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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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ジョン・オブ・ゴーントのこと

今回のタイトルは"ジョン・オブ・ゴーントのこと"ですが、内容ははっきり申し上げてチラ裏です(だから雑感カテゴリ)。私の戯言につきあってやろうなどという心優しき方がいらっしゃいましたら、目をお通しくださいませ。



最近(またもや)更新が滞っております。書きたいことは色々とあるのですが、ヘンリー・テューダーの王位継承権主張に関しても、年を越して放置状態です。
理由の一つには風邪で半月ほどダウンしていたこともあるのですが、それ以外にも一応理由(言い訳ともいう)はありまして……





ヘンリーの王位継承権(の問題点)について書こう


そのためにはボーフォート家について書かないと


ランカスター本家についても書く必要があるよな


ていうか、むしろ、ジョン・オブ・ゴーントの3回の結婚について書くべき?


そう言えば、ジョン・オブ・ゴーントの肖像画っていつ描かれたものなんだろう


肖像画つながりでクラレンス公ジョージの肖像画が気になり脱線


軌道修正


ジョン・オブ・ゴーントのイングランド以外の子孫について追っかけてみようか<悪魔の囁き


とりあえず長女のフィリッパの子孫をチェックしよう♪


沼にはまる



  • ポルトガルにはジョアンとジョアナとアフォンソとイザベルしかいないのか!(フェルナンドとレオノールもいるぞ)

  • ポルトガルとカスティーリャの名前の発音同じにしてもらえないかな(微妙に違って混乱する)<無茶言うな

  • ポルトガル国内の王族同士でしょっちゅう結婚するのはやめてもらえませんか(大混乱……私が)


ジョン・オブ・ゴーントは、2番目の妃との結婚中に愛人との間にできた庶子を、妃の没後に(元)愛人と結婚して嫡出子扱いにする、という非常にイレギュラーなことをやらかした人で(個人的にはほとんど反則技に近いと思う)、色々と歴史オタク泣かせである(そんなのは私だけか?)。

でも、最初の妃との子孫をたどるのが大変だとは思わなかったよ、ジョン……まあ、私がイベリア半島の歴史に激しく不案内なのが一番の原因なのだけれど。

系図をたどっていくと、ジョンの子孫の血が半島から大陸に入ることが時々あり、それはとても興味深いのだけれども……無茶苦茶面倒なのも確か。



全部ジョンが悪いんだ!<八つ当たり

いや、ジョン・オブ・ゴーント恐るべし、と言うべきか(この人の血は多くの王家に流れている)。知ってたけどね!



そのうち、ぼちぼち更新します……



【関連記事】 ジョン・オブ・ゴーントの系譜 漸次更新(予定)


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イザベル・ド・ポルテュガル Isabelle de Portugal

イザベル・ド・ポルテュガル (1397-1471) ポルトガル王女、ブルゴーニュ公妃



父:ジョアン1世(1357-1433 在位1385-1433) ポルトガル王

母:フィリッパ・オブ・ランカスター(1360-1415) ランカスター公女(父:ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント






結婚(1429) フィリップ3世 "ル・ボン"(1396–1467 在位1419-1467) ブルゴーニュ公(父:ブルゴーニュ公ジャン "サン・プール")

アントワーヌ(1430-1432)

ジョゼフ(1432-1432)

シャルル"ル・テメレール"(1433-1477 在位1467-1477) ブルゴーニュ公

  • カトリーヌ・ド・ヴァロア(1428-1446) フランス王女(父:フランス王シャルル7世)

  • イザベル・ド・ブルボン(1436-1465) ブルボン公女(父:ブルボン公シャルル1世)

  • マルグリート(マーガレット・オブ・ヨーク)(1446-1503) イングランド王妹(父:3代ヨーク公リチャード 兄:イングランド王エドワード4世 弟:リチャード3世)

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ジョアン1世 João I

ジョアン1世 (1357-1433) ポルトガル王(在位1385-1433)


父:ペドロ1世(1320-1367 在位1357-1367) ポルトガル王
母:テレサ・ロレンソ(c.1330-) (父:ロレンソ・マルティンス)





