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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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エドワード四世の髪と、ある指輪

スコットランド女王メアリについてもう少し書こうと思っていたのだが、予定変更。
エドワード四世の髪の色問題(そんな問題あるか?)について書こうと思う。



エドワード四世(1442-1483)の容姿について書かれる場合、必ずと言って良いほど金髪であったとされている。それにしては、残されている肖像画の髪の色がいずれもブラウンにしか見えないのが不思議だった。



最も有名な肖像画はナショナル・ポートレイト・ギャラリーのものだろうが、これは死後60年近く経ってから描かれたものである。他の2枚の肖像画は、それよりも早い時期に描かれている。
ロイヤル・コレクションの方は c.1470-1500 の作品とされ、最も古いようだ。存命中に描かれた可能性もある。でも1470年頃というのは早すぎだと思う……
Society of Antiquaries of London(ロンドン古物協会)所蔵の方はやや新しく、16世紀初期の作品とされている。こちらは、ヨーク家とも関わりのあったジェントリの家系、パストン家が所蔵していたものだ。



枕屋さんのコメントで改めてエドワード四世の髪の色が気になり、調べてみたところ、衝撃の事実に直面した
18世紀に彼の棺が開けられたというのだ。そして残っていた髪の色はブラウンだったと。



工工エエエェェ(´д`)ェェエエエ工工
それって有名な話?ひょっとして知らなかったのって私くらいとか?ガーン。







1858年発行の Annals of Windsor (by R.R. Tighe and J.E. Davis) の395ページの末尾から396ページにかけて、次のように書かれている(リンク先はGoogle books)。



In the year 1789, the coffin of Edward the Forth was discovered by some workman. It was lead, seven feet long, and was much compressed in some parts, and a little decayed. On opening it, the entire skelton was found, measuring six feet three inches and a half in length. Some brown hair was found lying near the skull and neck.


1789年、エドワード四世の棺がある職人によって見つけられた。鉛製で、長さは7フィートあり、いくくかの場所では潰れ、少々腐食していた。棺を開けると、完全な骨格が見つかった。長さは6フィート3.5インチあった。頭蓋骨と頚のそばに、ブラウンの髪が見つかった。(秋津羽 訳)



英文版 橋本指輪コレクション - Historic Rings: Four Thousand Years of Craftsmanship
2004年発行の Historic Rings: Four Thousand Years of Craftsmanship (英文版 橋本指輪コレクション)
には、他にも驚く記述があった。



← Historic Rings: Four Thousand Years of Craftsmanship
   Diana Scarisbrick(著) 遠山孝之(撮影)



Historic Rings: Four Thousand Years of Craftsmanship の131ページ から、ある指輪の解説を引用する(↑ のリンク先はGoogle books)。



294. Gold ring, the plain hoop widening at the shoulders to support a long oval bezel set with glass over a lock of hair, tied with a gold wire bow, on a royal blue glass ground within a white border inscribed EDVARDUS 4TH INCLYTUS REX ANGLIAE VINDESORIAE SEPULTUS AD 1483 ("Edward IV, the celebrated king of England, buried at Windsor in 1483")
British; 1789.
Bezel 18.6 x 31.0 mm; ring size 7(N1/2), 7.2g.


(中略)


King Edward [IV] was buried in St. George's Chapel, Windsor, where his corpse remained undisturbed until 1789, when it was discovered by workman making a new floor. After examining the coffin, the Clerk of Works, Mr. Emlyn, reported to the Earl of Leicester, president of the Society of Antiquaries: "Some long brown hair lay near the skull and some of the same colour but shorter was on the neck of the skelton." In response to this, the society commissioned drawings of the vault and of the skelton showing the long hair, and these were published in Vetusta monumenta, vol. 3. Some of this hair was removed at once: more must have been taken later as the vault was not closed immediately. At least two locks were put into rings, this one and another, now in the Museum of London, cf. Murdoch 1991. no. 277



