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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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伝言板 5

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記事を利用した「伝言板」です。
「特定の記事と関係のないコメント」など、どの記事にコメントしようか迷った時は、こちらをご利用ください。

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グレイフライヤーズ修道院跡 2 [レスター]

リカーディアン的レスター案内 4-2. グレイフライヤーズ修道院跡 2



リチャード三世協会は、1990年にグレイフライヤーズ修道院の跡地に銘板を設置した。リチャード三世協会のパトロンであるグロースター公(HRH The Duke of Gloucester, 1944-)が除幕を行った。
設置場所は、Grey Friars (通り)沿いの銀行の壁とのことで、以前の NatWest Bank の建物だろう。
リチャード三世の墓があったのは、その近辺だという説が有力らしい。



Richard III Plaque : 銘板の写真(flickrより)





銘板には次のように書かれている。



NEAR THIS SITE STOOD THE
CHURCH OF THE GREYFRIARS
WHERE THE BODY OF RICHARD III
THE LAST PLANTAGENET KING OF ENGLAND
WAS INTERRED AFTER HIS DEATH, AGED 32,
AT THE BATTLE OF BOSWORTH FIELD
22 AUGUST 1485
Requiescat in pace


この場所の近くにグレイフライヤーズの教会があり、
そこに、プランタジネット朝の最後の国王リチャード三世の遺体が埋葬された。
彼は、1485年8月22日ボズワース・フィールドの戦で32歳で死去した。
安らかに眠れ
(秋津羽 訳)



現在、この建物は改修予定もしくは改修中(レストランとアパートメントになる)で、銘板をどうするのか、ちょっと気になる。



【Link】

Blue Plaques > People > Richard III : 銘板の画像あり (Leicester City Council 内)

Achievements > 1990s : Leicester Plaque の設置について記載 (Richard III Society 内)



最終更新日:2008.8.26


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グレイフライヤーズ修道院跡 1 [レスター]

リカーディアン的レスター案内 4-1. グレイフライヤーズ修道院跡 1



1485年8月22日、リチャード三世はヘンリー・テューダー率いる軍に破れ、ボズワース・フィールドに斃れた。523年前の今日である。



リチャードの遺体は裸にされ汚辱を加えられた後、ボズワース・フィールドの東12マイル(約19km)にあるレスターに運ばれた。遺体はレスターで数日間さらされた後(場所には諸説あるらしい)、市内のグレイフライヤーズ Greyfriars に埋葬された。



この修道院は1538年にヘンリー八世の宗教改革で壊され、リチャードの墓も失われた
そしてリチャードの遺体は掘り出され、近くのソア川に捨てられた、という話がまことしやかに伝えられているが、真偽はさだかではない。遺体は埋葬されたまま、場所が分からなくなった―つまり、遺体はまだグレイフライヤーズの跡地にある、と考えている人々もいる。






この修道院の場所については、詳しく調査したリカーディアンがいて、ありがたくその結果を参照させていただいた。レスター観光地図(リカーディアン版)を作る際にも、大変助かった。

David L. Treybig, Ph. D. によると、南は Friar Lane 、東は Grey Friars 、北は Peacock Lane 、西は Southgate Street に囲まれた区域だという。なお、 Peacock Lane は、東側(Grey Friars 側)で、St Martins に名前が変わる。



【Link】 In Search of GreyfriarsRichard III Society, American Branch 内)



グレイフライヤーズ修道院の跡地には、リチャード三世協会により、1990年に銘板が設置された。この銘板についてはグレイフライヤーズ修道院跡 2に記載。



なお、On The Trail Of Richard III In Leicester という Leicester Tourist Information Centre による記事(2004年)には、グレイフライヤーズ跡地について次のように書かれている。


The site of Greyfriars Monastery is now part of the New Street car park. As you walk into the car park from New Street, there is a small piece of grey stone wall on the right just behind the parking
attendant’s hut. This is believed to be the only remaining part of the Monastery.



