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英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)

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コメント

こんにちは。話題に横入りしてもうしわけないのですが、ちょっと一つの仕事が一段落して、次の仕事にかかるまえの幸福なひとときなので、許して下さい。
さて、私のTitleとKnighthoodの考察をちょっと(か?)書きます。
>ところで、この"knight"は、何か特別の"knight"だったのでしょうか?対スコットランド戦の際にknightに叙された、というのはわかったのですが。
>彼は、子供のころに男爵位を継いでいますよね。それでも、knightには叙されていなかった?うーん、貴族の称号とknightの称号の関係が、知識不足でよくわかりません……
titleとknighthoodの違いは簡単に言うとtitleはby birthrightで、knighthoodはto be earned through some exploit involving the use of armsということになります。
これまでの読書の経験からの知識だけですが、貴族のheirである人のknighthoodへの王道(?)は、まず、自分の家から離れて他のnobleに仕える。最初はpage→squireとなります。そのおうちの事情や受け入れの態勢にもよるので、squireから始める場合もあります。pageは7才ぐらいからでしょうか、いわゆる礼儀作法を学ぶ段階、この場合responsibilityはその館の女主人にあります。14,5才でsquireになり、今度は主人の方の世話(武具、武器、馬の世話)をし、戦闘能力をつけるトレーニングも始めます。Knightとしてのトレーニングを積み、主人と共に戦場にも赴き、その働きによって主人からknightに除されます。その後、自分のhouseholdに帰る場合もあるし、そのまま主人につかえ、父親、兄などの死によってtitleと財産を継承する場合もあるようです。
knightとのありかたは時代によって違いますが、たとえば12世紀あたりでみると、William Marshalのように、Marshal家を継ぐのは兄だったりすると、運良くお金持ち、titleもちのheiressとの結婚がなければ、no land、no titleのknightとなります。こういう人たちをhearth knightと呼びます。
親が早死にして、knightを除される前の若い時期にtitleを継承した場合はどうなるか、というと、王様の不興を買ったり、ものすごく理不尽に取り上げられない限りは当然ながらby birthrightのtitleは継承します。継承した年齢が幼少の場合、有力な貴族の師弟であれば大概、王様のwardになります。ここでちょっと思い出した例が、4th Earl of NorfolkのThomas de Mowbray(1385-1405)です。彼の父親はご存じThomas de Mowbray, 1st Duke of Norfolkです。Bolingbrokeとの諍いの為にRichard IIから追放をうけ、1399年にヴェニスに死す、です。Dukedomはすでにその前に剥奪されているので、Thomasがduke以外のtitle、Earl of NorfolkEarl of Nttinghamを継いだのが14才の時になります。彼はこの時何処にいたか?というと、Within the Fetterlockという本の中では、Bolingbrokeのcourtでpageを(この小説では、ちょっと年代的に?なのですが、Joanna of Navarreの元にいます)やっていたということになっています。この時にEarl Marshalも制限付きで継ぐことを許されるのですが、ここからHenry IVへの彼の不満が募っていくことになります。というわけで、誰が彼をknightに叙したのかが不明のままですが・・・。
前置きが長くなってしまいましたが、Francis Lovell氏のknighthoodの考察ですが、あくまでもこれは私見ですので、詳しい方がいらしたら教えて下さい。
まず、Lovell氏が父親の死去によってtitleを継承したのが9才の時、つまり1463年です。当然、この年齢ですから、彼はEdward IVのwardとなります。そして、EdwardはWarwick、Richard Nevilleを彼のGuardianとします。(というわけでDickonと幼なじみになる)本来ならば、Warwickの元でpage→squire→knightです。ところが、1460年代終わり頃にWarwickとKingの喧嘩が始まります。1469にはClarenceと共にBattle of Edgecoteとなります。まだ年齢的にsquireのLovell氏は、多分、この混乱時、Warwickの元を離れたと思われます。といって、EdwardもDickonもこの時、人のことどころではなかったのでしょう。Edward IVが戻ってきて1471年Battle of Tewkesbury、その後、フランスとの戦争準備、Treaty of Picquignyとバタバタしているうちにあっという間に10年ほどが・・・。Lovell氏もただヒマをしてたわけではなく、結婚だの1473年に父方祖母の死去にともないまた膨大な土地を相続するなど、忙しかったのでしょう。とにかくLovell君はお金持ちですが、それなりの仕事も多いのではと想像します。1480年にやっとcampaignに出る事が出来、knightに除されたのではないでしょうか?最初に書いたように、16世紀まではmilitary serviceがknightになる条件だったわけですから、人によってはいろいろな混乱でknightになるチャンスが遅れるってこともあるのではないかと。長くなってすみませ〜ん。
 こんにちは、凪乃です。また書き込みに来てしまいました~。
 私自身Francis君の”knighted”の謎に「?」となっていたんですよ。彼がK.G.になるのはもっと後、リチャードの治世になってからですし。それでいろいろ調べていたのですが、そもそもbaronyとknighthoodの関係をいまいち理解していなかったので、Leiさんの考察に非常に助けられました。ありがとうございます。
 その一方で、Francis君に関する記述を探せば探すほど、濃~い霧の中に足を踏み入れたような気分になってまいりましたよ……。

 まずknightの叙任のことなのですが……
 Anne Sutton & Livia Visser-Fuchsの『Richard III's Books』によれば、リチャードが(王になった後に)knightにした人々の中にはSpanish ambassadorやmayors of Londonが含まれており、これは武勲以外へのrewardの例であろうとのこと。
 とはいえ当時のkighthoodが基本的に武勲に対するrewardであったことは確かですし(同書にも前提としてそう書かれている)、対スコットランド戦中の叙任ならmilitary serviceに対するものであるのは明らか。というわけでこれはFrancis君の件には関係なさそうです。

 そしてFrancis君の”kighted”の時期なのですが、よくよく調べてみたら、ものによって書いてあることがばらばらでした;
「グロスター公リチャードが対スコットランド戦(スコットランド遠征)期間中に、多くのknightとknight-banneretを叙任した。」まではどこも一致しているのですが、Francis君の叙任の時期についてはあいまいで、1480年とされていたり81年とされていたり……。

・上記の『Richard III's Books』によれば、「1481~1482のスコットランド遠征中に、グロスター公リチャードは75のknightとknight-banneretをdubした」そうです。

・↑と同じ史料を使っているCharles Rossの『Richard III』によれば、1481年中にリチャードがknightにしたのは5人で、全員が貴族(all lords)。Lovell以下、FitzHugh、Scrope of Masham、Lumley、Greystoke、の名が挙げられていました。

