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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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モートンの二叉論法(モートンの熊手) Morton's fork

先日このブログのアクセス数を見て目を疑った。
2010年4月23日の検索ヒット - 1,840



何の間違いだ?と思ったら(通常のアクセス数は2桁(^_^; )、「モートンの熊手」を検索して当ブログに来られた方が非常に多かったらしい。内訳は、



モートンの熊手 1,677
モートンの二叉論法 59
モートンの熊手とは 47
モートン 13
その他、ジョン・モートン、イリー司教ジョン・モートン、morton、モートンの熊手の由来、ジョン・モートン大法官、”モートンの熊手”とは、モートンの熊手とは?、モートンの熊手のモートンとは、モートンの熊手? etc.



モートン大人気



何事かと思ったら、ウォールストリート・ジャーナルの日米外交に関する記事で "Morton's fork" という言葉が使われていたんですねー。



Japan Dissing 2010年4月22日

They [Japan's political elites] face a Morton's fork between being ignored or being seen as a problem to which there is little solution.

日本語版(冷え込む米日関係 - ジャパン・バッシングならぬ「ジャパン・ディッシング」) 2010年4月27日

日本は今、どちらも望ましくない選択肢から選ばざるを得ない「モートンの熊手」状態に陥っている。すなわち、米国に無視されるか、解決のしようがほとんどない問題とみなされるかの、いずれかだ。



せっかく来てくださった方々には、ほとんどこのブログはお役に立てなかったと思われる。申し訳ない。


今更ではあるが、モートンの熊手(モートンの二叉論法)について書いておこうと思う。



この言葉は、ヘンリー七世(1457-1509 在位1485-1509)時代の大法官ジョン・モートン(c.1420-1500)による悪名高い徴税法に由来する。
ジョン・モートンは、ヨーク朝時代にはイリー司教を務め、その後テューダー朝のヘンリー七世治世にカンタベリー大司教(1486年)、大法官(1487年)に任命され終身その地位にあった人物である。



この言葉を知った時、熊手でかき集めるようにごっそり税金を集めたということなのかと思ったが、全く違った



モートンの徴税の際の主張は次のようなイカれたものであった。



もしもその者が贅沢な生活をし、多くの金を使っているならば、国王に差し上げるだけの充分な収入があるに違いない。
一方、質素な生活をし、裕福になる様子が見えないならば、多くの貯蓄があるに違いなく、それを国王に差し上げる余裕があるに違いない。



この論理によれば、裕福であっても貧乏であってもより多くの税金を納めるという不都合な選択しかない。



転じて、「二つの選択肢のどちらを選んでも受け入れ難いというジレンマ」のことを指すようになった。もしくは「同一の受け入れがたい結論に達する二つの推論」を意味することもあるようだ。

ところで、何故"fork"なのか。



"fork"には、食事に使うフォークや、農作業用の熊手といった意味の他に、道や川が二つに分かれる分岐点、という意味もある。"Morton's fork"の"fork"はこちらの意味である(ちなみに、現在の食事用フォークは四本歯が主流だが、中世のフォークは現在と異なり二本歯だったそうだ)。
故に、モートンの「熊手」という訳は誤訳だと思う。「二叉論法」等の訳が適切だが、言葉のインパクトはイマイチだな。



この言葉、余裕で10年以上前に、何かの小説の解説に書かれていたのを読んだ記憶があるのだが、どの小説だったのか思い出せないでいる。歴史小説ではなく、英米のSF小説(の邦訳)だった筈。
Morton's fork というのはずいぶん普及?している言葉なんだなーと、今回の件は個人的にいささか感慨深いものがあった。





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聖王女ジョアナのための音楽

Ensemble Joanna Musica(アンサンブル・ジョアンナ・ムジカ)のCD『In Monasterio Aveirensi - Música para a Princesa Santa Joana de Aveiroアヴェイロの修道院で - 聖王女ジョアナ・デ・アヴェイロのための音楽)』