グレイフライヤーズ修道院の場所は、現在、New Street car park の一部となっている。New Street から car park に入ると、駐車場の係員の小屋のちょうど後ろに、小さな灰色の石壁の一部がある。これが、修道院のなかで唯一残っているものだと信じられている。(秋津羽 訳)


駐車場だとー!何ということだ。おいたわしや、我が君。
義憤にかられながら(<おいおい) Google Maps でサテライト画像を確認したところ、確かに跡地内には駐車場とおぼしきものが……




Greyfriars (Satellite)



←Google Maps APIを利用したレスター観光地図(リカーディアン版)のサテライト画像のキャプチャ。
クリックすると拡大画像が見れます。


緑の枠で囲まれているのが、グレイフライヤーズの跡地。


そのうち、工事が行われるようなので、今のうちに画像を保存しておくことにした。……サテライト画像でどの程度違いが分かるか不明だが。
別に駐車場部分の工事ではないし。






そう、工事が行われるのである。もしかすると、もう始まっているかもしれない(そんな記事を読んだ気がする、のだが、うろ覚え 汗)。
【追記】最近(2008年8月下旬)レスターに行かれたpsyさんによると、すでに工事中とのこと。



グレイフライヤーズの跡地(の一部)は、NatWest Bank が使用していた。この銀行の建物(東側の Greyfriars Lane と 北側の St Martins の角)は、1999年以来、使われていなかったようなのだが、レストランとフラット(アパートメント)に改装される事になったのだ。
工事の際には、レスター大の専門家が調査を行うとのこと。もっとも、調査範囲が狭いこともあり、リチャード三世の遺骨が見つかる可能性は低いだろう(たとえ埋葬されたままだったとしても)。レスター大の Archaeological services の Director Richard Buckley 氏 は、ローマ時代の遺構を見つける可能性が最も高く、中世の建造物が見つかればラッキーだ、と考えているようだ。



【Link】 Dig offers hope of finding Richard III's bonesNews for Medievalists より(2007.6.14)



実は、比較的最近、グレイフラーヤーズの調査では、ローマ時代の地層しか見つからなかった、という記事を読んだような気がするのだが、記憶が定かでない(^_^;)



最終更新日:2008.8.26

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Battle of Bosworth Re-enactment [ボズワース]

Richard III - Battle of Bosworth Reenactment



2006年8月20日に行われた"ボズワースの戦"の再現イベント(Re-enactment)の様子。スライド形式(のようなもの)で、動画でないのが残念だが、うまくまとめられている。

なお、昨年(2007年)は、洪水後でボズワース・フィールドが水浸しの状態だったため、このイベントは中止された。今年は無事に行われた事だろう。





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Bosworth Summer Medieval Festival 2008 [ボズワース]

リチャード三世の命日である8月22日に最も近い週末(22日より前)に、レスターシャーの古戦場ボズワース・フィールドで、毎年イベントが行われる。
今年は、8月16日(土)と17日(日)。8月22日が金曜日のため、日程が早い。




リチャード三世協会 The Richard III Society の紹介によると、今年のプログラムは次の通り。



  • 10.00 Events begin - Living History - - Main Field

  • 11.00 First Skirmish (Tewksbury) - - Main Field

  • 11.30 Fashion Medieval Costume Show - Courtyard

  • 12.00 Mounted Display - - Main Arena

  • 13.15 Firepower - - Main Arena

  • 14.00 Meet the Kyng - Richard III at lunch with several Officers/Lords - Camp area

  • 14.30 Foot Journey - - Small Arena

  • 14.30 (Sunday only) Dr Phil Stone - Richard III talk - Heritage Room

  • 15.00 Joust - - Main Arena

  • 15.30 Arming for Warre (Arming the Knight) - Courtyard

  • 16.00 Second Skirmish - - Main Arena

  • 16.30 Grand Finale - - Main Arena


【Link】 Bosworth Battlefield: Heritage Centre & Country Park : ボズワース・バトルフィールド・センター Bosworth Heritage Battlefield Centre は最近改修され、公式サイトも新しくなった。



【関連記事】 Battle of Bosworth Re-enactment: ボズワースの戦の再現イベント(2006年)の画像の紹介


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ウォームゲイト・バー [ヨーク]