・Wikipediaの記述では1480年。ですが、どうもこれは、私が「1480年8月22日説」を見つけたのと同じ『Dictionary of National Biography』を参照して書かれた模様。

http://www.trivium.net/realrichard3/index.html">http://www.trivium.net/realrichard3/index.html
 ↑のサイト内の記述では「he was knighted by Richard at Hutton-by-Berwick on August 22nd 1481. 」1年ずれていますが、やはり8月22日という日付を出しています。

 出典をすべてたどっていけば「8月22日説」の典拠もわかるのでしょうが、私の能力的にそこまで及ばず。……しかもFrancis君の場合、すべてが”uncertainty”という言葉に集約されてしまいそうな気もします。
 そういえばP.C.Dohertyの『The Fate of Princes』(Francis LovellがRichardの命令で二王子失踪事件の謎を探る、という、Francisの手記形式のミステリー)でも、フランシスがリチャードについて「The man who had knighted me on our campaigns against the Scots」と述懐している以外、特に騎士叙任の件には触れられていませんでした。……まあ、単に私がこだわりすぎなだけだと思いますが。
 個人的感傷としては、ボズワースの4年前でも5年前でもいいので、とにかく8月22日であってほしいです(笑)

 とりとめもないことを長々とすみませんでした。乱文・長文ご容赦のほどを。
Leiさんと凪乃さんの上記のコメントは、先日の話題 ↓ の続き(というか、私の疑問に対する御考察)です。
http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2008/01/message_board3.html#comment-8300170">http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2008/01/message_board3.html#comment-8300170
Leiさん、こんばんは。
titleとknighthoodについての分かりやすい御解説と、示唆に富む御考察ありがとうございました。
都合により1週間ほどコメントできないと思いますので(断らなくてもしょっちゅう放ったらかしじゃん!というツッコミはご容赦下さい……)今日のうちに少し書かせていただきます。

>16世紀まではmilitary serviceがknightになる条件
私、この辺がよく分かっていなかったのです。「本来ならば(page→)squire→knight」ということは一応知っていたのですが、それなりのtitle持ちの場合、適当な折にknightにしてもらえたのかなー、と(勝手に)想像していました。
16世紀末、というかヨーク朝で、military service以外でのknight叙勲もあったようなので、余計に頭がこんがらかっていました。

『中世の家族―パストン家書簡で読む乱世イギリスの暮らし』で、ジョン・パストンの長男ジョン・パストン(父子で同名。ついでに次男もジョン・パストン。ややこしいからこういう名付け方はやめて欲しい)が、エドワード四世治世にknightに叙された旨書かれているのですが、どうもmilitary serviceによるものではなく、お金を積んでknighthoodをもらったような印象を受けたのです。今度、読み直してみます。

>no land、no titleのknightとなります。こういう人たちをhearth knightと呼びます。
"hearth knight"という呼び方は初めて知りました。勉強になります。
昔は、貴族の息子なら次男でも三男でもtitleがもらえるんだろうと単純に思いこんでいて、少なくともイングランドではそうではなかったと知った時は、御貴族様も大変だなーと思いました。

>人によってはいろいろな混乱でknightになるチャンスが遅れるってこともあるのではないか
なるほど、なるほど。23-24歳になるまでknightじゃなかったの?ええー?と驚いたのですが、確かに、Lovell君の場合は、相続の面など色々ややこしかったようですね。男爵なのに、成人後もknightでなかったというのは、何だか気の毒な気がします。

マクシミリアンIとシャルル・ル・テメレールの婿・舅関係についても、思うところ(って大した内容じゃないですけど)を書こうと思っていたのですが(なのに前回書き忘れました orz)、頭が一杯一杯になっているので、また後日~
Lovell君について、補足です。

>1460年代終わり頃にWarwickとKingの喧嘩が始まります。1469にはClarenceと共にBattle of Edgecoteとなります。まだ年齢的にsquireのLovell氏は、多分、この混乱時、Warwickの元を離れたと思われます。

Francis Lovellは、当時既に、Warwick伯の姪のAnne (Agnes) Fitzhughと結婚していました(Warwickが後見人になる前らしい)。Lovellの義父(Anneの父)Henry Fitzhugh はWarwick方につきましたが、Francis LovellとAnne Fitzhughの夫妻は、1470年9月にエドワード四世の恩赦をうけました。
が、1470年10月には、エドワード四世はリチャードと共にブルゴーニュ公国へ亡命することに。
1471年4月のBarnetの戦で、Warwickが戦死。同年7月に、エドワード四世は、Suffolk公John de la Pole(エドワードの義弟)をLovellの後見人にしました(ここで、Suffolk公のまだ幼い長男Lincoln伯John de la Poleと出会う)。

"Oxford DNB"では
"Lovell was still regarded as a minor on 19 February 1477"
と書かれていす。
Lovell 君は財産・所領をすんなり相続できなかったのかもしれません。
凪乃さん、こんばんは!またのお書き込みありがとうございます。

いきなり御質問なのですが、
>Anne Sutton & Livia Visser-Fuchsの『Richard III's Books』
この本は「買い」でしょうか?検索したら、どうやら絶版で、でも古書なら入手できそうです……内容が良さそうなら買っちゃおうかなーと。
……そして積読の山がまた増える、というのは気にしないことにして(^_^;)

>Francis君の”kighted”の時期
"Oxford DNB"のRosemary Horrox氏の記述では、
"he served under Richard, duke of Gloucester, and was knighted by him beside Berwick on 22 August 1481"
となっていました。Richard III研究家達の間では1481年説の方が濃厚なんでしょうか?