15世紀ポルトガルの王女サンタ・ジョアナ・プリンセサ (聖王女ジョアナ Santa Joana Princesa 1452-1490)にまつわる音楽。



In Monasterio Aveirensi
In Monasterio Aveirensi



Ensemble Joanna Musica(アンサンブル・ジョアンナ・ムジカ)
Mário Marques Trilha(マリオ・マルケス・トリリャ)(指揮)


(Numerica : NUM1183)



>>HMVオンライン



録音:Museu de Aveiro(アヴェイロ美術館), 2009年3月 53' 10"



ジャケットは、サンタ・ジョアナ・プリンセサの肖像画(アヴェイロ美術館所蔵)。



【リンク】

Ensemble Joanna Musica のサイト


・Ensemble Joanna Musica の演奏 (リンク先はYouTube)





サンタ・ジョアナ・プリンセサ(聖王女ジョアナ)(1452-1490)は、ポルトガル王アルフォンソ五世(1432-1481 在位1438-1481)の長女で、ジョアン二世(1455-1495 在位1481-1495)の姉である。



彼女は早くから修道女になりたいとの希望を持っていた。しかし、弟のジョアン王太子(後のジョアン二世)に次ぐ王位継承権を持っていたため、その願いは許されなかった。
王太子に長男が生まれた1475年に、彼女はドミニコ会の修道院に隠棲した。ただし、修道女として誓いを立てたわけではなく、その後も何度か宮廷に呼び戻された。



縁談話はいくつかあった―1472年に神聖ローマ皇帝の後継者マクシミリアン(後のマクシミリアン一世)から、1485年にフランス王シャルル七世から―が、彼女はいずれも拒んでいた。



1485年、妃に先立たれたリチャード三世が、ポルトガルに使節団を派遣した。リチャード自身とジョアナ王女、そして、リチャードの姪エリザベス・オブ・ヨークとジョアン二世の従兄弟にして義弟であるヴィゼウ公・ベジャ公マヌエル(後のポルトガル王マヌエル1 世)との二重結婚の交渉のためである。
同年8月、交渉はまとまりかけた、というか、ジョアナ王女の決断を待つばかりとなったようだ。この時の王女について不思議な話が伝わっている。






ジョアナ王女は夜の祈りと瞑想のために退席し、美しい青年が、リチャードは生者の中から去ったと告げる幻もしくは夢を見た。翌朝、彼女は弟である国王に返答した。もしリチャードがまだ生きているならば、彼と結婚するためにイングランドに行きましょう。彼が実際に亡くなったのなら、二度と自分に結婚を強いないようにと。
その数日後、ボズワースの戦い(1485年8月22日)でリチャード三世が斃されたという知らせがポルトガルに届いたという。



ジョアナ王女は生涯結婚せず、弟のジョアン二世には助力をし続けた。
王女の死後には奇跡が起こったと伝えられている。彼女は1693年に福者の列に加えられた(Santa Joana=聖ジョアナと呼ばれるが、聖人ではなく福者である)。
王女の隠棲した修道院の建物は、現在アヴェイロ美術館となり、王女の墓も美術館内にある。



【リンク】




ルトガル王家との縁談
 (psyさんの Carpe diem 内)



The Portuguese Princess's Dream (Richard III Society 内)





このCDの発売を知ったのは2009年7月のこと。
歴史オタクとして心惹かれたものの、別にこの王女様のファンというわけではなく、購入するか否か数か月悩んだ(悩み過ぎ)。しかし、


彼女に関連する曲を編んだCDなんてもう出ることはないだろう

 ↓

もし出ても入手できないくらいレアに違いない

 ↓

てか、このCDも早く買わないと入手できなくなるって(注:この手のCDは廃盤が多い)

 ↓

やっぱ買うしかないだろ!ポルトガルのCDもってないし!