結婚(1387) フィリッパ・デ・ランカストレ(フィリッパ・オブ・ランカスター)(1360-1415) ランカスター公女(父:ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント

ブランカ(1388-1389)

アフォンソ(1390-1400)

ドゥアルテ1世(1391-1438 在位1433-1438) ポルトガル王

  • レオノール・デ・アラゴン(1402-1445) アラゴン王女(父:アラゴン王フェルナンド1世)

ペドロ(1392-1449) 初代コインブラ公

  • イザベル・デ・アラゴン(1409-1443) ウルヘル伯女(父:ウルヘル伯ハイメ2世)

エンリケ"航海王子"(1394-1460) 初代ヴィゼウ公

イザベル(1397-1471) ブルゴーニュ公妃

  • フィリップ3世 "ル・ボン"(1396–1467 在位1419-1467) ブルゴーニュ公(父:ブルゴーニュ公ジャン "サン・プール")

ブランカ(1398-1398)

ジョアン(1400-1442) ベジャ公、サンチャゴ騎士団長

  • イザベル・デ・ブラガンサ(c.1402-c.1445) ブラガンサ公女(父:初代ブラガンサ公アフォンソ1世)

フェルナンド(1402-1443) アヴィス騎士団長


* イネス・ピレス(c.1350-)

庶子 アフォンソ(1377-1461) 初代ブラガンサ公

  • ベアトリス・ペレイラ・デ・アルビム(1380-1415) バルセロス伯女(父:バルセロス伯ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラ)

  • コンスタンサ・デ・ノローニャ(c.1395-1480) ヒホン・ノローニャ伯女(父:ヒホン・ノローニャ伯アフォンソ)

庶子 ベアトリス(1386-1447)

  • トマス・フィッツアラン(1381-1415) 12代アランデル伯(父:11代アランデル伯リチャード・フィッツアラン)

  • ジョン・ホランド(1395-1447) 2代エクセター公(注:数え方により初代/3代) (父:初代エクセター公ジョン・ホランド 母:エリザベス・プランタジネット



 * ジョアン1世はペドロ1世の庶子で、ポルトガル王フェルナンド1世の異母弟である。

 * 5男ジョアンの妃イザベルは、ジョアン1世の庶子ブラガンサ公アフォンソ1世とベアトリス・ペレイラ・デ・アルビムの息女である。


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ポルトガル王:アヴィス朝 Avis

アヴィス朝 Avis



  • ジョアン1世(1357-1433 在位1385-1433) 父:ペドロ1世


  • ドゥアルテ1世(1391-1438 在位1433-1438) 父:ジョアン1世


  • アフォンソ5世(1432-1481 在位1438-1481) 父:ドゥアルテ1世


  • ジョアン2世(1455-1495 在位1481-1495) 父:アフォンソ5世


  • マヌエル1世(1469-1521 在位1495-1521) 父:ヴィゼウ公フェルナンド


  • ジョアン3世(1502-1557 在位1521-1557) 父:マヌエル1世


  • セバスティアン1世(1554-1578 在位1557-1578) 父:ポルトガル王太子ジョアン


  • エンリケ1世(1512-1580 在位1578-1580) 父:マヌエル1世

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エリザベス・プランタジネット Elizabeth Plantagenet

エリザベス・プランタジネット (1363-1425/26) ランカスター公女



父:ジョン・オブ・ゴーント(1340-1399) ランカスター公
母:ブランシュ・オブ・ランカスター(1345-1369) ランカスター公女(父:初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロウモント), ダービー女伯





結婚1(1380) ジョン・ヘイスティングズ(1372-1489) 3代ペンブルク伯(父:2代ペンブルク伯ジョン・ヘイスティングズ)  → 1383年9月以降に結婚無効



結婚2(1386) ジョン・ホランド(1352?-1400) 初代エクセター公(父:初代ケント伯トマス・ホランド 母:ケント女伯"フェア・メイド・オブ・ケント"ジョアン)


コンスタンス(1387-1437)

  • トマス・モーブレイ 4代ノーフォーク伯(父:初代ノーフォーク公トマス・モーブレイ)

