

Made to a traditional Wensleydale recipe, this cheese is creamier than other wensleydales with a subtle, milky flavour.



* Dales Festival of Food and Drink, Yorkshire Dales:最初が Fortmayne Farm Dairyの紹介

Traditionally produced Wensleydale cheeses made to pre-war farmhouse recipes including the King Richard III Wensleydale - especially moist and creamy.


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