Berwickという地名からすると、1481年の方が考えやすいように思います。1480年の時は、Bamburgh を攻撃してきたスコットランド軍を撃退しただけで、それ以上進まなかったのじゃないかと。

>ボズワースの4年前でも5年前でもいいので、とにかく8月22日であってほしいです(笑)
8月22日に違いないですよ!(訳もなく断言) 出来事の日にちはわかっていても、年が分からないことって時々見かけますし。

>P.C.Dohertyの『The Fate of Princes』
お読みになったのですね。私、持っているんですが……未読です(滝汗)。知った時には絶版で、古書を見つけて購入。最初の数ページを読んで、「おお、Lovell君の一人称だ。でもなんだか冒頭から不穏な雰囲気?まあ、いっか」と、とりあえず入手したことで安心して(<おい!)そのままです~

今年度(もう3か月過ぎちゃったけど)の努力目標その1:未読洋書を減らす<「なくす」でないところが何とも……
努力目標その2:未試聴のDVDを減らす

それでは、また。
 秋津羽さん、こんばんは。

>>Anne Sutton & Livia Visser-Fuchsの『Richard III's Books』
>この本は「買い」でしょうか?
 ……とのことですが、実は私も借りたままあまり読んでいません(汗)
 なにぶんハードカバー&25cmという大判サイズ&333ページ。そのうち気合いを入れて読もうと思っていながらも、まだ「おお、リチャードの筆跡(サイン)って流麗じゃない!?」とか「バッキンガム公! あなたの字はさっぱり読めません!」とかでキャーキャー言ってる段階です(笑)
 この本は、リチャードの持っていた本から彼の性格を考察する、という趣旨の論文集なので、持ち主いわく「オリジナリティはある」内容だとのこと。
 ぱらぱらと見たところ内容は悪くなさそうですので、後は値段で判断を……というところでしょうか。

>Francis君の”kighted”の時期
 スコットランド遠征の時期と照らし合わせると、やはり1481年のほうが妥当でしょうね。"Oxford DNB"のRosemary Horrox氏の記事は、比較的新しめの文献やFrancis Lovell個人を扱った論文をソースにしていますし。
 なにはともあれ「8月22日」という日付自体は確からしいですね。やった!(笑)

>出来事の日にちはわかっていても、年が分からないことって時々見かけますし。
 確かに。そして年がわからないといえば、Lovell君(私はついこの人を君付けしてしまう…)の生年もですよね。ものによって1454年と書いてあったり56年だったり57年だったり。
 ですが仮に1457年生まれだったとしても、1477年時点で20歳。当時の社会的には、20歳まで"minor"と見なされていたというのはどうなんでしょうか……?
 なんだか私の脳内で、Lovell君がどんどん苦労人のイメージになっていきます。

>P.C.Dohertyの『The Fate of Princes』
 おせっかいと思いつつも、この本に関しては、「RichardとLovell君のfriendshipに期待しないで読むのが吉ですよー」とささやきたいです。
 冒頭の不穏な雰囲気通り、この本のリチャードはけっこう腹黒いというかなんというか……なので。(実は私はそれで一旦めげそうになりました)
 ですが内容自体は、リカーディアン的に面白いネタを持ってきたんじゃないかな、と。不穏な雰囲気を覚悟していれば(そして自分の中のリチャードのイメージを一旦忘れれば)、楽しんで読めると思います。

 またまた長くなってしまいました;
 それでは~。
こんにちは。あまり長くなるとこの伝言板がパンクするのではないかと心配なので、なるべく短めに書く努力をします。
>それなりのtitle持ちの場合、適当な折にknightにしてもらえたのかなー、と(勝手に)想像していました。
少し上に書きましたが、knightの成り方は中世と言っても12世紀と15世紀では違うので、その時代時代の必要に応じてうまく応用されていたと思いますから、秋津羽さんのご想像もそれほど離れていないかと思います。ちょっと補足すると、現在読んでいるLords of the White Castleでは、ちょうど、Fulke FitzWarinと弟のWilliamがknightになる前夜ところです。どういう場面かというと、Henry IIが亡くなり、Richardが戴冠するところ。だから恩赦じゃないけれど、こういう「お祝い事」knightっていうのはあるのかなぁ、と。ただ、彼らの場合は、すでにsquireの経験を積んで、その時期ですし、titleがあるということは当然、今現在戦争がなくてもすぐにmilitary serviceが出来るというのが前提です。また、別の例ですが、Pastonとの抗争にも巻き込まれたJohn Howard(後のDuke of Norfolk)に関して、On the first accession of Edward IV, Howard was knighted and appointed Constable of Colchester Castle, Sheriff of Norfolk and Suffolk. とありましたのでcoronationは新しい王様が体制づくりとして叙勲、褒賞のタイミングなのかもしれません。
>『中世の家族―パストン家書簡で読む乱世イギリスの暮らし』で、ジョン・パストンの長男ジョン・パストン(父子で同名。ついでに次男もジョン・パストン。ややこしいからこういう名付け方はやめて欲しい)が、エドワード四世治世にknightに叙された旨書かれているのですが、どうもmilitary serviceによるものではなく、お金を積んでknighthoodをもらったような印象を受けたのです。
実はこの秋津羽さんの記事を読むまで、Paston Lettersの事を知りませんでした!時間があるときにゆっくりと思って、今は概要しか読んでいませんが、
Caister CastleをDuke of Norfolk (John de Mowbray)に乗っ取られる(?)前
はJohn Paston兄は He spent most of his time hanging around the King's Court in Londonだったそうですが、wikiの記事でもSir John Paston (1442-1479) was frequently at the court of King Edward IV, but afterwards he favoured the Lancastrian party, and, with his brother John, fought for Henry VI at the battle of Barnet.とあり書簡の中に John the Younger was wounded in the arm by an arrowが記されているみたいですから、どういう立場なのかは分からないものの一応戦場には行っているのでしょう。この感じだと誰にknightにしてもらったのかはよく分かりませんが・・・。
兄は念願のお城を取り戻した三年後にplagueで亡くなっていますが、John弟は
the younger John Paston (d. 1504), was knighted at the battle of Stoke in 1487
とあり、うまく勝ち組の戦場にいたという印象を受けました。必ずしもお金と口だけでknightになったのではないような気がします。
もっともNorfolkの古い格言で'There was never a Paston poor, a Heydon a coward or a Cornwallis a fool.'というような表現があるあるそうで、お金はたくさ〜ん持っていたのでしょうけれど。
・・・とか言いながら長くなってしまった・・・反省。
凪乃さん、こんばんは。
『Richard III's Books』についての情報ありがとうございます。

>この本は、リチャードの持っていた本から彼の性格を考察する、という趣旨の論文集なので、持ち主いわく「オリジナリティはある」内容だとのこと。
>ハードカバー&25cmという大判サイズ&333ページ。

本当にタイトルまんまの内容なのですね。大変興味があります。が、ヴォリュームもなかなかですね。うーん、困りました。ところで、筆者のAnne Sutton女史、名前に見覚えがあったのですが、Richard III Societyの会誌"The Ricardian"のeditorなのですね。めちゃめちゃ力が入っていそうです(笑)。
それにしても、そんな本をお貸しくださるご友人がいらっしゃるとは、うらやましい限りです!素晴らしい!