金製指輪、フープはベゼルのショルダー(肩部分)で広くなっている。楕円形のベゼルに、金のワイヤーで蝶結びにされた一房の髪が納められ、その上にガラスが被さっている。ベゼルの底面はロイヤルブルーのガラスで、縁は白く「EDVARDUS 4TH INCLYTUS REX ANGLIAE VINDESORIAE SEPULTUS AD 1483(エドワード四世 祝福されしイングランド国王 1483年ウィンザーに埋葬される)」と記されている。
英国 1789年



(中略)



エドワード[四世]はウィンザー城のセント・ジョージ礼拝堂に埋葬された。彼の遺体はそこに安置されていたが、1789年、床を改装していた職人により発見された。棺の調査後、現場監督のエムリン氏は、古物協会(the Society of Antiquaries)の会長であったレスター伯に次のように報告した。「長いブラウンの髪が頭蓋骨のそばにあり、同じ色のより短い髪が頚部にあった。」これを受けて、古物協会は、納骨所の絵と、長い髪のある遺骨の絵を注文し、それらはVetusta monumenta 第3巻に掲載された。髪の一部は直ちに採られ、棺はすぐには閉じられなかったため、後にもっと多くが採られたに違いない。少なくとも二房の髪が指輪に納められた。この指輪と、もう一つはロンドン博物館所蔵の指輪(cf. Murdoch 1991. no. 277)である。(秋津羽 訳)



注:ベゼルとは、指輪のトップ部分。フープとは、指輪のリング部分のこと



エドワード四世の遺骨から髪の一部を採った?えぇー。そして、エドワード四世の遺髪を入れた指輪を造った?なんてこと。





指輪―古代エジプトから20世紀まで
この洋書(の該当ページ)を見たいと激しく思ったが、いかんせん値段が高い。どうしたものか……
待てよ、「英文版 橋本指輪コレクション」ということは、「日本版」もあるのだろうか?橋本指輪コレクションって、もしかして橋本貫志氏のコレクションのことか?
橋本貫志氏という、世界的に有名な指輪収集家がいらっしゃるのだ。「橋本貫志コレクション」を中心にした指輪の本、というかむしろ図録(『指輪―古代エジプトから20世紀まで
』)なら持ってるぞ、私。遺髪を用いた指輪も何点か掲載されていた。



『指輪―古代エジプトから20世紀まで』を確認したら……ビンゴ!
あったよ、エドワード兄ちゃんの髪!もとい、エドワード四世陛下の遺髪を納めた指輪
何年も前に本を入手した時は、あっさりスルーしていたらしい(^_^;) ごめんなさいねー、お兄様。



エドワード四世の遺髪を納めた指輪
注釈には「楕円のベゼルにヨーク朝初代のイングランド王エドワード4世(1442-1483)の遺髪が納められている。1789年に墓が開かれたときにつくられたもの。1789年頃」とある。



指輪の髪の色は確かにブラウンである。が、300年経った遺髪が果たして元の色を保っているものだろうか?疑問である。生前の髪の色と必ずしも同じ色とは言えないのではないかと思う。
だが、肖像画の髪を色を考えると完全な金髪だったとも言い難い気がする。個人的には、子供の頃は金髪で、大人になると色が濃くなってブラウンぽくなるタイプだったのかもしれないと思う。



それにしても興味がうずくのは、一体誰がエドワード四世の遺髪を入手して(どうやって?)、指輪を作らせたのか、ということである。"Historic Rings: Four Thousand Years of Craftsmanship"にはその点は書かれていないようだ。
もう一つの、ロンドン博物館所蔵の指輪も見てみたい。Webで画像を探したが見つけられなかった。残念。





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スコットランド女王メアリ Mary Stuart, Queen of Scots

メアリ・ステュアート スコットランド女王 (1542-1587 在位1542-1567)



スコットランド女王メアリ Mary Stuart, Queen of Scots
1542年12月8日、スコットランド王ジェイムズ五世と妃マリー・ド・ギーズ(メアリ・オブ・ギーズ)の長女として誕生。父王の死に伴い、生後6日で女王として即位(二人の兄は夭折していた)。
翌1543年、イングランド王ヘンリー八世の王太子エドワード(後のエドワード六世)と婚約。1544年、スコットランド側は婚約を破棄しようとしたが、ヘンリー八世の武力行使により婚約が強要された。



