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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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王室府納戸部 Wardrobe 【覚書】

納戸部 Wardrobe



  • 国王の私的な財政部局。もともとは、国王の衣装・貴重品保管室。

  • 長官はKeeper of the Wardrobe。

  • 12世紀には、公的・国家的な財務府(Exchequer)と並び、チェンバー(Chamber, 王室府上部局)が国王の私的な財政部局として機能していた。13世紀初期に、チェンバーから納戸部が分離して、国王の私的な財政部局として発展した。

  • エドワード一世(1239-1307)治世の末年頃には、Controller of the Wardrobe(次官)が、国王の私的な印璽である玉璽(Privy Seal)を管掌していた。エドワード二世(1284-1327)の治世に、選任の管掌官(玉璽尚書 Lord Privy Seal)がおかれるようになった。


なお、チェンバーは次第に公的な性格を強めていき、エドワード四世時代からは国家財政運用の中心は、中央政府の財務府から王室府のチェンバーへ移行した。



関連記事:王室府 King's Household 【覚書】




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エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 2 [ヨークシャー]

エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2 ]



以前書いたように、リチャード三世の王太子エドワード・オブ・ミドゥラム Edward of Middleham(c.1473-1484)の墓像は、シェリフ・ハットンの The Church of St Helen & the Holy Cross にある。
墓(埋葬場所)は不明だが、この教会内のどこかに埋葬されているのだろうと納得していた。



しかし、墓は他の場所かもしれない、という記述を Richard III Society の ウスターシャー支部のサイトで見つけた。pictures のページの Sheriff Hutton の項目である(下1/3程の場所)。
ちなみに、ウスターシャー支部の pictures のページには写真が多く掲載されていて(リンクをクリックすると見られる)楽しい。






The Church of St Helen and the Holy Cross contains the cenotaph of Edward of Middleham, Richard III's only son. His body may be at Coverham Abbey though the site of the grave is unknown.



The Church of St Helen and the Holy Cross には、リチャード三世の一人息子エドワード・オブ・ミドゥラムのcenotaph(記念碑)がある。墓の場所は不明だが、彼の遺体はCoverham Abbeyにあるかもしれない。



Coverham Abbey って、どこ?
調べたところ、ミドゥラムの南西、1-2マイルにあるとのこと。



Coverham Abbeyはプレモントレ会(ノルベルチヌ会)の修道院で、13世紀初頭に建てられた。1536年に、修道院はヘンリー八世の修道院解散令により解散させられ、その後私有地となった。
現在は廃墟となっており、建物のごく一部が残存するのみである。また、私有地のため、中に入ることはできない(道から眺めるのみ)。



尾野比左夫氏の『リチャードIII世研究』によると


一四七四年、グロスター公はミドルハム領主として、コヴァハム大修道院の後援者になった。



ミドゥラムで亡くなったエドワード王太子がここに埋葬されていたとしても全く不思議はない。
しかし、ここに墓があったとしたら、修道院解散の際に墓は壊されてしまったのだろうか。不憫である。





大きな地図で見る



【リンク】





エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2 ]





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親等計算法および近親間の婚姻禁止 【覚書】

中世後期ヨーロッパでの教会法(カノン法)による親等の数え方(親等計算法)は、現在と異なる。以下、覚書。



中世盛期に、親等の数え方に大きな変化が起こった。829年のパリ教会会議において、それ以前のローマ式の計算法(現在の日本の親等の数え方とほぼ同じ)に代わり、ゲルマン式の計算法が採用されたのである。
ゲルマン式の方法では、共通の祖先にたどり着くまでの世代数を数える。



同時にこの会議では、(ゲルマン式での)7親等以内の者の婚姻が禁止された。これはローマ式の14親等に当たる。これにより、同一身分内で結婚するために、多くの人々が禁止事項に背かざるを得なくなった。



そのため、1215年のラテラノの教会会議において、血族関係と合法的姻戚関係による結婚禁止の範囲は4親等までとなった。4親等にある者同士の結婚の禁止ということは、共通の高祖父母(祖父母の祖父母)をもつ者同士を対象とする。ローマ式では8親等に当たる。

この際、「非合法の姻戚関係による結婚禁止の範囲は2親等まで」となったとのことだが、「非合法の姻戚関係」とは何ぞや。正式に結婚していない、秘密結婚ということか?あ、非嫡出の場合か?



この他、霊的親族関係も婚姻の支障となった。霊的親族関係とは、洗礼や堅信礼により結ばれる関係のことである。洗礼あるいは堅信の時の代父・代母(名付け親)と、名付け子あるいはその父母との間で、結婚が禁じられた。



血族関係や姻戚関係により禁止された結婚は、司教の特別免除 dispensation により許可された。国家元首の場合は、ローマ教皇にのみ特別免除の権限があった



ちなみに、リチャード三世とアン王妃は、3親等と4親等の血族関係にある。



  • リチャードの母方の祖父母は、アン・ネヴィルの父方の曾祖父母である=3親等

  • リチャードの父方の曾祖父母は、アン・ネヴィルの母方の高祖父母である=4親等


リチャード(当時グロースター公)は、1472年に教皇庁から特免を受けた。





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王妃アン・ネヴィルの墓 [ウェストミンスター]