>「おお、リチャードの筆跡(サイン)って流麗じゃない!?」とか「バッキンガム公! あなたの字はさっぱり読めません!」とかでキャーキャー言ってる段階です(笑)
Richard III Societyアメリカ支部のサイトで、何人かの署名が見れますよね▽
http://www.r3.org/rnt1991/inkandpaper.html">http://www.r3.org/rnt1991/inkandpaper.html
http://www.r3.org/rnt1991/mysovereignking.html">http://www.r3.org/rnt1991/mysovereignking.html
あちらの署名を見慣れていないので、上手いのか、そうじゃないのか、私さっぱりわからないのですが(^_^;)

>この本に関しては、「RichardとLovell君のfriendshipに期待しないで読むのが吉ですよー」
了解しました!Lovell君の一人称ということで、最初は麗しい主従愛(笑)が読めるのかと思ったのですが、冒頭から「Lovell君、ひょっとしてRichardに不信感を抱いてる?」と気になってたのですよー。
P.C.Doherty氏の小説自体は割と好きなので(と言っても、邦訳されたもの4冊を読んだだけですが)御忠告を肝に銘じて読むことにします。 ちなみに邦訳4冊は、『白薔薇と鎖』(「ロジャー・シャロット&ベンジャミン・ドーンビー」シリーズ)、『毒杯の囀り』『赤き死の訪れ』(「アセルスタン修道士」シリーズ)、『教会の悪魔』(「密偵ヒュー・コーベット」シリーズ)です。
>「お祝い事」knightっていうのはあるのかなぁ、と。
国王の戴冠式に、Knights of the Bath に叙任する慣例はあったようですね。

>お金はたくさ~ん持っていたのでしょうけれど
父親のジョン・パストン(1世)と、その父親のウィリアム・パストンがうまいことやって「おっ金持ち」になったようです。同時に、相続やら何やらでトラぶることになったらしいですが。Paston Lettersでは、皆して「お金ない、お金ない」ってばかり書いてます……
パストン家のknighthoodについては、ちょっと整理して、後日書きたいと思います。

Paston Lettersについては、こちら▽にちょっと書いてますが、この書簡集の存在を初めて知ったのは、『時の娘』だったりします(笑)
http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2007/10/happy_birthday__4676.html#paston">http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2007/10/happy_birthday__4676.html#paston

>あまり長くなるとこの伝言板がパンクするのではないかと心配なので
御心配なさらないで下さい~パンクしませんから。示唆に富むコメントはいつでも大歓迎です!時々掲示板を新しくするのは、単に、表示が長くなると、せっかくお書きいただいたコメントが読みにくくなってしまうから、というだけです。
あと、新しい掲示板を作ると、それから1か月だけは画像認証が出ない、というのも理由の一つではあります(spamコメント対策の設定上、記事を書いて30日以上たつと画像認証が出てしまうのです)。この画像認証、不便をおかけしてしまうので、30日制限がないと良いのですけどね。
こんにちは、秋津羽さん。
>父親のジョン・パストン(1世)と、その父親のウィリアム・パストンがうまいことやって「おっ金持ち」になったようです。
その「うまいこと」ですが、Sir John Fastolff!ShakespeareのFalstaffのモデルはてっきりJohn Oldcastleだと思っていたのですが、この人のキャラが混じっていたのですね!Oldcastleの遺族からクレームがきたので名前をかえた、というところまでは、知っていたのですが、同じLollardつながりということで、Fastolffのキャラもちょっと拝借、というのは読み飛ばしていました。
Paston Lettersの概要に関しては、BBCのBritish HistoryのコーナーにPaston Family Letters By Dr Mike Ibejiという記事を面白く読みました。
>同時に、相続やら何やらでトラぶることになったらしいですが。
上記の記事はここの描き方も面白いです。
John the Elder woke up to what he had stupidly thrown away (NorfolkにしてやられたCaister Castleの事です), and spent the next 11 years dragging Norfolk through the courts in his attempts to get it back.
結局その努力が実り、というかNorfolkが1476年1月に亡くなったので法に詳しいPastonが勝ったのか、あるいはもういいかげん五月蠅く(何となくこの漢字がぴったり)なったのか
The King granted the patent of Caister on John the Elder, and the Duke of Norfolk's wife, tired of the whole affair, gave up her dead husband's claim
たかがお城一つですが、
This elevated them from the ranks of the lesser squirearchy into the big league of Knights and King's retainers who hung around the court.
すごいですよね。

>Paston Lettersについては、こちら▽にちょっと書いてますが、この書簡集の存在を初めて知ったのは、『時の娘』だったりします
あれあれ・・・ということは、まったく私はスルーしていたわけですね・・・。ご飯を食べたのに食べた記憶がない老人みたなものです。情けない。実は、これ以外にも私はこれまでPaston Lettersに触れていたのに、スルーしていたみたいです。Howard家を調べているときに・・・
Sir John Howard, only son of the match between Howard and Mowbray, took service with his cousin the third duke of Norfolk, who had him returned as knight of the shire for Norfolk, where, according to the Paston Letters, this Howard of the Essex branch was regarded by the gentry as a strange man.
という記事を読んでいたのに!
Leiさん、こんばんは!

>Sir John Fastolff!ShakespeareのFalstaffのモデルはてっきりJohn Oldcastleだと思っていたのですが、この人のキャラが混じっていたのですね!
日本語の一般向けの本では、Sir John FastolffもFalstaffのモデルの一人だということは、ほとんど書かれてないのではないでしょうか?(違うかな?) 私は『中世の家族』で初めて知りました。Fastolffには子孫はいないから、名前を拝借してもクレームは来ないですもんねー

Paston Lettersについて、『時の娘』には次のように書かれています。
 『たとえば、パストン夫妻の往復書簡からの抜粋のところなどがそれである。パストン夫妻は歴史の断片を、サラダ・オイルの注文状とケンブリッジ大学での息子クレメンツの近況問い合わせとのあいだにひょいと挟む、という癖があった。そして、その二つのごく家庭的な話題のあいだに挟まれて、ヨーク家の二人の幼児、ジョージとリチャードがパストン夫婦のロンドンの家に身を寄せており、二人の兄であるエドワードが毎日、彼らに会いにくる、といったような事柄がさりげなく書きのこされているのである。』

この「ロンドンの家」は、もともとJohn Fastolffがサザークに建てた屋敷で、John Paton(1世)のものになりました。「ファストルフの居宅としてケイスター城に次ぐ」とのことで、かなり立派なお屋敷だったのだと思います。
最初に上の『時の娘』の文を読んだ時はかなりおちぶれた(ヨーク家が)イメージだったのですが、違うようです。時期的にも、ヨーク側が盛り返した時です。ちなみに、マーガレットも、ジョージとリチャードと一緒にいました。