1547年、エドワード六世即位後にスコットランドは再びイングランドに攻撃された。女王の身の安全を図り、フランスとの同盟を強化するため、1548年、メアリはフランスに送られた。フランス王アンリ二世は、5歳の幼い女王を王太子フランソワの婚約者として暖かく迎えた。その後の13年をメアリはフランス宮廷で過ごすこととなる。





1558年、メアリは15歳で王太子フランソワと結婚。1559年、アンリ二世が急逝し、夫フランソワがフランソワ二世として即位。メアリはフランス王妃となったが、翌1560年にはフランソワ二世が16歳で病死。メアリは17歳で未亡人となる
子のなかったメアリは、1561年に政情不安定な母国スコットランドに戻った。母マリーは前年に亡くなり、国ではプロテスタント勢力が広がっていた。





帰国して4年後、メアリは再婚する(1565年)。本来ならば必要な教皇の徳免状なしの結婚であった。相手はダーンリー卿ヘンリー・ステュワート―ステュワート家の傍系で、イングランドの王位継承権も持つカトリック貴族である。
翌1566年には王子ジェイムズ(後のジェイムズ六世、イングランド王としてはジェイムズ一世)が誕生するが、二人の仲は既に冷めていた。



メアリはプロテスタントの貴族、ボズウェル伯ジェイムズ・へバーンを寵愛するようになる。
1567年、女王の夫ダーンリー卿が暗殺され、首謀者はボズウェル伯だと噂されたが、伯は無罪とされた。事件には女王も関わっていたという噂まで流れた。
ボズウェル伯は既婚者であったが急遽離婚し、ダーンリー卿殺害の3ヵ月後、メアリはボズウェル伯と3度目の結婚をする。メアリはカトリック信者だったが、挙式は夫の宗旨であるプロテスタント式で行われた。



この結婚に対する反発はきわめて強く、貴族達は二人に対し軍を起こした。メアリは反乱軍に投降し、ロッホリーヴン城に幽閉された。ボズウェル伯は逃亡した。
メアリは退位させられ、生後13ヶ月の王太子ジェイムズがジェイムズ六世として即位した。



翌1568年、メアリはロッホリーヴン城を脱走して挙兵するが、敗れてイングランドに亡命
以後19年近くにわたり、カーライル、ボルトン、チャツワース、シェフィールド、コヴェントリーと各地を転々として「軟禁」生活を送る。その間、自らにイングランド王位の正当な継承権があることを主張し続けた。



メアリは、1586年のエリザベス一世暗殺計画(バビントン事件)へ関与したとして裁判にかけられ、死刑を宣告された。1587年2月8日、メアリはフォザリンゲイ城で処刑された。享年44歳であった。



[関連記事]




彼女について思うことは色々とあるのだが、後日書きたいと思う。





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「フォザリンゲイ Fotheringay」 2

[ 「フォザリンゲイ」 1 > 「フォザリンゲイ」 2  ]



この曲で歌われているのは、スコットランド女王メアリ(1542-1587)の処刑直前のことである。彼女は、スコットランドで廃位された後、イングランドに亡命(スコットランド王位は1歳1ヶ月の息子ジェイムズが継いだ)。イングランドでの19年近くにわたる軟禁―という言葉から想像されるよりは自由な生活―の後に、フォザリンゲイ城で処刑された。エリザベス一世治世のことだ。



以下、私の適当訳。
元の英語の歌詞は、Fotheringay Fairport Convention lyrics で検索していただければ分かると思う。また、前記事で紹介した動画(Fotheringay)にも歌詞が掲載されている。