というわけで、HMVに注文した。
途中「品切れ」報告があり入手できないかと思ったが、先月CDが届いた。めでたし。



一聴して不思議な感じがした。なんとなく違和感がある、というか、耳慣れない響きと言った方が正確か。この王女が不思議な人だからか?イベリア半島だからか?(スペイン・ポルトガルの演奏は私はほとんど聴いたことがない)と首をかしげながら聴き……3回ほど聴いた時、ふと収録曲を見て、自分の感じた違和感の原因に気がついた。
なお、収録曲は以下のとおり。



David Perez (1711-1778) Missa de Santa Joana
ダヴィド・ペレス(1711-1778):聖ジョアナのミサ



Soror da Piedade (séc. XVIII) Discurso de 1 Tom
ソロル・ダ・ピエダデ(18世紀):ディスクルソ第1旋法



José Joaquim dos Santos (1741-1801) Calenda de Santa Joana Princesa
ジョゼ・ジョアキン・ドス・サントス(1741-1801):聖王女ジョアナのカレンダ



Anónimo (sec. XVIII) Respónsorio de Santa Mafalda
不詳(18世紀):聖女マファルダのレスポンソリウム



Mário Marques Trilha(1969-) Musica per Joanna
マリオ・マルケス・トリリャ(1969-):ジョアンナのための音楽



……王女の生きてた当時の曲じゃないじゃん!18世紀の曲ばかり。(大雑把に言うと)古典派の時代。唯一の例外は最後の曲で、指揮者のマリオ・マルケス・トリリャの曲―20世紀。
どうりで耳慣れないわけだよ。てか、もっと早く気づけ、自分!


そういえば、注文時に曲の内容をちゃんと確認していなかった……この手の歴史上の人物をモチーフにしたCDは普通当時の曲を収録しているので、このCDもそうだと思い込んでいたよ。15世紀ポルトガルの音楽が聴けると楽しみにしてたのに。ちと残念。





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4月の出来事



4月2日(1502年)

ヘンリー七世王太子アーサー、ラドロウ城にて死去


4月9日(1470年)

ウォーリック伯"キング・メイカー"リチャード・ネヴィルとその息女、および、クラレンス公ジョージ、ダートマスから国外へ脱出


4月9日(1483年)

エドワード四世崩御


4月9日(1484年)

エドワード・オブ・ミドゥラム(リチャード三世王太子)、ミドゥラム城にて死去


4月10日(1472年)

マーガレット・オブ・ヨーク、ウィンザー城で誕生
[エドワード四世の4女・夭折]


4月11日(1471年)

ヘンリー六世廃位(2度目)
エドワード四世、国王に復位


4月14日(1471年)

バーネットの戦
  • グロースター公リチャード初陣

  • 16代ウォーリック伯"キング・メイカー"リチャード・ネヴィル戦死


4月16日(1470年)

クラレンス公ジョージ妃イザベル・ネヴィル、カレー沖の船中で第1子を出産(死産)


4月18日(1475年)

エドワード・オブ・サンクチュアリー(エドワード四世王太子)と、ヨーク公リチャード(エドワード四世の次男)、ナイトに叙される

リンカン伯ジョン・ド・ラ・ポール、ナイトに叙される[2代サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポールとエリザベス・プランタジネット(3代ヨーク公リチャードの3女)の長男]


4月22日(1433年)

3代ヨーク公リチャード・プランタジネット、ガーター騎士に叙される


4月22日(1444年)

エリザベス・プランタジネット、ルーアンで誕生
[3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの3女]


4月22日(1472年)

グロースター公リチャードとアン・ネヴィルの結婚を教皇庁内赦院が許可する


4月23日(1445年)

ヘンリー六世とマーガレット・オブ・アンジュー(アンジュー公ルネ・ダンジューの息女)、結婚


4月25日(1464年)

ヘッジリー・ムアの戦


4月28日(1442年)

エドワード四世、ルーアンで誕生
[3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの次男・嫡男]

4月28日(1489年)

4代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー、暴徒により殺害される


4月30日(1483年)

グロースター公リチャード、リヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルを逮捕.サー・リチャード・グレイ、トマス・ヴォーン、リチャード・ホウトを逮捕.ストーニー・ストラトフォードで、エドワード五世を自らの保護下におく






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