このサイトは
英国史上まれに見る極悪人として名高いリチャード三世の真の人物像を探ることを目的としています。
シェイクスピアの描いたリチャード三世以外のリチャード三世像があることを、一人でも多くの方に知っていただければ幸いです。
2012年9月12日、レスターのグレイフライヤーズ修道院跡からリチャード三世の遺骨が発掘されました!(2013年2月4日に調査結果が発表されました)
ブログ移転いたしました 【お知らせ】
拙ブログにご訪問いただき、ありがとうございます。ブログ主の秋津羽です。
2014年11月30日のOCNブログ人のサービス終了に伴い、新ブログに移転いたしました。
前サイトでブログを始めたのは2005年9月。
その数年前にリチャード三世についてWeb検索した際に、シェイクスピア関連以外の日本語の記述の少なさに驚き、残念に思い、それでも、そのうち誰か書いてくれるに違いない、とたかをくくっておりました。が、何年たっても見かけるのはシェイクスピア関連の記述ばかり。とうとう耐えられなくなり、読んでくれる人がどんなに少なくても良い、自分で何か書こう、と始めたのがこのブログです。
それから9年。ここ3年ほどは書いた記事も少なく、特にこの1年はほとんど更新もしていない状態ですが、それでも書いた記事は500を超え、いただいたコメントもいつの間にか500件以上になっていました。
歴史好き、リチャード三世好きの方々とこれほど交流できるとは、始めた頃は想像もしていませんでした。
そして、何よりも特筆すべきは、2012年9月にリチャード三世の遺骨が発掘されたこと。
リチャード三世はレスターのグレイフライヤーズ修道院に埋葬されましたが、その後遺骨が掘り出され、近くのソア川に捨てられた、という話がまことしやかに伝えられていました。一方、遺体は埋葬されたまま場所が分からなくなった―まだグレイフライヤーズの跡地にある、という説もありました。
私としては、もちろん後者であることを期待し、いつか埋葬場所がわかることを希望していました。が、それは夢のまた夢。よもや自分の生きているうちに遺骨が見つかり、本人のものであると科学的に証明されるなどとは思いもしませんでした。
さらに、昨年11月には、そのレスターと、リチャードの終焉の地であるボズワース・フィールド(近年の研究によると、実際は3kmほど離れた場所のようですが)を訪れることができました。このブログを始めていなければ、そして、このブログを通じた何人もの方々との出会いがなければ、私はいまだ、レスターにもボズワース・フィールドにも行ってはいなかったでしょう。いずれ行くことがあっても、それは、もっともっと先のことになった筈です。
改めて、このブログを書いていて良かったと思います。そして、皆様との出会いに感謝しております。
……1年もたつのに、大事な旅行記を書けていない、というのが大問題で、我ながら突っ込みたくなりますが。旅行記をUPするのは早くても年明けになります。
ですが、たくさんの方々への感謝の気持ちは本当です。
いささか手間取りましたが、ブログ人のサイトでいただいたコメントを含めて、新ブログに記事を移行できました。しかし、リンク先等、修正が必要な点も残っておりますので、少しづつ修正していきます。
ご迷惑をおかけすることもあると存じますが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
2014/11/25 秋津羽 拝 (2014/11/30 追記)
2014年11月30日のOCNブログ人のサービス終了に伴い、新ブログに移転いたしました。
前サイトでブログを始めたのは2005年9月。
その数年前にリチャード三世についてWeb検索した際に、シェイクスピア関連以外の日本語の記述の少なさに驚き、残念に思い、それでも、そのうち誰か書いてくれるに違いない、とたかをくくっておりました。が、何年たっても見かけるのはシェイクスピア関連の記述ばかり。とうとう耐えられなくなり、読んでくれる人がどんなに少なくても良い、自分で何か書こう、と始めたのがこのブログです。
それから9年。ここ3年ほどは書いた記事も少なく、特にこの1年はほとんど更新もしていない状態ですが、それでも書いた記事は500を超え、いただいたコメントもいつの間にか500件以上になっていました。
歴史好き、リチャード三世好きの方々とこれほど交流できるとは、始めた頃は想像もしていませんでした。
そして、何よりも特筆すべきは、2012年9月にリチャード三世の遺骨が発掘されたこと。
リチャード三世はレスターのグレイフライヤーズ修道院に埋葬されましたが、その後遺骨が掘り出され、近くのソア川に捨てられた、という話がまことしやかに伝えられていました。一方、遺体は埋葬されたまま場所が分からなくなった―まだグレイフライヤーズの跡地にある、という説もありました。
私としては、もちろん後者であることを期待し、いつか埋葬場所がわかることを希望していました。が、それは夢のまた夢。よもや自分の生きているうちに遺骨が見つかり、本人のものであると科学的に証明されるなどとは思いもしませんでした。
さらに、昨年11月には、そのレスターと、リチャードの終焉の地であるボズワース・フィールド(近年の研究によると、実際は3kmほど離れた場所のようですが)を訪れることができました。このブログを始めていなければ、そして、このブログを通じた何人もの方々との出会いがなければ、私はいまだ、レスターにもボズワース・フィールドにも行ってはいなかったでしょう。いずれ行くことがあっても、それは、もっともっと先のことになった筈です。
改めて、このブログを書いていて良かったと思います。そして、皆様との出会いに感謝しております。
……1年もたつのに、大事な旅行記を書けていない、というのが大問題で、我ながら突っ込みたくなりますが。旅行記をUPするのは早くても年明けになります。
ですが、たくさんの方々への感謝の気持ちは本当です。
いささか手間取りましたが、ブログ人のサイトでいただいたコメントを含めて、新ブログに記事を移行できました。しかし、リンク先等、修正が必要な点も残っておりますので、少しづつ修正していきます。
ご迷惑をおかけすることもあると存じますが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
2014/11/25 秋津羽 拝 (2014/11/30 追記)
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