何度、彼女は城の窓から外を眺めたことだろう
何度、日の光が過ぎ行くのを見つめたことだろう.囚われた壁の中で
彼女の呼びかけに応える者もなく


黄昏時は夕陽が小さくなると共に過ぎていく
寂しい一瞬に、残り火も消え去り
最後に若鳥たちが飛んで行く


彼女の貴い自由な日々は、ずっと昔に奪われて
閉じ込められた扉の奥で無意味な年月を送ることとなった
けれど、この日々はもう続かない


明日のこの時刻、彼女は遠く離れたところにいるだろう
この島々より、寂しいフォザリンゲイより、遥か遠くに
この島々より遥か遠く、寂しいフォザリンゲイへ





最後のフレーズ(英詩)が正確に分からない。CDを購入すれば歌詞が掲載されているのだろうか?御存じの方がおられたら是非お教えいただきたいです。

Tomorrow, at this hour, she will be far away
Much farther than these islands, or the lonely Fotheringay


ラストが "or the lonely Fotheringay" なのか "for the lonely Fotheringay" なのか。



"for the lonely Fotheringay" ならば、明日フォザリンゲイに向かう、ということのように思うが、"far away"、"Much farther"というにはちょっと大袈裟な気がする。それに、史実では彼女は処刑の決定された裁判の前に、既にフォザリンゲイ城に移されていた。曲の全体像からすると、(処刑されて)「彼の世/天国/神の国」に向かうと暗示しているのではないのだろうか。でも "for" と歌っているようにも聞こえるんだよなー。



【追記2】 2009.10.19
"for the lonely Fotheringay" が正しいとのことです。清水祥太(きよみずしょうた)さんがコメント欄でお教えくださいました。清水祥太さん、ありがとうございました。
……追記ここまで……



"these islands"の意味するところもよく分からない。一瞬、ブリテン島とアイルランドのことかとも思ったが、それでは意味をなさない気がする。フォザリンゲイの地/城を島々にたとえている?とも思ったがそれもイマイチ……「此の世」の暗喩とか?
だ、誰か……お分かりの方がいらっしゃったら教えてください。お願いします m(__)m



【追記1】
"these islands" その他に関して、Leiさんが示唆に富むコメントをくださいました。

ほとんど「フランス人」の彼女にとっては、スコットランド(イングランドというとらえ方でも)は「島々の国」なんだと思います。these
Islandsがブリテン島とかアイルランド島とか大きな島も含めて考えているのかもしれませんが、スコットランドの領地としては、Hebridesには
沢山島がありますし、Orkneyも島々でなってますよね。
もうひとつ私の想像ですが、

those embers will be gone

は彼女の華麗な恋愛歴も過ぎてしまった熱情と書かれているような気がしますし

the last of all the young birds flown

のyoung birdsは、若い愛人達を意味するのでは?

Leiさん、ありがとうございました。
……追記ここまで……



[ 「フォザリンゲイ」 1 > 「フォザリンゲイ」 2  ]




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「フォザリンゲイ Fotheringay」 1

[ 「フォザリンゲイ」 1 > 「フォザリンゲイ」 2  ]



本日はリチャード三世の557回目の誕生日です!陛下、おめでとうございます。



今回は、リチャード三世生誕の城、フォザリンゲイ城に関する話。とは言っても、リチャードともヨーク家とも無関係である (^_^;)



大分前のことだが、「フォザリンゲイ Fotheringay」という曲があることを知った。 UKのフォーク・ロック・グループ、フェアポート・コンベンションの曲である。





きっかけはYahoo!知恵袋。正確に言うと、拙ブログの記事(Happy Birthday Richard! ―フォザリンゲイ―)がYahoo!知恵袋からリンクされているのに気づいたこと。
下記の質問に対する回答で、何と私の記事が引用されていて、ちょっとビックリした。ていうか、「フォザリンゲイ」なんて曲があるのか!<大興奮

この言葉がわからないので、教えて欲しいです。どなたかお願いします。 (Yahoo!知恵袋)



この言葉がわからないので、教えて欲しいです。どなたかお願いします。

fotheringay=フォザリンゲイという言葉は、どういう意味でしょうか?英和辞典にも出ていません。ドイツ語みたいな雰囲気なのでドイツ語も調べてみましたが、やはり出ていません。