『時の娘』の別の場所では、
『不滅のおしゃべり書簡を遺したパストン夫妻』
と書かれています。言い得て妙。まあ、実際は夫妻だけではないですが。
>BBCのBritish HistoryのコーナーにPaston Family Letters By Dr Mike Ibejiという記事
こちらですね▽ 私、あまりちゃんと読んでないのですが…
http://www.bbc.co.uk/history/british/middle_ages/pastonletters_01.shtml">http://www.bbc.co.uk/history/british/middle_ages/pastonletters_01.shtml

>NorfolkにしてやられたCaister Castle
ケイスター城だけでなく、他の荘園や何やらを含めて、何だか延々と争ってるんですよねー ややこしいったらないです。1461年(タウトンの戦でヨーク軍が勝って間もなく)から1476年まで、15年間! 途中、Norfolk公に取られて、取り返したと思ったら、また取られて……

>結局その努力が実り、というかNorfolkが1476年1月に亡くなったので法に詳しいPastonが勝ったのか、あるいはもういいかげん五月蠅く(何となくこの漢字がぴったり)なったのか

Norfolkが亡くなったことが大きいと思います。またまた『中世の家族』を参照しますと、Norfolk公は「命と引き換えでなければケイスター城は手放さない」と言い張っていたそうです。
一方、Norfolk公爵夫人は割と好意的で、さほど城に固執していたわけではなく、十分に謝礼をもらえれば(<ここがポイント)手放してもいい、と考えていたようです。Paston兄弟(主にJohn弟)も公爵夫人を通して何度も交渉しようとしています。

Norfolk公は何年も、Sir John Paton(John兄)の「面会に応じず、話も聞かず」という状態でした。が、1476年1月、Sir John PatonはFramlinghamのNorfolk公夫妻に面会することができました。その前にSir Johnが国王に出した嘆願書が効いたのかもしれません。
で、なんとこの時、Sir John Patonの滞在中に、Norfolk公が急死してしまったんです!

Sir Johnは「すぐさま信頼のおける召使いをケイスター城に送って、公式に所有権の主張をさせ―法的に欠かせない手続きだった― 一方で公爵の顧問たちに自分の意図を明らかにすると同時に、公爵の葬儀のために応分の寄付を行った。」
同年5月「王室の顧問団はケイスター城とその荘園を、サー・ジョン・パストンの所有財産と認定した。このためには―おおいに"運動"が必要で―多額の費用を要し、サー・ジョンはこぼしている。『苦労して借金して、大金を工面しなければならなかった』」
結局、翌1477年10月に、ケイスター城は正式にSir John Patonの所有と認められました。

>たかがお城一つですが、
This elevated them from the ranks of the lesser squirearchy into the big league of Knights and King's retainers who hung around the court.
ケイスター城を回復したことに加えて、Sir John Patonは1472年夏からヘイスティングズ卿の庇護を受けており、その両方によるようです。
こんにちは、秋津羽さん。ものすごく珍しいことに仕事が忙しく、体を鍛える以外の趣味にまったく時間がとれないこの頃です・・・。(体もそんなには鍛えていないと思いますが)
Paston Lettersに関して詳しいご説明ありがとうございます。the Daughter of Timeは確か図書館で借りた本なので手元にはなく、哀しいことに私のこの本に関する記憶も魔のバミューダー海域に飲み込まれたようです・・・。
>で、なんとこの時、Sir John Patonの滞在中に、Norfolk公が急死してしまったんです!
そうなんですか!?Norfolk公の死因は分かっていないですよね?タイミングがタイミングなだけに、何かその後、噂になったりはしなかったのでしょうか?
>ケイスター城を回復したことに加えて、Sir John Patonは1472年夏からヘイスティングズ卿の庇護を受けており、その両方によるようです。
なるほど〜。ぬかりがない、というか、結構「営業」していますよね、Paston一家。ついつい、派手な方に眼が行きがちですが、武功だけでなく、「頭」と「まめさ」も出世のキーワードになるのですねぇ。何だかんだと言っても、肝心な時に「勝ち組」の方にいるのがすごいです。

「たかがお城一つ」な話ですが、ここのところ読んでいる2冊は「お城に」に拘る話です。12世紀を舞台にしていますが、先月読んでいたのは、Shadows and StrongholdsはLudlow Castleです、今、読んでいる(遅々としていますが)Lords of the White CastleはWhittington Castleです。Ludlowは、De DinanとDe Lacyの攻防ですが、最後にHenry IIの大岡裁きがあって(変な表現ですが)何となく納得してしまいました。
ロンドンに旅行した友人がCadfaelのまだ読んでいない巻を3冊中古でゲットしてくれて、私はしばらく12世紀から抜けられそうにもないですね・・・。
>Norfolk公の死因は分かっていないですよね?タイミングがタイミングなだけに、何かその後、噂になったりはしなかったのでしょうか?
うーん、まだかなり若かったんですよね(31歳)。死因は何だったのか……ペストが流行ったのは3年後(1479年)ですし、そもそもペストならペストと記録されるでしょうね。
私も、何か噂にならなかったのか気になったのですが、とりあえず「中世の家族」には何も書かれていなかったので、問題にならなかったんじゃないでしょうか?<いい加減(^_^;)

>武功だけでなく、「頭」と「まめさ」も出世のキーワードになるのですねぇ。
そうですねー。ジョン長男は、法廷闘争でトラブルを解決しようとした父親とはタイプが違ったようですが、なんだかんだ言ってうまく駆け引きをして、遺産をかなり取り戻したようです。

「まめさ」と言えば、マーガレット・パストン(ジョン1世の妻)は、ジョン長男に次のような手紙を送っています。
『重要な文書はしっかりと管理して、自分に害をなすかもしれぬ人物の手に落ちないように気をつけなさい。おまえのお父様は―あの方に神の赦しがありますように―困難に立ち向かわれたときには、ほかの何よりも書かれた記録や証拠を大切になさったものでした。文書は一度失ったら、二度と同じものは手に入らないことを忘れないように』
耳が痛くなるような忠告です(苦笑)。

Ludlow CastleはもともとDe Lacy家のものだったのですね。13世紀にGeoffrey de Genevilleの所有となり、Geoffreyの孫Joan de GenevilleがRoger Mortimer, 1st Earl of Marchと結婚してMortimer家の所有になり、Mortimerの断絶でRichard Plantagenet, 3rd Duke of Yorkのものに。
…ややこしくて、辿って行くうちに脳味噌がウニのようになりました。
 こんばんは、秋津羽さん。
 この前読んだ論文に、個人的に大爆笑のネタがあったので、つい書き込みに来てしまいました~。