Walmgate Bar



ヨーク市を取り囲むシティ・ウォール(城壁)の南東にウォームゲイト・バー Walmgate Bar がある。





下のアーチ部分を入れて3階建ての石造りの建物だ。12世紀半ばに門楼がつくられ、14世紀に Barbican が加えられた。Barbican とは、防御のために門や橋の外側に飛び出して設けられた楼門もしくは通廊のことだ。



ウォームゲイト・バーは、損傷と修復を繰り返し受けてきた。1644年、イングランド内戦(ピューリタン革命)時のヨーク包囲 Siege of York の際には、議会派により大砲の砲撃を受けた。



しかし、Barbican と落し格子 portcullis は現在も残っている。
ヨークの4つのバー(城門)のうち、 Barbican が残っているのはウォームゲイト・バーのみである。



←ウォームゲイト・バーのBarbican。奥にバー(城門)本体が見える。








←Barbican を通って、バーの正面へ







←シティ・ウォールの内側から見たウォームゲイト・バー。



16世紀(おそらく1584~1586年)に、2階・3階部分の後面から突出する形で、木造の部屋がつけ加えられた。この部分は2本の石柱で支えられている。



【Link】

History of the city walls : City of York Council 内

A Walk around the Bar Walls of York : 地図あり(Explore York 内)



最終更新日:2008.8.18

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ブーサム・バー [ヨーク]

The York Waits のアルバム"Music From the Time of Richard III"のCDジャケットには、ヨーク市のシティ・ウォール(城壁)の前で、コスプレした 衣装を着た The York Waits のメンバーが演奏する写真(下)が使われている。向かって右手奥にヨーク・ミンスターの先端が写っている。

Music from the time of Richard III

このジャケット写真はどこから撮影したものなのか?
最近、ヨークのバー(城門)について調べていた時に、良く似た写真を見た覚えがある。

写真を見直してみる。
向かって左側には、シティ・ウォールに連続して、石造りの低い建物がある。これはバーではないか?

ヨーク・ミンスターに近いのは、ブーサム・バー Bootham Barモンク・バー Monk Bar だが、写っているのはモンク・バーではない。位置関係からしてブーサム・バーが考えやすい。

【地図】
Map of York City centre, showing the entrance gates (bars) and the city wallsA personal tour of Yorkshire UK 内)

ブーサム・バーの場所・航空写真(Google Maps)



画像検索して見たら、同様の構図の写真があっさり何枚も見つかった。



やはり、ブーサム・バーだ。

"Music From the Time of Richard III"の録音は1986年。CD発売は1987年らしい。20年以上前になる。

左の最近の写真では、シティ・ウォールの前は普通の車道になり、信号機が設けられているが、基本的な眺めは変わらない。

ブーサム・バーは、ローマ人がこの地に駐屯していた時にあった砦門(の一つ)の場所に建てられている。
現在の建物の大部分は14世紀から19世紀につくられたものだが、一部、11世紀まで遡る部分もある。下のアーチ部分の上に2階ある(アーチ部分を入れて3階建て)。かつては Barbican があったが、19世紀に壊されたようだ。


ヨークを取り囲むシティ・ウォールの上は歩くことができる(道幅は狭い)。Times誌の"Britain's ten best urban walks"(2007年)という記事では、第3位に選ばれている。一周すると2時間かかるそうだ。

Music from the time of Richard III



シティ・ウォール散策のルートとしてイチオシなのは、ブーサム・バーとモンク・バーの間らしい。二つのバー(城門)の間は、他のバーの間と比べて近く(リチャード三世博物館のサイトによると徒歩約20分)、シティ・ウォールの内側には、ヨーク・ミンスターや、ミンスター敷地内(ヨーク・ミンスターの北西)の Dean's Park (たぶん、Deanery Gardens と同じだと思う)も見える。

左は "Music From the Time of Richard III"のブックレットの裏に使われている写真。
後ろの建物はヨーク・ミンスター(北側)。Dean's Park 側から撮影している。

【Link】

History of the city walls : City of York Council 内

Minster Close : 地図あり(Explore York 内)

A Walk around the Bar Walls of York : 地図あり(Explore York 内)