フェアポート・コンベンションというフォーク・ロック・グループのベスト・アルバムにも入っている曲ですし、のちにメンバーのサンディ・デニーが脱退後にこのfotheringay=フォザリンゲイというグループを結成しました。


上司がこの昔はやったフェアポート・コンベンションを聞いているのですが、このfotheringayとはどういう意味なのか尋ねられました。「後で調べておきます。」と答えたのですが、未だにわからずに困っています。どなたか教えて下さい。



これがSHM-CDだ!ロックで聴き比べる体験サンプラー
フェアポート・コンベンション、名前は知ってるぞ。曲も聞いたことあるぞ(1曲だけ)。「時の流れを誰が知る Who knows where the time goes」。SHM-CDと通常CDが入った2枚組のコンピレーションCD『これがSHM-CDだ!ロックで聴き比べる体験サンプラー 』(←)に入っていた。割と好みだった。



What We Did On Our Holidays
当然ながら「フォザリンゲイ」が気になり検索した。アルバム『What We Did On Our Holidays
』収録。


想像していた通り、スコットランド女王メアリをモチーフにした曲だった。まあ、リチャードの曲とか、ヨーク家関連の曲とかを期待していた訳ではありませんよ……ええ。
一般的には、メアリ女王の方がリチャード三世より人気あると思うしね。


「フォザリンゲイ」はこちら↓で聴くことができる / 

Fairport Convention - What We Did On Our Holidays - Fotheringay では少しだけ視聴可能



なお、このVideoで使われている写真はウェールズのチェプストウ城 Chepstow Castle とのこと。

フォザリンゲイ城は現存しないから……





美しい曲である。ボーカルのサンディ・デニーのオリジナルとのことだが、トラディショナル・ソングのような雰囲気がある。
私は実はメアリ女王はあまり好きではない(可哀想だとは思うが、世間一般の人が思うだろう理由とは違う)。でもこの曲は気に入ったので、ダウンロード購入して愛用の iPod にも入れた。今も時々聞いている。



[ 「フォザリンゲイ」 1 > 「フォザリンゲイ」 2  ]





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10月の出来事


10月2日(1452年)

リチャード三世、フォザリンゲイ城で誕生
[3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの8男]


10月2日(1470年)

エドワード四世とグロスター公リチャード、ブルゴーニュ公国に亡命


10月3日(1470年)

エドワード四世廃位。
ヘンリー六世、国王に復位。


10月6日(1476年)

リチャード・プランタジネット誕生
[クラレンス公ジョージの次男・夭折]


10月6日(1486年)

イリー司教ジョン・モートン、カンタベリー大司教に任命される


10月9日(1514年)

フランス王ルイ12世と、メアリ・テューダー(ヘンリー七世の3女)、結婚


10月12日(1459年)

ラドフォド・ブリッジの戦


10月12日(1462年)

グロースター公リチャード、海軍司令長官(Admiral of England)に任命される


10月13日(1453年)

エドワード・オブ・ウェストミンスター、ウェストミンスター宮殿で誕生.コーンウォール公に叙される
[ヘンリー六世の長男、王太子]


10月14日(1513年)

マーガレット・プランタジネット(マーガレット・ポール)、ソールズベリ伯位継承

[クラレンス公ジョージの長女、サー・リチャード・ポール夫人]


10月17日(1469年)

グロースター公リチャード、終身のイングランド武官長(Constable of England)に就任


10月21日(1422年)

フランス王シャルル六世崩御


10月21日(1449年)

クラレンス公ジョージ、ダブリン城で誕生
[3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの6男]


10月27日(1485年)

スタンリー卿トマス、初代ダービー伯に叙せられる


10月28日(1485年)

ペンブルク伯ジャスパー・テューダー、初代ベドフォード公に叙される


10月30日(1485年)

ヘンリー七世、ウェストミンスター・アベイにて戴冠






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秋津羽

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