 例のAnne Sutton女史が書いた、「Richard III and the Knave of Cards
 論文自体の趣旨は、「写本の細密画に描かれているリチャードやエドワードの絵は、本人の容姿を忠実に描いたものではないよ」というものなのですが、途中の引用文が面白かったんですよ。
 引用元はF W Fairholtという人の著作で、この人いわく"The Duke of Gloucester is in the most fashionable dress of the day""His dandyism is also an historic fact"なんだそうな(笑)
 もっとも論文の著者はこの説を「誤解に基づいている」と切り捨てていました。私としてもこのリチャード伊達男説(笑)は、証拠不十分という感がぬぐえなかった(なにせこのネタの出所がシェイクスピア)です。
 それにしても、服装に超気を使っている我が君って……私には想像できなかったです(笑)
 エドワード兄ちゃんやバッキンガム公あたりなら、鏡の前でめかしこんでる姿が簡単に想像できるんですが。
凪乃さん、こんばんは!
熱心にお調べになっていますね~

>Richard III and the Knave of Cards
オンラインで簡単に入手できたりしないかしらと甘い期待を抱いて検索いたしましたら、Society of Antiquaries of London の Antiquaries Journal Volume 79, 1999 の論文なのですね↓
http://www.sal.org.uk/books/theantiquariesjournal/volume-79-1999/">http://www.sal.org.uk/books/theantiquariesjournal/volume-79-1999/

私の環境では簡単には入手できそうにないのがちょっと残念ですが、論文の概要と「ツボ」をお教えいただけたので、とりあえず満足いたしました (^_^)

>"The Duke of Gloucester is in the most fashionable dress of the day"
>"His dandyism is also an historic fact"
はぁ? (゚д゚) って感じです。"historic fact"って一体(笑)しかも「ネタの出所がシェイクスピア」って、それは全く信用できないソースじゃありませんか!

>リチャード伊達男説(笑)
>服装に超気を使っている我が君
笑えます。笑っちゃいけないのかもしれませんが、おかしいです。個人的には、怪しい「リチャード美男子説」↓よりもさらに信用できません(笑)
http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2006/05/post_6f94.html">http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2006/05/post_6f94.html

もちろん身分にふさわしい格好はしてたと思いますし、ダサダサの格好はしてなかったとも思いますが(希望的観測)、「流行の最先端を追い求める王弟殿下」は、ちょっと想像できません。最先端の大砲か何かの情報に興味津々で目をキラリンとさせている姿は想像できますが(笑)。

あ、エドワード兄ちゃんは、かなり服装に気を使っていたと読んだ覚えがあります(国王時代)。めかしこんでたと思いますよ~(夫妻で)
>引用元はF W Fairholtという人の著作
引用元、見つけました!
Costume in England

まだ内容をちゃんと読んでいないのですが、絵の解説のようですね。194ページの中程に"The Duke of Gloucester is in the most fashionable dress of the day" 同ページの下の方に"His dandyism is also an historic fact"とあります(Google Books)↓
http://books.google.co.jp/books?id=et0DAAAAYAAJ&printsec=titlepage&as_brr=3&source=gbs_summary_r&cad=0#PPA194,M1">http://books.google.co.jp/books?id=et0DAAAAYAAJ&printsec=titlepage&as_brr=3&source=gbs_summary_r&cad=0#PPA194,M1

Internet Archiveでも見れます(PDFファイルなど)↓ 
http://www.archive.org/details/costumeinengland00fairuoft">http://www.archive.org/details/costumeinengland00fairuoft
>最先端の大砲か何かの情報に興味津々で目をキラリンとさせている姿
「この大砲のフォルム……最高だよね~」
と、軍事ヲタ仲間と語らうリチャードが頭に浮かんでしまいました…。
現代ならさしずめ迷彩柄の服とか来て秋葉原に…あ、いや、すみません冗談です。大逆罪で死刑はゴメンです。

妄想はさておき、この時代のモードって男性も女性も素敵ですよね。
首もとや袖などのシルエットがゆったりしていて、色合いもシックでエレガント。
女性のあの素っ頓狂なヘッドドレスもけっこう好きです。
もう少し時代が下ってヘンリー八世・エリザベス一世の頃になると、首の詰まったガチガチの鎧みたいな服になってしまってどうも萌えません。
特にあのコッドピースという奴、あれだけは解せぬ…。
ヘンリー八世のような好色キャラならともかく、カール五世みたいな人があれ付けてるのを見ると「あんた真面目な顔してなんて格好してるんだ」とつっこみたくなります。
>最先端の大砲か何かの情報に興味津々で目をキラリンとさせている姿
 ……す、すごく簡単に想像できてしまいました(笑)
 私の中ではリチャードは、実用的なものに関しては新しもの好きな人、というイメージです。
 服装に関しては……現代ならさしずめ、デパートに服を買いに行っても見立ては全部奥さん任せ……いえ、なんでもないです。

 服装といえば、引用元のFairholtのほうはネットで閲覧できたのですね!
 なんと便利なInternet Archive……。卒論でもお世話になりそうです。
 Fairholtのほうはまだしっかり読んでいないのですが、Sutton女史の”Richard III and the Knave of Cards~”についてはもう少し詳しく書きますね。

 この論文で問題にしているのは、エドワード4世へ本を献呈するシーンを描いた細密画です。
(British Library Images Online↓で、「royal 15 e. iv, f.14」で検索すると見れます)
http://www.imagesonline.bl.uk/">http://www.imagesonline.bl.uk/
 この細密画の中で短い上着を着て立っているのがリチャード(左から2番目の人物)だ、とよく言われるのですが、この論文によればその同定自体が怪しいのだとか。
 「左から2番目の人=リチャード」説を最初に言った人も、特に根拠があったわけではなく、「たぶん、リチャードだろう」と注意深い書き方をしていたんですね。それが伝言ゲームを繰り返しているうちに、「一般にリチャードだとされている」的なキャプションのつけ方に変わってしまったのだとか。
 しかもこの論文によれば、

・写本の挿絵職人がエドワードやリチャードの容姿を知る機会はなかった。
・たとえ容姿を知る機会があったとしても、挿絵職人には、人物の顔を本人に似せて描くという風潮がなかった。
・挿絵職人は型通りの献呈シーンを描いただけで、実際のできごとに即した描写はしていない。