リチャード三世の妃アン・ネヴィル(1456-1485)は、1485年3月16日にウェストミンスター宮殿で亡くなった。結核によると推測されている。
盛大な葬儀が営まれ、彼女はウェストミンスター・アベイの南側、主祭壇のそばに埋葬された。しかし、墓の目印となる墓像や記念碑はつくられなかった。リチャード三世が、ヘンリー・テューダーによるイングランド侵攻への対策に追われたこと、そして、同年8月、リチャードがヘンリーに斃されたことによると考えられている。



1960年、Richard III Society により、アベイの南の回廊の壁に、アン・ネヴィル妃を記念する真鋳の銘板と彼女の紋章が設置された。銘板には次のように書かれている。



ANNE NEVILL 1456-1485 QUEEN OF ENGLAND YOUNGER DAUGHTER OF RICHARD EARL OF WARWICK CALLED THE KINGMAKER WIFE TO THE LAST PLANTAGENET KING RICHARD III.
"In person she was seemly, amiable and beauteous...And according to the interpretation of her name Anne full gracious" REQUIESCAT IN PACE.


アン・ネヴィル 1456-1485 イングランド王妃 キングメイカーと称されるウォーリック伯リチャードの次女 プランタジネット最後の国王リチャード三世の妻
"個人として、彼女は上品で、優しく、美しかった...彼女の名前アンから判断すると大変恵み深かった" 安らかに眠れ
[秋津羽 訳 自信なし]





彼女の墓には何の問題もないのだろうと思ったが、Richard III Society のサイトで気になる記述を見つけた。



In 2005 the ancient tomb of Edward the Confessor was found in the Abbey by archaeologists using radar technology. The forgotten, subterranean chambers were located during conservation work on the abbey's medieval Cosmati mosaic pavement around the high altar. The Chairman of the Society has written to the Dean and Chapter asking if the location of Queen Anne Neville’s burial has been found.



2005年に考古学者達がレーダー技術を用い、エドワード証聖王の古い墓をアベイで見つけた。主祭壇の周りにある中世のモザイクの保存作業の間に、忘れられた地下室の位置が確認された。Society の会長は、アベイの参事会長と参事会に、 アン・ネヴィル王妃の埋葬場所が見つかったか手紙で尋ねた。 [秋津羽訳]



埋葬場所が見つかったか尋ねた、ですと?じゃ、じゃあ、ひょっとしてお墓の正確な場所は分からないってこと?アン王妃のお墓は問題ないと思っていたのにー。



【参考】

Anne Neville, wife of Richard III - Westminster Abbey

The Richard III Society > Achievements > Commemorative & Celebratory > 1960s and earlier > Westminster Abbey, London





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石橋を叩き割る度判定&ダークサイドに落ちる度判定

私自身はTwitterは使っていないが、フォローしている(という言い方で良いのか)方のTwitterで見つけてやってみた。



石橋を叩き割る度判定



akitsuhaさんの石橋を叩き割る度は96.7%です。
え゛



秋津羽さんの石橋を叩き割る度は61.3%です。
むむっ



本名でやってみたところ……
石橋を叩き割る度は20.4%です。
ほっ(と安心して良い数字なのかどうか謎。大事なことであればあるほど叩きまくり、いざ渡ろうと思ったら橋が壊れてるタイプ)



ダークサイドに落ちる度判定 というのも見つけてやってみた。



akitsuhaさんのダークサイドに落ちる度は99.4%です。
ぎゃー



秋津羽さんのダークサイドに落ちる度は56.4%です。
むぅ



本名でやってみたところ……
ダークサイドに落ちる度は96.6%です。


ガーン。フォースの暗黒面に気をつけよ!





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エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか?1 [ヨークシャー]

[ エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2



青(せい)さんの「リチャード3世のヨークシャー」で気になったのが、「これ[エドワード・オブ・ミドゥラムの墓像]は記念碑であって、遺体は別の場所に埋葬されている模様」との記載。



そうでしたっけ(汗) そういえばどこかでそんな記述を見かけたような。調べねば。
なお、エドワード・オブ・ミドゥラム Edward of Middleham(c.1473-1484)は、リチャード三世の唯一の嫡出子で、王太子である。



墓像のある The Church of St Helen & the Holy Cross, Sheriff Hutton について書かれているページによると、

The
Church contains the tomb of Richard III’s son, Edward, who died at the
age of eleven at Middleham while his parents were in Nottingham.



教会には、リチャード三世の息子エドワードの墓がある。彼は両親がノッティンガムにいる間に、ミドゥラムで11歳で亡くなった。[秋津羽 訳]



Alison Weir による系図本 "Britain's Royal Families: The Complete Genealogy " によると、

He died on 9 April, 1484, at Middleham Castle, Yorkshire, and was probably buried in Sheriff Hutton Church, Yorkshire.