  • サー・ジョン・グレイ (父:Ruthyn のグレイ男爵レジナルド・グレイ)


リチャード(-1400 or 1416)


アリス(c.1392-c.1406)

  • リチャード・ド・ヴィア 11代オクスフォド伯(父:10代オクスフォド伯オーブリー・ド・ヴィア)


ジョン(1395-1447) 2代エクセター公(注:数え方により初代/3代)

  • アン・スタフォード スタフォード伯女(父:5代スタフォード伯エドマンド・スタフォード)

  • ベアトリス・オブ・ポルトガル (父:ポルトガル王ジョアン1世 庶子

  • アン・モンタキュート ソールズベリ伯女(父:3代ソールズベリ伯ジョン・モンタキュート)


エドワード(c.1399-a.1413)


結婚3(1400) ジョン・コーンウォール(-1443) ファンホープ男爵

コンスタンス(-b.1429)

  • ジョン・フィッツアラン 14代アランデル伯(父:13代アランデル伯ジョン・フィッツアラン)


 * 2人目の夫、初代エクセター公ジョン・ホランドは、リチャード2世の異父兄である。



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フィリッパ・オブ・ランカスター Philippa of Lancaster

フィリッパ・オブ・ランカスター (1360-1415) ランカスター公女、ポルトガル王妃



父:ジョン・オブ・ゴーント(1340-1399) ランカスター公
母:ブランシュ・オブ・ランカスター(1345-1369) ランカスター公女(父:初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロウモント), ダービー女伯





結婚(1387) ジョアン1世(1357-1433) ポルトガル王(父:ポルトガル王ペドロ1世 庶子

ブランカ(1388-1389)

アフォンソ(1390-1400)

ドゥアルテ1世(1391-1438 在位1433-1438) ポルトガル王

  • レオノール・デ・アラゴン(1402-1445) アラゴン王女(父:アラゴン王フェルナンド1世)

ペドロ(1392-1449) コインブラ公

  • イザベル・デ・アラゴン(1409-1443) ウルヘル伯女(父:ウルヘル伯ハイメ2世)

エンリケ"航海王子"(1394-1460) ヴィゼウ公

イザベル(1397-1471) ブルゴーニュ公妃

  • フィリップ3世 "ル・ボン"(1396–1467 在位1419-1467) ブルゴーニュ公(父:ブルゴーニュ公ジャン "サン・プール")

ブランカ(1398-1398)

ジョアン(1400-1442) ベジャ公、サンチャゴ騎士団長

  • イザベル・デ・ブラガンサ(c.1402-c.1445) ブラガンサ公女(父:初代ブラガンサ公アフォンソ1世)

フェルナンド(1402-1443) アヴィス騎士団長


 * 5男ジョアンの妃イザベルの父ブラガンサ公アフォンソ1世は、ジョアン1世の庶子である。



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ヘンリー六世 Henry VI

ヘンリー6世(1421-1471) イングランド王(在位1422-1461, 1470-1471)



父:ヘンリー5世(1387–1422 在位1413-1422) イングランド王
母:キャサリン・オブ・ヴァロア(1401-1437) フランス王女(父:フランス国王シャルル6世 母:バイエルン公女イザボー・ド・バヴィエール)





結婚(1444) マーガレット・オブ・アンジュー(1429-1482) アンジュー公女(父:アンジュー公ルネ)

エドワード(1453-1471) イングランド王太子

  • アン・ネヴィル ウォーリック伯女(父:16代ウォーリック伯"キング・メイカー"リチャード・ネヴィル)

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ヘンリー五世 Henry V

ヘンリー5世(ヘンリー・オブ・モンマス)(1387-1422) イングランド王(在位1413-1422)



父:ヘンリー4世(1367-1413 在位1399-1413) イングランド王
母:メアリー・ドゥ・ブーン(c. 1369-1394) ヘレフォード伯女(父:11代ヘレフォード伯ハンフリー・ドゥ・ブーン / 注: 7代とも)





結婚(1420) キャサリン・オブ・ヴァロア(1401-1437) フランス王女(父:フランス国王シャルル6世 母:バイエルン公女イザボー・ド・バヴィエール)