結論:細密画に描かれたリチャード(らしき人物)の姿は、本人の容姿を忠実に描いたものではありえない。

 Fairholtのリチャード伊達男説は、この細密画中のリチャード(らしき人物)の服装を根拠の一つにしているので、まあだいぶ怪しいんじゃないかと(笑)
 Fairholtはもう一つ、「この細密画中でリチャード(?)と話している人物がクラレンス公である」説を書いていますが、これも根拠どこ?という感じです。
 この細密画のキャプションは、書いた人によってけっこうバリエーションがあるのだとか。
 きちんとした研究書で「この絵に描かれている~の人物が~である」と解説されていても、とりあえずそのソースを疑ってみたほうがいい、というのが論文のオチでしょうか。(実はこの論文の大半は、リチャードと直接関係のない話で進行している)

 この論文の註にあったネタで、もう一つ面白かったのは、エドワード兄ちゃんのモットーです。
 リチャード3世のモットー(の中で一番有名なもの)は、ご存知の通り、「忠誠が我を縛る」。
 対してエドワード4世のモットーは、「安楽と歓喜(confort et liesse)」……。
 似合いすぎです。

 それでは、長々と失礼いたしました。
>現代ならさしずめ迷彩柄の服とか来て秋葉原に…
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 それはちょっと……
えーとですね、例えば、軍事演習を視察して迫撃砲ぶっ放させるとか、新式の銃器の図面を見てワクテカとか、熟練技術者と会話するうちにどんどん専門的(マニアック)な方向に話が進んで部下困惑とか(たぶんフランシス君あたりは慣れてて平気)…… す、すみません、私も大概にします。

ちなみに女性の場合、大逆罪は身分に関わらず火刑だったようです。と言っても、大逆罪で火刑にされた貴族女性って聞いたことがないので、普通は斬首だったと思います<って何を書いているんだ、自分!べ、別に脅してるわけじゃありませんよ~

>もう少し時代が下ってヘンリー八世・エリザベス一世の頃になると、首の詰まったガチガチの鎧みたいな服になってしまってどうも萌えません。
私、あのビラビラのレースの襟巻(笑)は結構好きです。自分で着たいとは思いませんが。

>ヘンリー八世のような好色キャラならともかく、カール五世みたいな人があれ付けてるのを見ると「あんた真面目な顔してなんて格好してるんだ」とつっこみたくなります。
「真面目な顔して」というところに笑ってしまいました。アレ、大きくするのが流行だったんでしたっけ?一体、何考えてたんだか。
>私の中ではリチャードは、実用的なものに関しては新しもの好きな人、というイメージです。
私も、そんなイメージです。

>現代ならさしずめ、デパートに服を買いに行っても見立ては全部奥さん任せ……
あはははは~(笑ってごまかす)

Google BooksとInternet Archive、古ーい書籍は結構閲覧できます。新しいものは、Google Booksで一部だけ見れたりします。Internet Archiveの方は、半年ほど前に久しぶりに検索したら、かなり文献が増えていて、小躍りして喜びました(その割にあまり使ってないけど)。Google Booksに刺激されたのかなー?
ところで卒論!ということは、凪乃さん、ひょっとして史学科の学生さんでしょうか?大学か院?頑張ってくださいね!

Sutton女史の”Richard III and the Knave of Cards~”の御解説、ありがとうございました。British Library Images Onlineで原画も見てみました。
隣の人物がクラレンス公だという根拠もあいまいなのですかー

>・たとえ容姿を知る機会があったとしても、挿絵職人には、人物の顔を本人に似せて描くという風潮がなかった。
>・挿絵職人は型通りの献呈シーンを描いただけで、実際のできごとに即した描写はしていない。
ああ、やはりそうなのですね。当時描かれた肖像画は一応(一般的には)ある程度本人に似ているのだろうと思っていたのですが、挿絵は信用できるんかいな?と常々疑問だったのです。すっきりしました。ありがとうございます。

>エドワード4世のモットーは、「安楽と歓喜(confort et liesse)」……。
>似合いすぎです。
お兄ちゃん……だから、ぶくぶく太ってみっともなくなるんだよ!せっかく元の容姿は良いのに。その上、メタボリックシンドロームで早死にして(<決めつけ)残された者達が苦労する羽目に……
こんにちは、秋津羽さん。
一ヶ月以上、ChadwickのLords of the White Castleにかかってしまいましたが、やっと読み終わりました。ここのところしばらく12世紀周辺ばかりなので、久々に、皆さんの世界へとと思い、本日、Meredith WhitfordのTreasonを注文しました。どれぐらいで届くか分かりませんが、また、読んだらご報告します。
Leiさん、こんにちは!
Meredith Whitfordの"Treason"、まさしく、ばら戦争とリチャード三世を扱っているのですね。米AmazonのCustomer Reviewでは評判が良いようで、期待が持てます♪
読了されましたら、また、御感想をお聞かせくださいませ。
 秋津羽さん、こんにちは。
 以前、Francis Lovell君の幽霊話が載っている本として紹介していただいた、石原孝哉さんの『幽霊のいる英国史』をようやく読みました~。
 私がMinster Lovellの幽霊話を知ったのは、偶然検証サイト(?)を発見したからだったのですが、日本語の本でもちゃんと取り上げられていたのですね!
 この手の幽霊本にはロンドン塔のエピソードくらいしかないと思って(←偏見)今までスルーしていたのですが、面白かったです。ジョージの娘・マーガレットについてもしっかり書かれていましたし。(レスロウの「ヨーク公リチャード、トマス・モアにこっそり育てられていた」説はちょっとこじつけ臭いと思いましたが)
 なによりも、ラヴェル子爵についてこんなに書かれている新書があろうとは……!
 『時の娘』ではスルーされ、シェイクスピア版では猫と鼠に出番を奪われてばかりの彼だけに、つい感動してしまいました。


 そして"Tower of London"。秋津羽さんのコメントにものすごく興味をそそられたので、ついついAmazonの購入ボタンをぽちっと押してしまったところです。

>とりあえず、バジル・ラズボーン演じるリチャードはハンサムでした
>左肩が少し上がっているだけで、身体の障碍はなさそうです。背も低くないし、すらっとして、外見に関してはシェイクスピア版無視してます。
>クラレンスが善人でないのが印象的でした。リチャードに比べるとなんだか品もないし(笑) 一方、リチャードはクール・ビューティの悪党でございました。

 こんな風に言われたら、見ないわけにはいきませんよ~(笑)
『幽霊のいる英国史』お楽しみいただけてよかったです(^^)