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「リチャード三世・プロジェクト」進行中

Project about Richard III



以前、Real Richard III を映画にするならというタイトルで記事を書いた。



シェイクスピア劇に基づくのではなく、史実に近いリチャード三世を描いた映画/ドラマを作って欲しい(当然、リカーディアン寄りの視点で)という、切なる願望を抱いた私は、妄想爆裂で突っ走り、Carpe diemのpsyさんを初めとして他の方々を巻き込み、当てのない脳内キャスティングを行ったのだった。



実現の可能性は絶無に近いだろう、と思っていたのだが、最近、リアル・リチャードの有望株が現れた、とpsyさんのブログでお教えいただいた。
 【Link】 8/22、レスターで生まれた男 (Carpe diemのpsyさん)



その方のお名前は、リチャード・アーミティッジ(アーミテジ) Richard Armitage。英国の俳優である。
1971年8月22日、レスター生まれ。現在36歳(もう少しでお誕生日)。Coventry のPattison College に通った後、London Academy of Music and Dramatic Art で学んだとのこと。28歳の時に、Royal Shakespeare Company に参加したそう(18か月間)。
経歴を見ると、BBCのドラマに結構出演しているようだ。



BBC - Drama Faces - Richard Armitage : 写真やドラマの紹介多数

IMDb - Richard Armitage : 写真あり

BFI (British Film Institute) - Richard Armitage




psyさんの記事によると、

この方が何かと言うと、ラジオのインタビューで最新作の『ロビン・フッド』を販促中に、テレビ・シリーズのリチャードIIIで、歴史上の偉大な悪党の名誉回復を計画している。「シェークスピアが描いたのは、実際、チューダー・プロパガンダの一片にすぎない。」と宣ったのだそうだ。


脚本を書いたのが、ソサエティー[秋津羽注:The Richard III Society のこと]のスコットランド支部のフィリッパ・ラングレー氏。今までのリチャードの創作を排して、極力事実にのみ即した彼の姿を描いているらしい。彼女は、"North &South"というテレビドラマを数年前に見て、それで主役を張っている彼に触発されて、彼をリチャードIIIとして心に描き出し始めたのだそうだ。



おおおお、素晴らしい!
リチャードさんは我等が王のお亡くなりになられた日、場所でお生まれになった」(by psyさん)というのも、何やら運命的。しかも、
ファーストネームはばっちり、我等が王から取られたのだそうですよ。お父様がリチャードに共感を抱いていらっしゃったのだそうです」(by psyさん)とくれば、これはも
う、是非とも Real Richard III を演じていただかなくては!



リチャードさん、ハンサムではあるけれど、キラキラした美貌でないのが良いですね。
身長は6フィート2インチ(約188cm)とのことで、我らがリチャード王を御演じになるには長身過ぎますが、この際そんなことは些細な問題です!ええ!兄上(エドワード四世)役に更に長身の俳優さんをゲットすればいいんです(って、可能なのか?) できれば四十路前に実現を!



【追記】 psyさんの記事で言及されていた、Richard III Society の会誌の記事らしきものを見つけた▽
The Real Richard III - a new TV Series is 'in development'



ちなみに、話題の(笑)『ロビンフッド』は、BBC製作のTVドラマシリーズ(2006-)である。シリーズ2まで放映され、現在はシリーズ3を製作中らしい。

"Robin Hood" 公式サイト (BBC)



【追記】 BBCのドラマシリーズ『ロビン・フッド』LalaTVで放送予定 2008年12月から!