ヘンリー6世(1421-1471) イングランド王

  • マーガレット・オブ・アンジュー アンジュー公女(父:アンジュー公ルネ)


 * 妃キャサリン・オブ・ヴァロアは、リチャード2世の妃イザベル・オブ・ヴァロアの妹である。


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とっておき世界遺産100「シェークスピア 名作の街」 2

とっておき世界遺産100「シェークスピア 名作の街」 1 > 「シェークスピア 名作の街」 2 ]



週末に、録画しておいたNHKの番組を観た。『ハムレット』の舞台クロンボー城に続き、『リチャード三世』とロンドン塔が紹介された。



映像とナレーションによる紹介は、ありがちというか、一般的なものだった。
番組を観た方の受ける、歴史上の人物としてのリチャード三世の印象は、(残念ながら)おそらく「甥殺しの悪党」ではないかと思う。しかし、ナレーションを注意深く聞けば、リチャードが王子たちを殺したのが歴史的事実だとは言っていないのがわかる。「黒に近い灰色」といったところ。



リチャード三世の名を有名にしたのは、実際にロンドン塔で起きたある事件でした。
「血塗られた塔」の名をもつ「ブラディ・タワー」。1483年、この塔に、リチャード三世の甥であり、王位継承権を持つ2人の王子が幽閉され、その後、忽然と姿を消しました。
そして、失踪からおよそ200年後、ロンドン塔内で2人の王子のものと思われる遺体が発見されたのです。
2人の王子はリチャード三世の王位取得のために暗殺されたと噂されました。
シェイクスピアは、ロンドン塔に伝わる忌わしい伝説を元に、陰謀家リチャード三世を生み出し、怪物じみた悪役の人物描写で人々を魅了しました。


(ここで戯曲『リチャード三世』の台詞が入る)


1585年、リチャード三世は王位継承を巡る戦いに敗れ、在位わずか2年でこの世を去りました。
しかし、シェイクスピアの戯曲によって、今もイギリス史上最悪の国王として語り継がれています。



ナレーションでは「暗殺されたと噂されました」「忌しい伝説を元に、陰謀家リチャード三世を生み出し」と語られている。リチャード三世に関する描写としては、比較的控え目なものではなかろうか。……全体から受ける印象はどうあれ。
ちなみに、「世を去った」のは1585年でなくて1485年ですね。



「シェイクスピアの戯曲によって、今もイギリス史上最悪の国王として語り継がれています。」という最後のナレーションにはちょっと、いや、結構文句を言いたくなったものの、まあ、概ね事実である。特に「シェイクスピアの戯曲によって」という部分。


この後に鴻上尚史氏のコメントがあったのだけれど……

シェイクスピアが描いたリチャード三世っていうのは、もうほんとに悪役で、自らのその醜い姿を逆手にとって、あの非常に切れ者なんですね。
シェイクスピアが描くまでは、まあ本当に暴君というか、とんでもない人間だったんだと思いますけどね。
それをだから、あの、シェイクスピアの功績というのは、一人の人間として、いわゆる単なる悪のキャラクターではなくて、その中に、自分たち、観客と地続きの悩みがあり、苦しみがあり、野望があり、っていうことをあの伝えたということ、要はそのリチャード三世を再発見させた、ということがシェイクスピアの功績なんだと思いますね。

……ちょっと待ってくれませんか。
その「シェイクスピアの功績」のおかげで、彼の活躍したテューダー朝(リチャード三世を斃して開かれた王朝)が終わって間もない頃から(400年近く前から!)「リチャード三世擁護論」が再三出ているにも関わらず、「擁護論」の存在すら知らない人々が大勢いるんですけど!
「再発見」の名にふさわしいのは、サー・ジョージ・バック Sir George Buck の"The history of King Richard the Third"(1619)だと思うんですけど!
私は何か間違っておりますでしょうか (T_T)



シェイクスピアの『リチャード三世(の悲劇)』はフィクションなんだってばー



【Link】 シェークスピアの功績?-NHK (psyさんのCarpe diem



とっておき世界遺産100「シェークスピア 名作の街」 1 > 「シェークスピア 名作の街」 2 ]


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