>『時の娘』ではスルーされ、シェイクスピア版では猫と鼠に出番を奪われてばかりの彼
「猫と鼠に出番を奪われて」というのにちょっと笑ってしまいました。でも、確かにそうですよね。リチャードの親友なのに。

"Tower of London"ご注文なさったのですね!
今更なのですが、リージョン・コードは大丈夫でしょうか?なんだか、ご購入をそそのかしてしまったようで(汗)その点が気になります。
このDVDセット、記事中にも一応書いたのですが、リージョン1です。凪乃さんのご環境で問題なくご覧になれますでしょうか?私にわかる範囲でしたら視聴方法についてお答えいたしますが……
『幽霊のいる英国史』について、追伸です。

>レスロウの「ヨーク公リチャード、トマス・モアにこっそり育てられていた」説はちょっとこじつけ臭いと思いましたが

ネタとしては面白いと思うのですけれどねー(苦笑) さすがに、ちょっとこじつけくさいですよね。
ちなみに、Jack Leslau氏の"Da Vinci Code"ならぬ"Holbein Codes"については"HOLBEIN, SIR THOMAS MORE & THE PRINCES IN THE TOWER"というサイトで詳しーく書かれています↓
http://www.holbeinartworks.org/">http://www.holbeinartworks.org/

このサイト、ずいぶん前に見つけて面白そうだと思ったのですが、かなりのボリュームに腰が引けて、未だに読んでません<軟弱者
秋津羽さん、こんにちは。

>"Tower of London"ご注文なさったのですね!
>今更なのですが、リージョン・コードは大丈夫でしょうか?
ご心配いただきありがとうございます〜。
でも機械音痴の私はリージョンコードのことがいまいちわからず、結局VHS版で買ってしまったのですよ。
見終わってから、やっぱり字幕が欲しかったなあ、と少し後悔していますが(苦笑)
……字幕があったらあったで、「私のリチャードはこんなしゃべりかたじゃない〜!」とか文句をつけるかもしれませんけど……
それはさておき、確かにリチャードが美形悪党!
(実はほとんど聞き取れていないのですが)リチャードとアンのやりとりがシェイクスピアを無視した感じでけっこう好きです。そしてやっぱり聞き取れていないのですが、この"Tower of London"ではアンがどうなったことになっているのでしょう??

……それにしてもなぜこれが怪奇映画に分類されているんでしょう。
幽霊が出るわけでもなく、拷問シーンがちとしつこいだけなのに……。
吸血鬼、人狼、フランケンシュタインという三大怪物がそろい踏みしている中に、"Tower of London"がしれっと混ざっているのを見ると、なんだか笑ってしまいます。<冒頭のCM

>ちなみに、Jack Leslau氏の"Da Vinci Code"ならぬ"Holbein Codes"については"HOLBEIN, SIR THOMAS MORE & THE PRINCES IN THE TOWER"というサイトで詳しーく書かれています
ご紹介ありがとうございます!
……しかし私も腰が引けてしまったくちです(汗)
よ、余力があったら挑戦したいと思います!今は……いいかげんRossのRichardIIIとPalmerのThe white boarを読まなければ……(小声)
凪乃さん、こんばんは!
VHSを購入されたのですね。アメリカ(というか北米)のVHSは日本のビデオデッキで普通に観れますものね(ヨーロッパのVHSは見れません)。
DVDのリージョン・コードは、慣れれてしまえば悩まないのですが、知らないうちはややこしいですよね。一応、この辺↓に書いたのですが……やっぱり、わかりにくいかも(苦笑)
 http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2008/06/dvd_region_free.html">http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2008/06/dvd_region_free.html

 http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2008/06/dvd_region_free_1.html">http://richard111.blog.ocn.ne.jp/richard/2008/06/dvd_region_free_1.html

ヨーロッパ盤DVD(ロシア以外)はPCで観れるので、とりあえず問題ないんです。
問題は北米盤。リージョン0(=リージョンALL)であれば、日本のDVDプレーヤーで観れるのですが、リージョン1のことが多いんですよね。"Tower of London (1939)"を含む怪奇セット(嫌な言い方だな 笑)もリージョン1なんです。

リージョン1の北米盤DVDを見る方法をいくつか考えると、

1.「リージョンフリー」とか「マルチリージョン」とかいうDVDプレーヤーを通販(もしくは秋葉原あたり)で入手する<これが一番簡単かつ確実ではないかと思います (ヨーロッパ盤もそのプレーヤーで観たい場合は、「PAL→NTSC変換」機能付きが必要です)
ポータブルのDVDプレーヤーで、「リージョンフリー」のものもあります。

2.PCのDVDドライブをリージョン1専用にしてしまう、という手もありますが、普通のDVDが読み込めなくなると思うので、ちょっと……(リージョンの設定変更は何度もできないんです)

3.DVDを再生できるフリーソフトで、リージョンに関係なく見れるものもあります(PCにソフトを入れる)。ただ、PCによって(もう少し正確には、PCのDVDドライブによって)リージョン1が再生できる場合と、再生できない場合があるんですよね。
私の場合、デスクトップPCでは再生できたんですが、ノートPCでは再生できませんでした。
お手元にリージョン1のDVDソフトがあれば、お試しになることができますが……普通は、お持ちでないですよね(苦笑)

私は、DVDが発売されている作品はVHSよりDVDで観たい、という思いがあって、リージョン・フリーのDVDプレーヤーを入手しました。
もしも洋画を多くご覧になるならば、リージョン・フリーのDVDプレーヤー、あると便利ですよ(<魔の誘い)。日本で発売されてない作品もありますし。ヨーロッパ盤DVDが販売されてれば、PCで観れるんですけれどね。
ただ、米盤にしろ、ヨーロッパ盤にしろ、英語字幕の有無が分からないことも多くて、DVDソフトを購入するかどうか悩むことがしばしばです(笑) 

***************************

>"Tower of London"ではアンがどうなったことになっているのでしょう??
あ、あれ、どうしたっけ?いつの間にかいなくなっちゃったような(汗)
やっぱりバッキンガム公は出てこないのねー、バジル・リチャードが"My dear cousin!"と言うのを聞きたかったのに、とかアホなことを考えているうちに見逃したようです……後日、ちゃんと見なおします(反省)

VHSでは怪奇映画のCMがあるのですね。DVDにはありませんでした。ちょっと観たかったかも。でも、違和感ありまくりですねー
それでは、また。
白い猪亭

秋津羽

Author:秋津羽

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