UK盤、北米盤のDVDが出ている↓



Robin Hood : The Complete BBC Series 1 Box Set
Robin Hood : Series 1 Box Set
UK盤DVD(リージョン2, PAL)


Robin Hood - Season 1 (5DVD)
Robin Hood - Season 1
北米盤DVD(リージョン1, NTSC)


Robin Hood - Season 2
Robin Hood - Season 2
北米盤DVD(リージョン1, NTSC)


《注意》
リージョン1の北米盤DVDは、日本の普通のTV+DVDプレーヤーでは再生できません。
UK盤DVDは、日本の普通のTV+DVDプレーヤーでは大抵は再生できませんが、PC(パソコン)ならば再生可能です。また、PAL→NTSC変換機能のあるDVDプレーヤー(種類は少ないが販売されている)ならばTVで視ることができます。
【参考】:海外のDVDを観るには 1



リチャードさんの役は、サー・ガイ・オブ・ギズボーン Sir Guy of Gisborne。エロール・フリン主演の『ロビン・フッドの冒険 The Adventures of Robin Hood』(1938)では、バジル(ベイジル)・ラズボーンが演じていた ♪ ケヴィン・コスナー主演の『ロビン・フッド
Robin Hood: Prince of Thieves』(1991)は、ノッティンガムのシェリフ役のアラン・リックマンと、ウィル役のクリスチャン・スレーターしか記憶にない(^_^;)



Sir Guy of Gisborne aka Richard Armitage (BBC):リチャードさんの壁紙のダウンロードができる。インタビューも観れる、筈なのだが、何故か私の環境では2007年のインタビューが観れない……


ちなみに、フィリッパ・ラングレー氏が触発されたBBCのTVドラマの紹介はこちら▽
"North and South"(2004) (BBC)



North & South -第1話 (Carpe diemのpsyさん)

North & South -第2話 (Carpe diemのpsyさん)



UK盤、北米盤のDVDが出ている↓ 【参考】:海外のDVDを観るには 1



North And South : Complete BBC Series
"North and South"
UK盤(リージョン2, PAL)


North & South
"North and South"
北米盤(リージョン1, NTSC)


psyさんによると、

この方、「ラジオ・タイムズ」で最初に口火を切ったあとにも、テレビとラジオの両方で、またも『ロビン・フッド』のプロモーション中にどんなにリカーディアン・プロジェクトに情熱を燃やしているか、どれ程リチャードを演じたいと渇望しているかを、訴えたのだそうですよ!いい人だ・・・。



* そのプロモーションの一つを、ファンサイト(非公式) RichardArmitageOnline.com で見つけた。GMTVでの約7分間のインタビュー(2007.10.3)の最後(40-50秒程)で、リチャード三世を演じたいと語っている。"true story"とか何とか↓
GMTV Interview with Lorraine Kelly, 3rd October 2007 (Video)
インタビュー内容のメインは、TVドラマ『ロビン・フッド』。TVドラマ"Agatha Christie's Marple" 第3シリーズ(Geraldine McEwan主演)の"Ordeal by Innocence(無実はさいなむ)"(2007)の紹介もある。
【追記】 psyさんが記事(リチャード・アーミテージ as サー・ガイ)で、該当部分を訳してくださいました。インタビュアーがアーミティッジさんの言葉を遮ってよく聴こえん!邪魔!と思っていたら(単に私がディクテーションできてないだけ)、やっぱり邪魔してたのか……



* BBC Americaの『ロビン・フッド』のインタビュー(たぶん2008年)でも、リチャード三世の名前がちらっと出てくる↓(追記:psyさんによるとプロジェクトとは無関係 ……まあ、そんな気はしたんですが汗
BBC America - Robin Hood - Armitage Interview (Video) :『ロビン・フッド』公式サイト内(BBC America)





* こちら↓は、2008年5月の Daemon's TV のインタビュー。また"a project about Richard the Third"について語っておられる。

Interview: RICHARD ARMITAGE from ROBIN HOOD


Interviewer: Is there a part that you would like to play that you haven’t had a chance to play yet?


RA: At the moment I’m working on a project about Richard the Third. I’m very keen to resurrect his reputation and tell his story, which hasn’t really been told before. It’s not the story that Shakespeare told about the hunchback monster. I’m really interested in looking at that.



* Wikipedia英語版 - Richard Armitage (actor) にも、しっかり、"He is involved in producing a drama based on the life of Richard III."と書かれている。



リチャードさん、ガンガン宣伝して、プロデューサーをゲットしてください!ディレクターも。



【Link】 ファンサイト ― 非公式だが、時々、御本人からのメッセージが寄せられている

The Armitage Army

RichardArmitageOnline.com



最終更新日:2008.10.4


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「ヨーロッパ水紀行ll 古都ヨーク」再放送!