彼は1484年4月9日にヨークシャーのミドゥラム城で亡くなり、おそらくはヨークシャーのシェリフ・ハットン教会に埋葬された。 [秋津羽 訳]



うーむ、分からない。



Richard III Society のシェリフ・ハットンのページで求めていた記述が見つかった。





Most important is a memorial to a Prince of Wales. Although there is some doubt, it is believed to be that of Edward of Middleham, Richard III's son, who died in 1484. The memorial is a cenotaph, not a tomb, as the prince was buried elsewhere, and its present position in the north east corner of the church is not where it
was intended to stand. From past records, it would seem that the monument has had several sites within the church. Made of alabaster, it has suffered over the years and during the twentieth century, it was twice restored at the Society’s expense


最も重要なのが、ある王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の墓碑である。疑いはあるものの、1484年に亡くなったリチャード三世の息子エドワード・オブ・ミドゥラムのものと考えられている。この墓碑はcenotaph(記念碑)であり、墓ではない。王子はどこか他の場所に埋葬されている。また、墓碑の現在の場所である教会の北東の角は、元々設置しようとしていた場所ではない。過去の記録によると、墓碑は教会の中の数ヶ所に設置されていたことがあるようだ。墓碑は雪花石膏製で、時代を経ており、20世紀に2度Societyの出資により修復された。[秋津羽 訳]



リチャードと、姉のマーガレットのみならず、リチャードの息子の埋葬地も不明だとは。
エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのでしょう?



<追記>(2010.2.8):青さんによると、「シェリフ・ハットンの墓像については、元は教会内の別の場所(墓の上)にあったのが、あちこち移動したのであって、埋葬は教会内のどこかにあるのだと考えています。」とのことです。青さん、ありがとうございました。



[ エドワード・オブ・ミドゥラムはどこにいるのか? 1 > エドワード・オブ・ミドゥラム 2





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リチャード3世のヨークシャー

フォートラベルという旅行クチコミサイトで、「リチャード3世のヨークシャー」という旅行記(青さん)を見つけた。
シェリフ・ハットンの写真と紹介文が掲載されている。リチャード三世の王太子エドワード・オブ・ミドゥラムの墓像(The Church of St Helen & the Holy Cross にある)の写真もある。嬉しー♪



スライドショーはこちら▽





The Church of St Helen & the Holy Crossの地図はこちら▽







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2月の出来事


2月2日(1425年)

リチャード・プランタジネット、3代ヨーク公位継承


2月2日(1461年)

モーティマーズ・クロスの戦


2月2日(1503年)

キャサリン・テューダー誕生
[ヘンリー七世の4女・夭折]


2月4日(1495年)

サリ伯嫡男トマス・ハワード(後の2代サリ伯、3代ノーフォーク公)と、アン・オブ・ヨーク(エドワード四世の5女)、結婚


2月7日(1477年)

ヨーク公リチャード、ノーフォーク公、サリ伯、ウォレン伯に叙される
[エドワード四世の次男]


2月7日(1470年)

グロースター公リチャード、南部ウェールズ首席裁判官(Chief Justice of South Wales)、南部ウェールズの国王式部官(King's Chamberlain of South Wales)、南部ウェールズの領地および荘園の家令(Steward of Lordships, Manors etc. in South Wales)に任ぜられる


2月8日(1478年)

クラレンス公ジョージ、私権剥奪される


2月9日(1455年)

3代ヨーク公リチャード・プランタジネット、保護卿(1回目)を解任される


2月9/10日(1441年)

ヘンリー・プランタジネット、ハットフィールドで誕生
[3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの長男・夭折]


2月11日(1466年)

エリザベス・オブ・ヨーク、ウェストミンスター宮殿で誕生
[エドワード四世の長女、ヘンリー七世妃]

2月11日(1503年)

ヘンリー七世妃エリザベス・オブ・ヨーク死去


2月13日(1457年)

ブルゴーニュ女公マリー・ド・ブルゴーニュ誕生
[ブルゴーニュ"突進公"シャルルとイザベル・ド・ブルボンの息女]


2月15日(1478年)

エドワード・オブ・ミドゥラム、ソールズベリ伯に叙される
[グロースター公リチャードの長男]


2月16日(1495年)

サー・ウィリアム・スタンリー、処刑される
[初代ダービー伯トマス・スタンリーの弟]


2月17日(1461年)

第2次セント・オールバンズの戦


2月18日(1475年)

グロースター公リチャード、カンバーランドの執政長官(Sheriff)に任命される(終身)


2月18日(1478年)

クラレンス公ジョージ、処刑される


2月21日(1475年)

ウォーリック伯エドワード、ウォーリック城で誕生(25日という説も)
[クラレンス公ジョージの長男]


2月21日(1478年)

グロースター公リチャード、終身のイングランド式部長官(Great Chamberlain of England)に任命される


2月21日(1499年)

エドマンド・テューダー誕生
[ヘンリー七世の3男・夭折]


2月24日(1525年)

リチャード・ド・ラ・ポール、パヴィアの戦で戦死(フランス軍に参加)
[2代サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポールとエリザベス・プランタジネット(3代ヨーク公リチャードの3女)の5男、リチャード三世の甥]


2月25日(1456年)

3代ヨーク公リチャード・プランタジネット、保護卿(2回目)を解任される





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