2年前に記事にした、ヨークシャーの紹介番組が再放送される(BS日テレ)。
【関連記事】 「ヨーロッパ水紀行ll 古都ヨーク」

放送日時は
2008年08月05日(火) 20:00~20:54 本日!
2008年08月10日(日) 18:00~18:54

以前は録画に失敗し、その後(昨年?)再放送があったらしいのだが、知らずに見逃した。
今回こそ、しっかり録画しよう(日曜日に)。

【Link】 ヨーロッパ水紀行ll 公式サイト

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ミクルゲイト・バー博物館 [ヨーク]

Micklegate Bar Museum

ヨーク市を取り囲むシティ・ウォール(城壁)の4つの城門(バー)のうち、最も重要だったのが、南(南西)に位置するミクルゲイト・バー Micklegate Bar である。"mickle"は古ノルド語でgreatを意味する"mykla"に、"gate"はstreetを意味する"gata"に由来するそうだ。つまり、Micklegate Bar は、"Great Street's Gate"の意味なのである。
多くの王、女王がこの城門を通ってヨーク市に入った。



元々は、12世紀初期に石造りの建物が作られ、14世紀に落し格子 portcullis と Barbican を持った4階建ての建物に作りかえられた。

注:下のアーチ部分を入れて数えると4階建てだと思う
現在は、Barbican は失われている。少なくともピューリタン革命の際にはまだあった。どうやら19世紀に壊されたらしい。

Barbican とは、(適当な訳語が分からないが)防御のために門や橋の外側に飛び出して設けられた楼門もしくは通廊のことだ。ヨークのバーでは、ウォームゲイト・バー Walmgate Bar にのみBarbican が残っている。

 参考:Barbican (wikipedia英語版) イラストあり


←シティ・ウォールの外側(表側)から見たミクルゲイト・バー。







←シティ・ウォールの内側から見たミクルゲイト・バー。

1460年12月30日、ウェイクフィールドの戦において、3代ヨーク公リチャード(エドワード四世とリチャード三世の父)は命を落とした。
ヨーク公の3男ラトランド伯エドマンド(嫡男エドワードの1つ下の弟)も戦死し、ソールズベリ伯リチャード・ネヴィル(ヨーク公妃の兄、ウォーリック伯“キングメイカー”リチャード・ネヴィルの父)は、捕えられた後に斬首された。サー・トマス・ネヴィル(ソールズベリ伯の息子)、ハリントン卿ウィリアム・ボンヴィル(ソールズべリ伯の娘婿)等も戦死した。

ヨーク公の首はヨークに運ばれ、紙の王冠をかぶせられて、ミクルゲイト・バーにさらされた。ラトランド伯やソールズベリ伯の首も、バー(城門)にさらされた。

翌1461年3月、ヨーク公の嫡男エドワード(エドワード四世)がタウトンの戦で勝利し、ヨーク公等の首はバーから下ろされた。

リチャード三世博物館のあるモンク・バーだけでなく、ミクルゲイト・バーにも博物館があるということは最近知った。
この博物館も、VisitBritain で紹介されている(ヨークの隠れた見どころの項)のだけれど、いいのだろうか、こんな紹介で。


ミクルゲート・バーは約800年にも渡って、ロンドンからヨークへ入る主要道路に見張り役として建ってきた門だ。


確かに間違ってはいないけどさー。この文だけ読んで訪れた人は、中に入ったら確実に仰天するよ(いや卒倒するかも)。

【Link】


!警告!
上のMuseumサイトの"Brief History"をクリックすると、いささか(かなり?)ショッキングな画像があります。心臓の悪い方、気持の悪いものをご覧になりたくない方はご注意ください。
……何かというと、3代ヨーク公リチャードの"さらし首"の展示なのだけれど。またこれが、きれいな作りものじゃないんだ。

……これぞ大英帝国クォリティ。日本ではあり得ないだろう。
Carpe diem の psyさんに、「ある意味英国人らしいセンスだと思いました」とお話したら、「英国人のセンスと言うか、センスがないって言うか・・・」というお答えが。センスのなさ!なるほど。

更に、"Lost Heads"をクリックすると、"Heads Of Traitors Displayed Above Micklegate Bar" と題して、また別の"首"達の写真が……

なお、"The Three Floors"のページの右側には、1階から3階までの展示へのリンクがある。リンク先では展示物の一部が写真で紹介されているのだが、"1st Floor"には(また)ヨーク公の"首"の写真が、"3rd Floor"には他の"首達"の別の写真がある。

もちろん他にも展示はある(ヨークの歴史紹介、過去にミクルゲイト・バーに住んでいた家族の紹介、Chain Mail armor がどんなに重いか知ることができる、冑をかぶってみることができる、古い独房を体験できる、等々)。それに、解説はおおむね真面目なのだが、上述の展示が強烈過ぎて、ちゃんと紹介しようという気が失せるのはいかんともしがたい(笑)。

ちなみに、ヨーク公リチャード以外にミクルゲイト・バーにさらされた人々は、

  • 1403 Sir Henry Percy ("Hotspur")

  • 1405 Sir William Plumpton

  • 1415 Lord Scrope (Henry Scrope, 3rd Baron Scrope of Masham)

  • 1461 Thomas Courtenay, 14th Earl of Devon

  • 1572 Thomas Percy, 7th Earl of Northumberland

  • 1663 Four of the Farnley Wood Conspirators

  • 1746 William Conolly(Connolly) and James Mayne (Jacobite Rebels)


公式サイトの Guestbook には、好意的なコメントが並ぶ一方、"You made my daughter cry and shes 14 years old the images are horrific!!!!!! Do something about it!!!!!!!"と怒りのコメントが寄せられていたりする(苦笑)。

* 3階の展示の一部の写真 : さらし首がたくさん……はっきり言って、趣味が悪いと思う。いや、一応真面目な展示なんだろうけど。
青いボードの真ん中には穴があって、顔を入れて写真撮影できるようになっている。つまりこういうこと↓ ……楽しいのか?
ボード1  ボード2 : 下には"I lost my head at Micklegate Bar(私はミクルゲイト・バーで首を失った)"と書いてある。そして、頭の上には烏が。

* Ghost Stories

ミクルゲイト・バーにまつわるゴースト・ストーリーも紹介されている。
1797年に、Gatekeeper の娘 Sarah がミクルゲイト・バーの鍵を失くしたために、父親は解雇された。結局鍵は見つからず、彼女のゴーストは、今も鍵を捜してミクルゲイト・バーをさまよっている……
英国人って本当にこの手の話が好きだよなー。

* 書き忘れていたが、ギフトショップもある。ショップのみに入ることも可能。

* The War Of The Roses, and The English Civil War : ばら戦争とピューリタン革命についての説明(ちなみに、正確には Wars of the Roses)

個人的に、ばら戦争についての説明が気に入った。特に次の部分。
in the 30 years from 1455 only about 60 weeks of active campaigning took place. Many 16th-century propagandists depicted the Tudor dynasty as restoring peace and prosperity after Yorkist usurpation.

1455年からの30年間で、実際に戦闘が行われたのは約60週のみである。16世紀の政治的宣伝者(propagandist)の多くは、テューダー朝が、ヨーク家の簒奪の後に、平和と繁栄を回復したと叙述した。(秋津羽 訳)


* Kings, Queens, and Micklegate Bar

ミクルゲイト・バーを通らなかった王として、リチャード一世とヘンリー八世が紹介されている。
ヘンリー八世が1541年にヨークを訪れた際、市のお偉いさん達は皆ミクルゲイト・バーで待っていた。しかし、ヘンリー八世はウォームゲイト・バー を通ったため、皆、橋を渡ってウォームゲイト・バーに急ぐ羽目になったとのこと。"great annoyance"と書かれていて、ちょっと笑った。

【Link】 Micklegate Bar Museum - Such as English nonsense! (Carpe diem のpsyさん):ヨークに旅行された際の記事をお書きになってます。写真あり。


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Author:秋津羽

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